(2)
強張ったのは表情だけではなく、躰や纏う空気まで強張ったのがアインにはハッキリと伝わった。
「当然でしょ? 私の薬が本当に解毒剤だと思えないんだったら、手っ取り早く楽にさせてあげる方法は自分の手で終わらせること。
さあ、選びなさい。
放っておくか、薬を持って行くか、自分の手で楽にさせるか。
私はどれを選ばれても構わないわ。私はここを出て行くもの」
淡々と告げて改めて薬の瓶を突き付ければ、シュヴァルは唇を噛み、再びアインの胸倉を掴む手に力を込めた。
だが、アインは冷めた目で見詰めるだけで、怯えて見せたりはしなかった。
むしろ、アインの方がシュヴァルを見ていた。
シュヴァルの赤い瞳に浮かぶ怒りと迷いと葛藤を。目まぐるしく主導権を争う赤い瞳のその奥を。
だとしても、アインにはシュヴァルの選ぶ答えが分かっていた。
きっとシュヴァルは、解毒剤を飲ませると……いや、それしか出来ないと、絶対の確信があった。
だから冷静に、自分と薬の瓶を交互に睨み付けて来るシュヴァルのことを見ることが出来ていた。
シュヴァルが口を開く。何事かを吐き出そうとして、何も吐き出せずに唇を噛む。
強く強く目を閉じた苦渋の顔をアインは見る。
葛藤に次ぐ葛藤。揺らぐ心。譲れない気持ち。様々な感情がぶつかり合っていることが手に取るように分かった。
やがてシュヴァルは解毒剤の小瓶に手を伸ばす。
やっぱり――とアインが思っていると、シュヴァルは両手で大事そうに小瓶を抱えて俯いて。
「――――っく」
小さく呻いたと思ったときだった。
「くくくくく」
「?」
「あはははは」
「?!」
「あっははははは」
突然躰を起こして大笑いし始めたから堪らない。
「何なの?」
アインは咄嗟に飛び退いて、一応ナイフを構えて警戒した。
しかしシュヴァルは苦しそうにお腹を抱えて、狂ったように笑っていた。
「あー、悪ィ悪ィ。
何だかな。本当にな、お嬢ちゃんは良い趣味してるぜ」
「それはどうも」
「いや、本当に、褒めてるんだよ。さすがは俺の見込んだ女の子」
「それは別に要らないわ」
浮かんだ涙を拭ってようやく笑うのを落ち着かせたシュヴァルが、楽しげな笑みを浮かべてアインを褒める。
「いやいやだって。大人のハンターでもこんなに堂々と喧嘩を売って来たことはないぜ?
こんな、いかさま染みた選択肢、突き付けられた記憶が全くない」
「あら、気が付いたの?」
「気が付かないわけがないだろ。
これは、どれを選んだところで嬢ちゃんにとって都合がよく出来てる……違うかい?」
「違わないわ」
アインはあっさりと認めた。
「あなたが薬を受け取らなければ、シルバーラビットは苦しみ続けて人を攫いに出歩けない。
次に、あなたが解毒剤を飲ませに行けばシルバーラビットは回復するけれど、今まで逃げ続けて来たあなたを見付けてしまう。そうなれば、あなたはきっと逃げられない。
だって、あなたは一度……ならず何度も、彼を見捨てては独りにして来た。その罪悪感があなたをこの屋敷に繋ぎ止めている……のだとすれば、一度取られた手を二度と振り払うことは出来ない。
そして、同じ理由で薬に頼らず一思いに楽にすることも出来はしない。
妖魔は殺しても、時が来れば復活するけれど、あなたは自分の手で二度も彼を殺すことは出来ないもの。違う?」
「違わねーよ」
今度はシュヴァルがあっさりと認めた。その顔にはどこか寂し気な笑みが浮かんでいる。
「お嬢ちゃんはあいつに見せられたんだな。俺とあいつの昔のことを」
「多分ね」
「だからここまでいやらしい選択をぶつけて来られたんだ」
「そうね」
「俺がこの屋敷にいる理由も、苦しむ姿を見続けられないだろうってことも、見付けられたら最後、突き放すことが出来ないことも、俺があいつを自分の手で殺すことが出来ないことも、全部承知の上での答えで、結局は解毒剤を選ぶってことも初めから分かっていたんだろ?」
「ええ。彼はずっとあなたを捜していた。あなたさえ見つかれば、傍にいてくれれば、他の人間なんてどうでもいいの。ただ一心に、あなたが見付けてくれることを、迎えに来てくれることを待っていた。
でもあなたは、きっと自分を責めているから自分からは戻って来てくれないと彼は思っていた。だから捜していた。あなたと同じように孤独を選ぶ人間を。
頭では違うと分かっていても、そうせずにはいられなかった。
何故か解る? そうしないと、自分はあなたに見捨てられて孤独なのだと言うことを受け入れなくてはいけなくなるから。
彼は、孤独を恐れている。孤独が死を連れて来ることを体験しているから。だから――」
「そうさ。あいつは孤独を望む人間を攫って来た」
後を引き継いだシュヴァルの顔は泣き笑いだった。
「俺はそれをただ見ていた。こいつなら俺の代わりになれるのかと。どう見てもこいつじゃ無理だろうと。俺はそんなに女々しくないぞと。連れ込む連中の様子を見ながら何度も俺は思ったさ。それでも、あいつの孤独が紛れるのならそれでいいと本気で思っていた。
でも、あいつらは気が付いちまう。自分の求めていた環境にいたとしても、唐突に現実を思い出して戻ろうとする。
あいつはあいつで、思い出の中に一向に自分のことが出て来ないことで、攫って来た人間が俺じゃないって気が付いて興味を無くす。
