(3)

 ここにあるマネキンの全てが、山と積まれた全てが、元は喜怒哀楽を持っていた人間だと言われても、俄かには信じられるものではなかった。

 もしも信じてしまえば、これまでどれだけの人間が『シルバーラビット』に攫われたことになると言うのか。

 百や二百ではきかない。千や二千でもきかない。軽く万単位には達している。


 裏を返せば、それだけ多くの人間が生活の中で孤独を覚え『シルバーラビット』に誘われたと言うことになる。

 咄嗟にアインは多過ぎると思った。

 だが、直ぐに多いのか? と訂正した。

 どんなに仲が良いように見えても、どんなに仲間だと思っていても、確かな絆を築いたと思っていても。慕われたとしても、頼られたとしても、次の瞬間にはどうなっているか分からない。

 これまで築き上げて来たものが崩れるのは一瞬だった。

 何気ない一言が、何気ない動作が、相手を不快にさせるとも思わなかったたった一つの言動で、全てが引っくり返る。


 それは、他者との結び付きが強い者ほど、絆が強いと思って来た者ほど、引っくり返ったときの反動は大きい。

 何もかもに裏切られたと感じる。自分をちらちら見ながら声を顰めて話しているだけで、自分の陰口を言っているのだと思い込む。疎外感を感じる。これ見よがしの仲の良さを見せつけられて孤独を突き付けられる。

 他にも、誰からも認められていなくとも、お前だけはと信じていた最後の心の拠り所を失ったとき、人は誰も信じられなくなってしまう。


 そういう人間をアインは見て来た。中には逆恨み以外の何ものでもない人間もいたし、思い込みでしかないものもいた。

 だが、孤独に囚われる人間は、孤独を感じた瞬間、外との関わりを遮断する。完全なる疑心暗鬼の世界へと足を踏み入れる。

 自分では違うと、本当はそうじゃないんだと思い込もうとしては、ドツボにハマって行く。


 絶望するか意地になるかは人それぞれ。事情は違えど、経緯は違えど、辿り着く先は同じなのだ。

 周囲との関わりを遮断して、自分の世界へと潜り込む。

 潜り込んだ人間は、やがて自分を慰める。慰める方法は自分を肯定し続けるか、相手を否定し続けるか。

 そして、それにも疲れた人間が、容易に『シルバーラビット』の誘いを受ける。

 アイン自身がこれまで『シルバーラビット』と遭遇しなかったのは、シュヴァルの言葉が正しければ自分がまだ子供だったから。

 何故子供を連れ去らないのかは不明だが、連れ去られて救い出され、現実に戻って来た数少ない被害者の話を聞くと、『シルバーラビット』との出会いは救いだと感じたと言っていた。

 本当に幸せな日々だったと口を揃えて言っていた。

 だとすれば、どうしてこんな場所が存在するのか。


「信じられない」


 きっぱりとアインは否定した。


「『シルバーラビット』は孤独な人間に幸福を与えて二度と人間の世に戻さない妖魔のはずよ。

 だとすれば、どうしてこんな悲哀に満ちた顔をしているの?」


 騙されて堪るかと言う思いが強かった。しかし、


「本当に、分からないのか?」


 静かな問い掛けは、アインの言葉を奪うに十分だった。


「孤独を抱えた人間を救えるのは同じ人間だと言うことが――本当に、分からないのか?」

「……」


 問われてアインは、自分が取り返しのつかない過ちを犯したような気分になった。

 出会った時とはまるで違う真摯な眼が、真っ直ぐにアインを見詰めて来る。アインの本心を覗き込もうとでもしているかのように、真っ直ぐに。


 アインは咄嗟に後ずさりしそうになった。疚しいことを隠そうとするかのように。

 それすらも見透かさんばかりにアインを視線で捕らえ、続けた。


「確かに『あいつ』は孤独な人間を連れて来た。

 だがな、別に『あいつ』は孤独に苛まれた人間を助けるために連れて来ていたわけじゃねぇんだよ」

「どう言うこと?」

「そのまんまの意味さ」


 と言うと、シュヴァルは木槌を肩に担ぎ上げて歩き出した。

 向かう場所は次のマネキンの山。


「……『あいつ』はな。捜してるんだよ」


 言うや否や、振り上げた木槌を振り下ろす。

 カシャーンと再びマネキン粉砕の作業が始まる。

 元は人間だったと言う、人間の成れの果てを。

 信じるわけではない。信じるわけではないが、


「止めなさい!」


 アインは銃を構えて静止の声を上げた。


「止めねぇよ」


 振り返らず、殊更素っ気なくシュヴァルは答えた。


「こうしねぇと、この部屋は人の抜け殻のせいで一杯一杯になっちまうからな」

「何故!」

「……『あいつ』が捜しているものと違うからさ」


 カシャーンと砕かれ、蒼い光が周囲を包み始める。


「……『あいつ』にとっても、人間たちにとっても、結局この世界は、本当の意味で幸福を齎すこともないし、孤独を埋めてもくれるわけでもない。だから結局気が付いちまうんだよ。

