第四章『人形たちの墓場』

(1)

 アインは咄嗟に飛び込んだ先に広がる光景を見て、眼を瞠り、息を呑んだ。

 そこは、薄暗い部屋だった。そして、薄ら寒く不気味な部屋だった。

 無造作に積み上げられた無数のマネキンの山・山・山。


 圧巻と言えば圧巻だろう。薄っすらと青白く発光しているマネキンの山。その山の中であちらこちら好き勝手な方向を見ている顔・顔・顔。手足は絡まり山から突き出して、逆さまになった硬質的な人形の悲しげな顔がアインを真正面から出迎えていた。


 お陰でアインはハイネスを追い掛けることを忘れてマネキンの顔を眺め見ていた。

 マネキンの顔が違っていたのだ。

 マネキンは、基本的に同じ型で作られるため、パターンはあるだろうが大体同じ顔のはずなのに、あちらこちらを向いている顔の造詣が全て違っていた。男もある。女もある。若いものも年老いたものも。成人以上の様々な年齢の顔が、悲しげで憂いを浮かべた無数の顔が、突然飛び込んで来たアインを出迎えていた。


 アインは背筋がざわざわとざわめくのを感じていた。

 気味が悪かったのだ。妙に生々しい人間染みた物言わぬ顔を向けられていることが。

 その一つ一つから怨嗟や泣き声が今にも聞こえて来そうなことが。

 先まで見えない薄暗い部屋の中、一体どれだけのマネキンが積み上げられているのか想像すら出来なかった。


「一体ここは何なの?」


 呟いた声は掠れていた。それでも嫌に響き渡った。

 さしずめここは人形(マネキン)たちの墓場だろうと察するも、何故こんな部屋が現れたのか理解が出来ない。

 初めに飛び込んだ森といい、その次のアトリエといい。この屋敷の部屋が、足を踏み入れた者にとって、いい意味でも悪い意味でも『特別』だと思っている場所を展開するのだとしたら、果たしてこれは誰の記憶なのだろうかとアインは考えた。


 少なくともアインには大量のマネキンに関する記憶は全くない。

 だとすればハイネスの記憶によって作られたものかとも思ったが、何かが違うとアインは否定した。

 そこは寂しさに包まれていた。夢も希望もあったものではない。強い怒りもない。憎しみもない。ただ、もの寂しさだけが佇んでいた。


 アインが周囲を警戒しながらも一歩を踏み出せば、思いのほか大きくカツーンと高い音が響き渡った。

 音が広がり昇るのを確かめるように、アインは天井を仰ぎ見た。

 薄暗い部屋は天井を見せてはくれなかった。ただ、薄っすらと青い空間を埃がキラキラと舞う光景が見えた。

 アインが動いたせいで空気が動き、埃が揺ら揺らと漂う様は、埃だと言うのに綺麗だと思えた。


 顔を戻し、再び足を進める。進める度にカツーン カツーンと音が響く。響き合いぶつかり合い波紋のように広がって行くのをアインの耳は捕らえていた。

 広い部屋だとアインは理解する。

 両側を物言わぬマネキンに挟まれながら、かろうじて開いている細い通路をゆっくりと進む。


 死角が多かった。時折通路に首だけが転がって、アインは避けて歩かなければならなかった。

 直後だった。ガラガラガラと盛大な音を立ててアインの後ろでマネキンの山が崩れたのは。

 心臓が飛び出さんばかりにアインは驚き、咄嗟に猟銃を構えて振り返る。

 退路が、完全に塞がれていた。

 何故? と反射的にアインは脳内で問い掛けた。

 アインはマネキンの山に触れてはいない。

 確かに、崩れないように何かしら手を加えている様子はなかったが、だからと言って突然崩れるようにも見えなかった。


 もしや、自分が入り込んだからかと考える。通路を進むわずかな振動が、辛うじて崩れることを耐えていたマネキンの山の均衡を崩したのかと。

 しかし、都合よく退路だけを断つように崩れるものかと疑問が浮かぶ。

 むしろ、誰かがあえて崩したと考える方が自然だとアインは思った。

 もしも誰かが崩したのだとしたら、その相手は――


 ハイネスではないだろうと、アインは冷めた心持ちで断言した。

 おそらく、こんなことをしたのはこの館そのもの。

 アインがこの部屋に入り込んだとき、アインはハイネスの逃げ去る足音を聞いてはいない。

 自分ですら、この異様な部屋に飛び込んだ時、思わず息を呑んだと言うのに、アインに怯えて逃げ込んだハイネスが悲鳴の一つも上げていないのは腑に落ちない。

 微かな呟きですら嫌に響き渡ったと言うのに、盛大な悲鳴が聞こえないのはおかしい。


 ましてや、気味の悪いマネキンの山に手を掛ける度胸があるかどうかも怪しい。

 いや、破れかぶれになっていれば、なくもないと思いはするが、だとすれば、少なくともハイネスはアインが自分の前を通り過ぎるのを、息を殺して待っていなければならない。


「それだけは絶対にない」


 自分が見逃すはずがないとばかりに、アインは口に出して断言した。

 入った瞬間から今まで、通路は一本道。その両脇にはマネキンの山。ただ、山と山の間や、山の斜面の陰はどうしても死角になっていたため、隠れられないことはない。が、絶対にハイネスがいなかったとアインは断言出来た。


