第5話 明治時代の洋菓子

司会二人の紹介→https://kakuyomu.jp/works/1177354054892641004/episodes/1177354054892641022


金子堅太郎「さて、今日は明治時代のお菓子の話です」

伊東巳代治「明治の初めに出てくるお菓子と言えば、明治7年に発売されたリキュールボンボンかな。僕らは『甘露糖かんろとう』って呼んでたね」


堅太郎「子供向けだと明治8年に凮月堂ふうげつどうが売り始めたビスケット。それから少しして、アイスやチョコレートも出てきたよね。明治11年のかなよみ新聞に米津凮月堂よねつふうげつどうの“貯古齢糖ちょこれいと・洋酒入ボンボン”の広告が載ってるし」


巳代治「明治17年になるとシュークリームやキャンディーも売られるようになって、25年になるとマシュマロやマロングラッセもお店に並びます。そして、明治32年になると森永製菓が設立されます」


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堅太郎「森永太一郎もりながたいちろうくんは生家も伊万里いまり陶器問屋とうきどんやさんで、森永商店ってお店だったんだよ。24歳の時に渡米とべいして、そこで西洋菓子に目をつけて、製菓を学んだんだ」

巳代治「明治32年に設立した森永はマシュマロを売り始めます。当時はマシマローと言いました」

堅太郎「森永のシンボルはエンゼルマークですが、あれはアメリカでマシュマロがエンゼルフードと呼ばれていて、それが元でエンゼルマークになりました」


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巳代治「同じ明治32年に森永はチョコレートも発売します。シュガークリームをチョコで薄くおおったもので『たまチョコ』と呼ばれてました。明治36年に大阪天王寺おおさかてんのうじで開かれた第5回内国勧業博覧会だいごかいかんぎょうはくらんかいでは森永の特設売店とくせつばいてんが出来てチョコやマシュマロなんかの洋菓子が売られていたんです」


堅太郎「博覧会の話で言うと、明治40年の東京勧業博覧会では森永の西洋キャンディーが名をせたんだ。スター、フローレット、バナナドロップス、オシドリとかだね」

巳代治「他には森永と言えばキャラメルだけど、明治に売り出した頃は今みたいなポケットサイズのミルクキャラメルじゃなくて、缶に80粒入ったものとかが売られていたんだよ」


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堅太郎「明治43年には横浜元町よこはまもとまち不二家洋菓子店ふじやようがしてんが開店して、その12月にクリスマスケーキを売り始めます」

巳代治「ケーキと言えば昔のケーキってバタークリームなんだよね。1950年代になるまで冷蔵や冷凍の技術がなかったから、生クリームはよほどでないと使えなかったんだよ」


堅太郎「昔っていうか、1980年くらいまではバタークリームケーキってあったよね。だから昔の人はケーキって言うと生クリームじゃなくてバタークリームだった印象かな」

巳代治「ホイップクリーム自体は16世紀からあるし、日本でも士族や華族が牧場はじめて牛乳とか乳製品があったから作れると思うけどね」


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堅太郎「さて、これまで日本製のお菓子がメインでしたが、ちょっと盲点になるかもなのが『輸入菓子』です」


巳代治「横浜、神戸、長崎など外国人慰留地がいこくじんいりゅうちのある土地では輸入小売店があって、当時、海外にあるものなら意外に手に入ったりします」

堅太郎「なので、明治の頃にこれがあるのおかしくない? というものも創作上は輸入品だということでごまかせたりするかもしれません」


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巳代治「今回は売っているお菓子中心でしたが、明治5年に仮名垣魯文かながきろぶんさんが翻訳した『西洋料理通せいようりょうりつう』という本に食後のデザートことも書いてあるので、これを元に他の地方でも作っている方がいるかもしれません」

堅太郎「巳代治みたいに外国人の家で暮らしてた人や、僕みたいに留学帰りの人間が教えて家で作っていたとか外国商人の家で食べたとかあるかもだしね」

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