 ――お前は違う――ここは違う――自分の望むものはここにはない――ってな」


 蒼い光が強くなった。サラサラとマネキンが崩れゆく。光が昇る。世界が広がり、澄んだ音が木霊する。


「何故……?」


 不気味な世界が神秘的な世界へと塗り替えられる、そんな中、アインは鼓動が速まるのを感じていた。手が、足が、体が小刻みに震えていた。

 その答えを、アインは知りたくて、同時に、知りたくはなかった。

 それを知ってか知らずか、世界を作り替えながら、シュヴァルは答えた。


「簡単なことさ。孤独を抱えた者にとって、紛い物は紛い物でしかないってことなんだろ?

 知ってるかい? 知ってるだろ? お嬢ちゃんは人間なんだからな!」


 カシャーン、カシャーンとマネキンが砕かれて行く。

 どこからどう見ても破壊行為でしかない。

 それなのに、アインは自分の体の中を温かいものが突き抜けて行くのを感じて震えていた。


「人間ってのは不思議なもので、自分で気に入らない相手に嫌われる分には不満を持つだけで引きずらないくせに、自分で心を許した人間に一方的に嫌われることはどうにも割り切れない生き物なんだ。おかしいよな。どっちにしたって嫌われてるっつーのにな」


 カチャカチャと猟銃が鳴いていた。


「そっちがその気なら、こっちだって嫌ってやる。こっちから縁を切ってやる。

 そう思って孤独になって、『そいつ』の代わりに孤独を埋める物を探して、ここにやって来る。連れて来る」


 またもアインの眼から涙が勝手に零れ出す。

 胸が苦しいほどに締め上げられる。


「でもな、それだとやっぱり駄目なんだろうな。

 嫌いでもない相手に……嫌いになれなかった相手に嫌われ続けている状況が孤独の正体なんだ。たとえ他の存在にどれだけ認められても、受け入れられても、望むように扱われても、ふとした拍子に気が付いちまうんだ。

 自分が認めてもらいたいのはこいつじゃないって。自分の居場所はここじゃないって。

 全く、贅沢な話だと思わねぇか? せっかく孤独じゃなくなったって言うのによ!」


 ガシャンと、これまでと違う音がする。

 お陰でアインはハッと息を呑み、我に返った。

 蒼い光に包まれて、シュヴァルは木槌を下に置き、苛立たし気に髪を掻き回していた。

 明らかにシュヴァルは苛立っているようだった。


「だからあいつらは、どちらからともなく離れたんだ。『あいつ』が連れて来た人間たちに愛想を尽かして、連れて来られた『あいつら』がここは自分の世界じゃないと気が付いて。ここはどこなのかと戸惑って。そうなると、『あいつら』はわざわざ自分から孤独に戻る。

 次こそは。次連れて来る奴こそは、きっと『あいつ』も満足するかもしれない。そう思ったから、俺はこれまでずっと!」


 最後は殆ど叫んでいるようなものだった。

 アインは全身の産毛が総毛立つのを感じていた。

 アインは初めて、シュヴァルを怖いと思った。

 出迎えられたときは、妖魔なのだと実感はしたが、恐ろしいとは思わなかった。

 だが今は、突然口を噤んだシュヴァルが恐ろしかった。


「――はぁ」


 盛大な溜め息をシュヴァルが吐いた。


「悪ぃ。少しらしくなかったな」


 シュヴァルが振り返りもせずに気軽に謝罪を口にする。

 らしいも何も分かったもんじゃないわと内心で突っ込みを入れるも、直接口に出すことは出来なかった。


 アインは見ていることしか出来なかった。

 シュヴァルが中断していた破壊行為を再開する。

 カシャーン、カシャーンと澄んだ音が響き始めると、治まり掛けていた蒼い光が力を増した。


 ようはあれだよと、シュヴァルも調子の良いふざけた口調で話し始める。


「『あいつ』の庇護の下にいれば、何の不自由もなく幸せに暮らせたはずなのに、この場所じゃないって気が付いた連中が、『あいつ』から逃げた結果、こうなった訳」


 何でもないことのようにアッサリと告げ、意図も容易くマネキンを粉砕する。

 シュヴァルの言葉が正しいなら、それは死者を弄ぶ行為と非難されても仕方のない行為だと思われる。

 だが、どうしたところで実感が沸かなかった。シュヴァルが人間を殺しているなど。


「『あいつ』はさ、連れて来る時は親切だけどよ。自分の元から逃げ出す相手には不親切なんだよな。だから、放り出された人間たちは、この屋敷から出るために彷徨い歩いた。中にはハンターが助けに来たって言うのに、一緒に帰ることを拒んだ連中もいたな。せめて一緒に行動していれば出て行くことも出来ただろうに。馬鹿だよな。挙句に記憶を奪い尽くされて、自分が誰なのか、今いる場所がどこなのかも分からないままに、ただひたすら孤独だと言うことだけを胸に抱いて、誰にともなく許しを請いながら、どうして自分が。どうして自分がって言いながら、あいつらは消えて行った。で、倒れて動かなくなった連中を俺が回収して、この『墓場』に連れて来たんだ。