 ハイネスのにおいがしなかった。

 どれだけ神経を集中してにおいを捕らえようとしても、アインの鼻はハイネスのにおいを捕らえられなかった。捕らえられない以上、いるはずがないと確信していた。

 ならば、ハイネスはどこへ行ったのか?

 そんなことがアインに分かるはずもなく。差し迫った問題を上げるとすれば、この部屋をどうやって抜けるか。


「ッチ」


 何の遠慮もなく打たれた舌打ちが空気を震わせ、退路を断った山から更にマネキンの頭が転がり落ちた。

 その見捨てられて悲しんでいるような女の顔を一瞥し、アインは踵を返して歩き始めた。

 

 ハイネスが居ない以上、足音を忍ばせる必要すらないとばかりに、靴音も高らかに細い道を進む。

 カラカラと、何かが転がるような音はするものの、先程のように退路を断つように崩れたりはしなかった。

 お陰でアインは自分の考えが間違っていないことに自信を持った。

 だが、自信を持ったところでこの部屋から出られなければ何の意味もない。

 この部屋を出るためのヒントはどこにあるのかと、アインは注意深く周囲を見回しながら足を進めた。

 

 カラカラ。カラカラと、高く響き渡る足音に混じって、小さな欠片が転がり落ちる音がする。

 もしや、マネキンの山から突然何かが自分に襲い掛かって来るかもしれないと言う可能性が脳裏をよぎる。

 ゾッとした。

 もしもこのマネキンたちが一斉に襲って来るとなると、さすがのアインも万事休すだと覚悟せざるを得ない。

 そんな一対多数用の装備など持って来てはいなかったし、こんな部屋があると言う報告も受けていなかった。


 だとしても、報告書にこの部屋のことが書かれていなかったことをアインは責めることは出来なかった。

 おそらく、この屋敷の部屋は無数にあるのだろう。

 入った人間の数だけ部屋が現れると考えれば――屋敷が勝手に侵入者を部屋に飛ばすのであれば、必ずしもいつも同じ部屋が現れるとは限らない。

 そう考えると、これまでこの部屋はハンターギルド『チェイン』に属するハンターの前には現れたことがなかったのだろう。


「……まぁ、通常は二人一組で仕事にあたるものだしね」


 仮に、二人でいるときにこの場所を通り、マネキンが襲って来たらと考えて――

 アインは考えることを止めた。

 仮定の話をどれだけ考えたところでアインは独りなのだ。何があっても助けを求める相手などいないのだ。

 もう、この世にはいなくなってしまったのだ。

 他人を切り捨てると決めたとき、一番初めに覚悟したことだった。

 

 だからアインは一人で何でも出来るように様々な事柄を頭に叩き込んだ。ハンター試験をクリアして、知識を高めて体術もナイフ術も爆薬も薬も使えるようになった。

 誰とも助け合うことをせずに、一人で依頼を受けて、一人で解決して来た。


 同僚たちからしてみれば、単独で行動して成功を収めるアインが面白くなかったのだろう。見えない壁はますます厚くなって行くのが分かった。

 自ら望んだこととは言え、孤独なのだとアインは改めて自覚した。

 お陰で、この依頼を受けると言った直後のフルフレアを思い出す。

 泣きながら心配だと口にしたフルフレアに対し、アインは冷たく素っ気ない態度を取った。

 別に心配なんてしなくてもいいと、本気で思っていた。

 本気で思わないと、また信じたくなってしまう自分が確かに居たから。

 依頼を終えて仲間内で大いに盛り上がる横を、ひっそりと自室へ戻り、一人で傷の手当てをしているとき、ふいに涙が込み上げて来ることもあった。

 自分も本当はその世界にいたはずなのにと思わないこともなかった。

 あいつらがミリシュを裏切りさえしなければ、自分もそこにいたはずなのにと、視界が歪んだこともある。


 ミリシュが生きていた頃は、一緒になって打ち上げをした。皆笑いあって、労いあって。褒めあって、称えあって。そんな賑やかな中心に居たミリシュの存在がアインは誇らしかった。皆から認められているハンターが、自分のことを娘のように大切にしてくれていると言うことが自慢だった。