初めから駄目な奴は駄目だが、途中まではあいつも満足する連中って言うのはいるんだ。でも、駄目だった」
「あなたが駄目にしたんじゃないの?」
「それはない――と思いたいがな。どうだろうな。正直内心は複雑だったな。
俺の代わりがあいつの傍にいることは嬉しい。でも、本来いるのは俺だったはずなのにって、思わなかったと言えば嘘になるからな。
でも、直接俺が何かをすることはなかったよ。結局いつも駄目になってたから」
「だからさっさと姿を現して安心させればいいのよ。
あなたに付けられた『匂い』だけで、私をあなただと思い込もうとした彼なら、あなたが本物のシュヴァルだってすぐに分かるはずよ。そうすれば――」
「あいつは消える」
悲し気な微笑みだった。
それはアインが言葉を飲み込むほどに、静かな微笑みと声だった。
「何故? とは聞かないでくれよ。
こればかりは『分かっているから』としか答えられねぇから。
あいつと俺が出会ってしまえば、あいつは消える」
「――――そう……ね」
アインも静かに頷いた。
「だから俺は、あいつの前に姿を晒すようなことだけはして来なかった。
いつも離れて見ていた。あいつが俺の匂いを辿って屋敷の中を彷徨っている様も見ていた。
呼ばれればいつでも駆け付けたいとも思ったさ。
でも、判っていたんだ。会ったらあいつが消えるってことを。そう言う決まりになっているってことを。
だから俺は会えなかった。でも、離れられなかった。
俺はもう、二度もあいつを裏切っている。
一度目の裏切りのせいであいつは人間に囚われた。俺はそれを助けようとして、期待を持たせて絶望させた。
俺が戻ったときにはもう、あいつは命を失っていた。
失って、生まれ変わってた。
『シルバーラビット』の誕生さ」
自嘲気味な笑みだった。
「あいつは真っ先に、自分を捕らえたこの屋敷の住人たちを追い出した。
そして、霧の立ち込める夜になると孤独な人間を攫うようになっていた。
俺はそれをただ見ていた。あいつが一体何になったのか分からなかったからな。
でも、すぐに妖魔になったんだってことを理解した」
「どうして?」
「どうしても何も、俺自身も妖魔になってたからな。
つまり、俺自身もこの屋敷もろとも取り込まれていたんだ。
だから分かった。すぐに分かった。俺たちは妖魔になった。でも、俺たちが出会えばあいつは消えるって。そう決められてるって、解っちまった。
だから俺はあいつから逃げ回った。妖魔だとしても、せっかく生き返ったんだから、すぐには死なせたくなんかなかったんだ。解るか?」
問われてアインは無言を貫いた。
そんなアインを見て、シュヴァルは同情めいた笑みを浮かべて見せた。
「まぁ、孤独を選んでいるお嬢ちゃんには解らないかもしれないが……。
ただ、まぁ、そうは言っても、俺も今分かったことがあるからな」
「それは何?」
「今になって思えば、あいつが人間を攫って来るようになったのは、俺と勘違いして……と言うよりは、あのときと同じ状況を作っていたのかもしれねぇんだよな――ってことさ」
肩を竦めて溜め息一つ。
どういうことかとアインが促せば、情けない顔で、呆れ返った口調でシュヴァルは答えた。
「まんまの意味さ。この屋敷はあいつが命を失った場所。そこには元々家族から孤立していた人間がいた。そいつに囚われてあいつは命を失った。
だからあいつは、この屋敷に孤独な人間を連れ込んでるんだ。つまりは、孤立していた人間の代わりだな。そうすることで、捕らわれた場所と、人間と、自分を揃えて、俺がまた昔のように助けに来ることを待っていたのかもしれねえってことさ」
「でしょうね」
と答えつつ、アインは正直、眼から鱗の気分だった。
まさか、そう言う意味を持っているとは考えもしなかった。
ただ、もしもそうだとしたら、思うことがあった。
ハイネスが何重もの檻に囚われていたこと。それを助けた自分の姿。
もしもそれが、檻に囚われていた自分を助けに来たシュヴァルの姿と重ねて見ていたとしたら。シルバーラビットは思ったかもしれない。
(私こそが、シュヴァルかもしれないと……)
だとしたら、
「だからあなたも――」
「お嬢ちゃんなら『いける』と思ったんだ。俺の代わりに、あいつが望んだ俺になれるって」
皆まで言わずともシュヴァルが続けた。
その、あまりにも情けない顔を見たなら、アインは深くは突っ込まずに『そうね』とだけ返した。
そんなアインの心遣いが通じたものか、シュヴァルは肩を竦めて続けた。
「俺は、どんなにあいつが待っていてくれても助けには行けない身だ。助けに行ったら消えちまうからな。でも、俺は見捨てることも離れることも出来ない。それが分かっていながら、嬢ちゃんはあいつに毒を盛った。俺が放って置くことも、自分の手で終わらせることも出来ないことを知っていて」
「そうよ。だからこその解毒剤。運が良ければ解毒剤が利く前に、あなたは逃げられるかもしれないって思えたでしょ?」
「ああ。勝率の低い賭けだけどな。それに賭けるしかないならそれを選ぶしかないからな。ただし――」
と、突然それまでの翳のある雰囲気を払拭し、太々しいし力強い笑みを浮かべると、
「ちょ! 解毒剤をどこにやったの?!」
思わずアインは驚きの声を上げていた。
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