 ああ。その人間が、どうしてマネキンになるのかは訊かないでくれよ? 俺だって知らねぇんだから。俺がこの使われていない部屋に放り込むようになってから気が付いたんだよ」


 蒼い世界は、シュヴァルが粉砕する前にマネキンを光の粒子へと変換して行った。

 ニヤリと笑ったシュヴァルが、木槌を肩に担いで、仕事は終わりだとばかりにアインと向き合う。


「俺も驚いたぜ? だって、人間放り込んだはずなのに、気が付いたら人形になってたんだからな」


 おどけた口調で、足取りも軽く歩み寄って来る。


「でもな、その後は全く消えたりなくなったりしなかった。そうこうしているうちに部屋も一杯になっちまってな。かさばってしょうがねぇから壊してみるかと思ったら、この通りさ。

 こいつら蒼い光を放ちながら、周りを巻き込んで消えて行きやがった。

 だからだろうな。本来この部屋は真っ暗だったんだけどよ。気が付いたら薄っすら蒼白く色づき始めてんだ。きっとそのうち、この部屋は蒼い部屋になるんだぜ」


 さらさらさらと囁くような音が満ちる中、シュヴァルがアインの目の前に立ち、ニヤリと得意げに告げた。

 蒼い光が天へと昇る。シュヴァルの白い顔が蒼く染まる。一方で黒は艶を増し、深くなり、赤い瞳が爛々と輝いていた。

 見下ろされて、思わずアインは後ずさった。


「おいおい。どうして逃げるんだい、お嬢ちゃん。顔色も悪いが……それはこの光のせいか?」


 問われても答えられなかった。

 そんなアインを見て、シュヴァルの笑みがますます深くなる。


「ん~いいね。その顔。初めてこの屋敷に来た時よりずっといい」


 ゾッとした。

 生理的な嫌悪感がアインの背中を駆け上る。


「いやいやホント。ずっといいと思うぜ。だからそんな怯えた顔すんなって。楽しくなっちまうだろ? 澄ました顔の下に眠る本音を引きずり出すのがさ。その方がずっと子供っぽくていいと思うぜ。大人になれば嫌でも上辺を取り繕わなくちゃなんねぇんだろ? だったら子供の時ぐらいはもっと感情表に出してもいいと思うんだよな。だから、クールぶってねぇで、どんどん感情表に出せ。ただ――」


 気楽な口調は、そこまでだった。

 シュヴァルの顔から笑みが消えた。


「それでもお嬢ちゃんが孤独なことに変わりはない」


 アインの喉が変な音を立てた。

 世界はますます蒼くなる。

 笑っていないシュヴァルの赤い眼がアインを貫く。


「ここは孤独の果てに行き着く場所だ。これまでどんな人間も生きて足を踏み入れたことはない。そんな場所に迷い込むほど、お嬢ちゃんは孤独に囚われている。それは逆に言い換えれば、それだけ強い救いを求めているってことだ。

 一体何がお嬢ちゃんをそこまで孤独に追い詰めた? あの狼か?」


 そうだとも言えたし、違うとも言えた。


「これは……私が自分で選んだの!」


 これ以上は聞きたくないと、己を鼓舞する代わりに叫んで答える。

 そう。この状況は自分で望んで作ったもの。孤独も自分で選んだもの。

 信じて裏切られるぐらいなら、初めから誰も信じなければいい!

 だからこれは、選ばされたのではなく、自ら選んだ結果だと断言したのだが、


「そうかい。自分で望んだ結果かなのかい」


 シュヴァルの眼が冷たく細められた。


「あーあー。本来俺たちは子供に手出しをしない妖魔なんだがなぁ~」


 腰に手を当て、わざとらしく溜め息を吐く。

 本能的にアインは警戒していた。

 次にシュヴァルが何を口走るのかと。

 それが分かっていたのだろう。

 シュヴァルは言った。ニンマリと口元に笑みを浮かべ、眼だけは笑わずに、明日の天気の話をするかの如く、


「お嬢ちゃんなら、俺の代わりが出来るかもしれねぇな」

「え?」


 思いも寄らぬ言葉だった。


「それはどう言う意味?」


 と言い切れたかどうか。

 シュヴァルはドンと、床に木槌を叩き付けた。

 その衝撃で、一斉に床に積もっていた蒼い光が浮き上り――次の瞬間アインは、


「っな!?」


 突然足元の床が消え、奈落の底へと容赦なく落とされた。


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