 妖魔に両親を殺され、『妖魔の恩恵』を与えられたアイン自身のことも、ハンターたちは同情し、いつも気に掛けてくれていた。アインが落ち込んでいれば声を掛けて励ましてもくれたし、アインがハンター試験を受けると言ったときは、ミリシュの代わりに勉強を教えてくれもした。組み手の相手もしてくれたし、怪我をすれば慌てて手当てをしてくれた。失敗して落ち込んでいると励ましてもくれたし、自分の失敗談を話して笑わせてもくれた。


 アインはそんなハンターたちと共に、いつかは肩を並べて仕事が出来る立派なハンターになるのだと信じて疑わなかった。

 それが、裏切られた。

 どうしてあの時、ミリシュを助けてくれなかったのかと詰め寄ったアインに、仲間たちは後ろめたさと開き直りで対応して来た。

 アインはガラガラと何かが崩れて行く音を聞いた。その音を、今でもアインはハッキリと覚えている。

 自分が今まで見て来たものは何だったのかと、問わずにはいられなかった。

 そんなアインを、ハンターたちは疎ましそうな、あるいは後ろめたそうな、あるいはうるさそうな目で見て来て、関わり合いを持とうとはしなくなっていた。


 アインだって、それまでのように和気藹々と過ごしたいとは思えなくなっていた。

 子供には分からないと言われた。大人には複雑な事情があるのだと言われた。

 だが、アインには自分の眼で見て、自分の耳で聞いたことが全てだった。

 到底許せるものではなかった。信じて来た分、裏切られた反動は大きかった。

 絶対に見返してやると心に誓った。裏切り者たちの力は借りないと誓った。

 力は利用するものだと、ミリシュは利用するものだと言い切った連中と同じことをしてやろうと誓った。


 ギルドを出て行かず、あえて居続けることで、アインは同僚たちに自分たちが何をしたのかと思い知らせ続けることを決めていた。

 楽な日々ではなかった。自分で選んだこととは言え、ミリシュのいない孤独な日々は辛かった。

 初めの頃は何度枕を濡らしたか知れない。依頼に失敗し、依頼人に強烈に罵られたときなどは、一人になって慟哭したことも一度や二度ではない。

 お前に出来るものかと言う無言の視線に貫かれ、依頼を成し遂げられなかった時の冷たい視線を忘れはしない。

 自分が選んだ孤独なのか、選ばされた孤独なのか、もはやアインには分からない。


 ただ、いつ動き出すとも知れない無数のマネキンに囲まれ、自分が立てる音以外、何も聞こえないこの世界を歩いているうちに、とてつもなく孤独なのだということを思い知らされた。

 決して忘れていたわけではない。それでも、嫌に孤独を意識せずにはいられなかった。

 きっとマネキンたちのせいだとアインは思った。

 物言わぬ人の形をしたマネキンたち。自分の周りをぐるりと囲んでいながら、決して話し掛けて来ることのない紛い物。


 それはアインの現状を具現化していた。生きた人間たちの中にいても、アインに話し掛けて来る者はいない。話し掛けて来る者がいない以上、生きていようと死んでいようと、心があろうとなかろうと、変わりはしない。

 だからこそ、アインの中で怒りが膨れ上がった。

 両脇から無数のマネキンに見下ろされている状況が気に入らなかった。

 物言わぬ人形が、アインを見て見ぬふりしている同僚たちと重なったから。

 浮かべた表情とは裏腹の感情を抱きつつ、表面だけを取り繕う人間たち。

 利用するだけ利用して、都合が悪くなれば掌を返す。

 あんな連中と同じことだけはしたくない。

 そんな連中を連想させるマネキンたちが気に入らない。いっそのこと、打ち崩してやろうかと誘惑されたときだった。


 カシャーンと皿を割ったような澄んだ音がしたかと思うと、掻き消すかのようにガラガラと硬い物の崩れる音が部屋に響いた。

 一体何事かとアインは音の出所を探した。

 音が反響している所為で、咄嗟にはどこから聞こえて来たのか判断が出来なかった。

 また、そういう時に限って道は左右に分かれていた。

 右か左かと視線を走らせ、またもカシャーンと皿を割るような澄んだ音。


「右!」


 アインは走り出していた。

 その間にもカシャーン、カシャーンと皿を割るような音が続く。

 皿を割るような澄んだ音と、ガラガラと硬質的なものが崩れる音と、甲高い靴の音が静寂に包み込まれていた部屋の中をにぎわせる。

 音同士が反響し合う中、アインは走る。音の生まれる場所に向かって、何かが起きている場所に向かって。きっとそこへ行けば何かヒントを得られるかもしれないと思ったから。


 そして――

 音の発生源に辿り着いたとき、アインは見た。

 マネキンの山の一角に、大きな木槌を何の躊躇いもなく振り下ろすシュヴァルの後ろ姿を。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る