(3)

 シュヴァルが突然、両手を力一杯打ち合わせて、解毒剤を消し去ってしまったから。


「あっはは。いいね。いいね。その反応。やっぱりそういう反応の方が、子供らしくてお嬢ちゃんには良く似合ってるぜ」


 してやったりの笑みを強くして楽しそうに笑って見せる。


「ふざけないで! 解毒剤はあれ一つしかないのよ!」

「大丈夫大丈夫。心配しなくてもちゃんと大切に保管してるって」

「保管と言いながら、シルバーラビットに直接送り届けたんじゃないでしょうね?

 言っておくけれど、多分、シルバーラビットは自力では飲めないわよ。そういう毒だから」

「分かってるって」

「だったら!」

「だから。後でちゃんとあいつに飲ませるって。

 ただし、俺じゃあなく、お嬢ちゃんが――だけどな」

「どう言うこと?」


 意味が分からず問い返せば、シュヴァルはわざとらしく驚いた顔を向け、


「おいおい。俺が言ったことをもう忘れたのか?

 俺は言ったはずだぜ? お嬢ちゃんなら俺の代わりが出来るかもしれないってな」

「やる――なんて一言も言ってなかったと思うけど?」

「それでも俺は決めたんだ。お前さんに俺の代わりになってもらうってな」

「嫌よ。私は帰るの」

「どこに?」


 厭味ったらしい笑みだった。

 刹那フルフレアの顔がアインの頭に浮かんだが、頭を振って消し去って。


「どこでもいいでしょ」


 苛立ちも露わに言い返すと、


「帰しません」


 満面の笑みを向けられて、煽られる。

 アインの頬が引き攣った。


「お嬢ちゃんには、俺の代わりにあいつを助けてもらいます。でもって、俺の代わりにあいつの傍で一緒に生きてもらいます」


 名案を提示していますと言いたげな口ぶりで、腰に手を当てて仁王立ちするシュヴァルに対し、アインはいつでも飛び掛かれるように構えながら水を差す。


「それでもし、シルバーラビットが私で満足して、消えたりしたら、あなたはどうするの?

 次の『シルバーラビット』として、人を攫うの?」

「だとしたら、お嬢ちゃんみたいな可愛い女の子だけ攫って来ることにするな――って、冗談だから、そんな本気で変態を見るような眼で見るの、止めてくれないか? 本当に妖魔だって傷つくから」

「…………」

「あー。無理ね。その沈黙は信じてないってことね。

 はいはい。別にいいですけどね。どうせそんな事態はやって来ませんからねぇ」


 肩を竦めて拗ねて見せる。

 その後、すぐにニヤリと笑い、


「だって。あいつにはちゃんと解っているからな。あくまでもお嬢ちゃんは俺の代わりであって俺自身じゃない。だから、あいつが満足して消えることもない。

 消えることもないし、でも、孤独でもなくなる。その上、他の人間を攫って来ることもなくなるかもしれないって特典まで付いて来たら……どう考えても良いこと尽くめだろ?

 それに、お嬢ちゃんがその気になってくれれば、俺との思い出話も沢山聞けるかもしれねぇし。この屋敷ももっと楽しい部屋が増えるかもしれない。人形の墓場じゃなく、孤独を埋めるためだけの部屋じゃなく、傷口を抉るための部屋じゃなく、ただ純粋に楽しめる部屋が沢山増えるかもしれねぇ。

 想像してみろよ。絶対に楽しいと思わねぇか?

 そんでもって、お嬢ちゃんとあいつが一緒に楽しく過ごせていたら、それを見ていることが出来たとしたら、俺は断然、そっちの方がいい!」


 眼を輝かせて、まるで子供のように熱弁をふるうシュヴァルを見て、アインは本気なのだと理解した。

 本気でアインを自分の代わりにシルバーラビットの傍に置くつもりなのだと。そうすることがシルバーラビットを幸せにする方法だと思っているのだと言うことを察した。

 だからアインは吐き捨てた。


「変態……」

「だから、違う!」


 力一杯の否定が返って来た。


「そんな胡散臭い顔しない!」

「しょうがないでしょ。覗き見して悦に浸りたい……ってヒト。どこからどう見たところで変態じゃない」

「なんでだよ! 良いだろうが! お嬢ちゃんだって、可愛らしい仔ウサギが二匹戯れているの見ていたら心が和むだろ?」

「うっ」


 思いがけない反撃だった。


「自分がその間に入ろうと思っても、入った途端にどちらかが消えて、残りに逃げられたり警戒されたりするって分かってて、自分もその輪に入らせて! って突撃して行ったりしないだろ?!」

「そ、それは……」

「そうなるぐらいなら、そっと遠くから戯れている様子を見守っている方が良いって思うだろうが! 違うか! それは変態的思考になるのか?!」

「そ、それは……」


 ならない――と、アインは思った。むしろ、当然の行為だと。


「ほうらみろ。お嬢ちゃんだってそうするんだろ? だったらお嬢ちゃんも変態だぞ」

「私は!」

「違いませーん。同じでーす」

「でも!」

「見苦しいでーす。認めなさーい。認めて俺に見守られなさーい。

 それが、俺が唯一生きているあいつに出来ることなんだ」

「!」


 突然真面目な声で告げられる。


「あいつは生まれたときから目が見えなかった。だから、他の連中からも、家族からも爪弾きにされた。妖魔になる前は普通の動物だったからな。動物の世界は容赦ない。厳しいものなんだ。でも、俺は見捨てられなかった。だからずっと傍にいた。頼られて悪い気がしなかったってこともあるけどな。だからあいつも俺といつも一緒にいた。

 それなのに、俺はあいつを裏切った。俺が想像する以上の恐怖を味わったと思う。

 だから頼む。俺の代わりに、あいつを楽しませてやってくれ。安心させてやってくれ。

 少しの間でもいいから。あいつの傍にいてやってくれないか?」


 と、真面目に頼まれて来たならば、アインは答えた。


「嫌よ」


 殊更冷めた声だった。

 一瞬シュヴァルの顔が、『これでも駄目か』と言う苦渋に満ちたものになったが、すぐにシュヴァルも冷めた表情を浮かべて答えた。


「まぁ、そう言うだろうなとは思ってたけどな」

「だったら――」

「だからやっぱり、気は進まないが力づくで黙らせることにした」

「!!」


 さらりと発せられた言葉は充分な殺意が漲っていた。


「大丈夫。命までは取らないさ。殺しちまったら意味がないからな。

 だから、記憶をいじって自分がシュヴァルだと思い込ませて送り込む」

「そんなこと!」

「簡単には出来ないさ。でも、意識が殆どなくなるほどに痛めつけた後だったら、多少はいじれるんだ。記憶なんてものは曖昧なものだからな。少しずらした認識を植え込めば、結構良い具合に改竄出来るんだよ。だからな」

「!」

「気は引けるが、少しばかり痛い目見て気絶してくれや!」


 ギラリと眼を光らせた瞬間、シュヴァルがたった一歩でアインとの間合いをゼロにした。

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