(4)
想像すらしなかった指摘に、アインは混乱をきたした。
「私が裏切られていないって……? むしろ裏切った方って、どういうこと? 私が一体、誰を裏切ったって言うの?」
「分からない……の?」
腕の中の息絶えた白い兎を撫でながら問い掛けられる。
分からなかった。
「私は、裏切られたのよ……」
「誰に?」
「な、仲間と思っていたハンターたちによ! あいつらはミリシュを裏切った!」
「そう。ハンターたちが裏切ったのは、ミリシュって人のこと。
でも、君自身を、裏切ったわけじゃ、ない」
「?!」
「むしろ、君もミリシュって人を、裏切った」
「何故?!」
「だって、君も、逃げたでしょ」
「!」
息が詰まった。
「でもあれは! 私も、動けなくて!」
そう。動けなかった。見ているしかなかったのだ。
だから、仲間が助けてくれると思っていたのに、
「助けられるあいつらは助けなかった!」
「でも、君は、助けられた……よね?」
「!!」
思わぬ指摘に息を呑む。
確かに、アインは助けられた。ミリシュを見捨てた仲間たちに。
「助けて貰える……って思っていた方にしてみれば、自分だけが見捨てられた形……。
しかも君は、その後ハンターたちに大切にされて、笑えるようになってた。
だったら、君も裏切った方……」
「それは!」
反論しようとして、アインは何も言えなかった。
何も映さない青銀の瞳がアインを見ていたから。
助けを求めて待ち続けたまま息絶えた白い兎を抱えるシルバーラビットが、見ていたから。
その眼が言っていた。
――理由はどうであれ、お前もミリシュを見殺しにしたことに変わりはない。
確かに、ミリシュがヴォルカースに命を奪われてから暫くは、ハンターたちの裏切りによってミリシュが命を落とすことになったと言う事実すら知らないでいた。
計画が狂わされたと思っていた。そう、言われていたから。
不信感は拭えなかったが、ミリシュを失って落ち込んで、生きる気力を失っていたアインを、仲間たちは支えてくれていた。
だからこそ、計画が狂わされたのではなく、ミリシュの命が奪われるように誘導し、黙認していた仲間たちの裏切りを知ったとき、アインは裏切られたと思ったのだ。
「私は、悪くない! だってあのとき、私は動けなかった。助けられたのだって、気が付いていなかった。気が付いたらギルドにいたんだもの、私にはどうしようもなかった!」
「…………そう。だから、助けられなかったんだ。シュヴァルも、そうだったんだろうね」
「……どうしてそこで、シュヴァルが出て来るの?」
「だって、僕を、助けに来なかったのは、助けに来たくても、助けに来られない理由があった、から、でしょ? だから、君と同じように、周囲を憎んで、孤独を選んだ。そうでしょ?」
「知らないわ」
「何故?」
「何故って何?」
「だって、君は、シュヴァルでしょ?」
「違うわ!」
「違わないよ。だって、結局君も、裏切られた。自分が、最も、信じた、相手に」
「……何を、言うつもり?」
「君は、ミリシュに、裏切られ、シュヴァルは、あいつに、唆された」
「違う!」
アインはシルバーラビットに掴み掛っていた。
「私はミリシュに裏切られてなんかない! 裏切ったのはハンターたちの方!」
「本当?」
視線の合わない青銀の瞳がアインへ向く。
「本当に、裏切られていないと、思う?」
いやに確信めいた物言いに、アインの頭には血が上る。
「あんたに何が解るの!」
「どうして、解らないと、思うの? ここは、僕の世界。君の知っている事は、僕も、知っている。だから、解る。君が、本当に騙されていたのが、どっちか。
君は、ミリシュにも、騙されていた」
「違う!」
ゾッとした。
自分の信じていることが覆されそうで怖かった。
だが、アインにシルバーラビットを止めることは出来なかった。
「考えても、ご覧よ。
君が、ヴォルカースと、初めて会ったとき、都合よくその場所に、ハンターが居合わせる可能性を。
君が、ヴォルカースに殺されなかった、理由を。
しせつに預けずに、ミリシュが育てた、理由を。
仲間が、ミリシュを裏切った、理由を。
一緒に、見捨てれば良かった君を、わざわざ助けた、理由を。
もしも、ミリシュの本性を、君だけが、知らなかったら?
ミリシュから、君を守ろうとした結果が、裏切り行為だったと、したら?
人は、見せたいものだけを、見せる。
人は、見たいものだけを、見る。
僕は、この屋敷で、いつも、見て来た。だから、解る。
人は、信じたいものだけを、信じる」
それは、見えない刃となってアインの胸に突き刺さった。
違う! と言い張ることは簡単だった。
戯言だと言い切ることは可能だった。
一切聞こえない振りをすることも出来ないこともなかった。
だが、アインはそのどれも出来なかった。
「ほら、よく、考えて。君が、本当に裏切られて、いたのは、誰なのか。
君が、裏切ったのは、誰なのか」
誘導されていると思う自分もいた。
唆されてはいけないと思う自分もいた。
それでもアインは、考えてしまった。
どうしてあのとき、両親が殺されて自分は殺されなかったのか。
どうしてそのとき、偶然ハンターが通りかかって助けてくれたのか。
ミリシュを裏切った仲間たちが、アインを助けた理由はなんなのか。
生かしておく理由などどこにもないはずだった。
それでも助けて、ハンターとしてアインを育てた理由は何だったのか。
ミリシュを心から慕っていたアインに、裏切り行為が知られたらどうなるか分かっていながら、どうして共に過ごしていたのか。
それがもし、シルバーラビットが言ったように、ミリシュの本性にアインだけが気付いていなかったとしたら。
――もしかしたら妖魔よりも人間の方が恐ろしいかもしれないね。
唐突にヴォルカースの言葉を思い出した。
その言葉の本当の意味が、アインの思っているものと違っていたとしたら?
ヴォルカースの言う『人間』が、ミリシュを罠に嵌めたハンターたちの事ではなく、ミリシュのして来たことを知った事で発せられたものだったとしたら?
自分がミリシュに騙されて利用され、仲間たちによって救われたのだとしたら?
憎まれることで、アインに生きる希望を仲間たちが持たせていたのだとしたら?
アインは何が正しいのか分からなくなった。
ガクリと膝から力が抜けた。
訳が分からなくなった。
涙も、出なかった。
「でも、大丈夫」
そんな呆けてしまったアインを、シルバーラビットが優しく抱きしめた。
「僕と、一緒にいれば、もう、辛い思いをしなくても、いいよ」
白い兎を撫でていたように、優しく頭を撫でて囁く。
「だからね、僕と、一緒にいよう。
ここで、ずっと一緒に、暮らそう。
また、昔みたいに、ずっと……」
囁かれて、アインは左手でシルバーラビットの着ているコートの背中をギュッと掴んだ。
「大丈夫。僕は君を、捜してた。ずっとずっと、捜してた。
だから、裏切ったり、しない。悩ませたり、しない。安心して、一緒に、暮らそう」
愛おしそうにアインに回された手に力が籠る。
二人の体が密着し、シルバーラビットの胸に顔を埋めたアインは呟く。
「絶対に、離れないで」
「うん。君が、傍に居て、くれさえすれば、僕は、他に、誰も、要らない」
その幸せそうな声を聴いて、アインは短銃から持ち替えた大型のナイフを、深々とシルバーラビットの脇腹に差し込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます