(3)
「……君、大丈夫かい?」
「!!」
問われた瞬間、アインは反射的に目元を擦り、猟銃を構えて相手を睨み付けていた。
ドアを押し開けて上半身を現していた男は、いきなり銃口を向けられて、眼を瞠って硬直した。
年の頃は二十代前半。背の高い精悍な顔つきの男だった。黒髪の短い髪に、太めの眉に青い瞳の持ち主。
「あなたは誰」
誰もいないと油断していた。あんなみっともなく大声を上げて泣いていた場面を見られたことに恥ずかしさよりも怒りが沸き起こる。
お陰で問い掛ける声は怖ろしく低いものだった。
対して男は動揺しながらも反論を口にした。
「そ、それはこっちの台詞だ。お前こそ何なんだ。ここには俺しかいないはずなのに、どっからお前は現れた?!」
そこのドアよ――とアインは素っ気なく答えて様子を窺う。
男の耳も鼻も手も、見える範囲に動物を連想するものはない。妖魔であれば何かしら動物の特徴が現れることから考えるに、相手は人間なのかもしれないと思いたいところだが、短時間であれば妖魔は完全なる人間の姿を取ることも出来る。よってアインは警戒しながら問い掛けた。
「私は『孤高の赤ずきん』。妖魔ハンターよ。あなたは妖魔?」
「人間だよ! ほら! 耳も手足も人の物だし、尻尾なんて生えてない!」
勘違いで撃たれて堪るかと言う勢いで、部屋から飛び出し全身を晒す。
無実を証明したい一心だろうが、むしろアインの中で疑惑が生まれた。
「だったらあなたは誰なの? ここが妖魔の屋敷だと言う認識はある?」
ある――と男はきっぱりと答えた。
「俺はこの屋敷に自分の意志で来たんだ」
「つまり、あなたがハイネスと言うことね」
迷わず発した言葉に、驚いたように息を呑まれる。
「その反応。間違いはないと言うことで構わないのかしら」
問い掛けに対し、ハイネスは明らかに警戒の色を滲ませてアインを見返した。
「どうして俺のことを知っているんだ?」
「簡単よ」
答えながらアインは銃口を下げて立ち上がる。
「あなたの救出依頼を受けたからよ。だから私はここにいる。解ったらさっさと一緒に帰りましょ」
「嫌だ」
即答だった。
怯えて慌てていた様子など微塵もない、きっぱりとした答えと表情を冷ややかに見返して、アインは『そ』と素っ気なく返した。
どうせこうなるとは思っていた。これまでも大抵の被害者は拒絶を露わにした。
故にアインはウサギの鞄に手を入れて、緑と黄色と紫の小瓶を取り出した。
「なんだそれは」とハイネスが幾分怯んだ様子で問い掛けて来る。
アインは三つを指に挟むと良く見えるように……いや、ハイネスの手が届くように足を進めた。咄嗟に近づかれた分、身を引くハイネスだが、相手が自分の胸より下までしか身長のない少女だと分かると、踏み止まって身構えた。
アインは見上げる。真っ直ぐにハイネスの眼を捕らえて問う。
「ここに三つの小瓶があるわ。好きなものを選んで」
「何?」
「選んで」
ズイっと腕を伸ばして、取りやすいように掲げれば、
「これは一体何なんだ」
不安そうに訊き返しつつ、ハイネスが手を伸ばした。
「これは眠り薬と痺れ薬と毒薬よ」
「は?」
出した手が弾かれたように引っ込められた。
「お前、なんてものを俺に選ばせようとしてんだ!」
まるで、触っただけで効果が発動するようなものを渡されたとでも言いかねない口振りに、些か眉間に皺を寄せ、アインは不快さをアピールした。
「別に触ったぐらいで効果は発動なんてしないわ。むしろ、中身を提示したことで選択するチャンスを貰ったと思ってもらいたかったわ」
「するか!」
全力の拒絶だった。
「何が悲しくて、そんな恐ろしい中身を知らされて選ばなきゃなんねぇんだ! ふざけるのも大概にしろよ!」
「ふざけてなんかいないわ。こうなることが予測出来ていたからこそ、持って来た物だもの。
有無を言わさず飲ませて連れ出されなかっただけありがたく思ってもらいたいわ」
「そっとしておいてくれることをむしろ願うわ!」
「で。どれにするの?」
「聞けよ人の話を!」
「そっちこそ、グダグダ言っていないで選んでほしいわ。
それとも、こっちが選ばなくちゃならないの? 意識を飛ばしている間に帰るか、体が痺れて身動き出来ない最中に帰るか、死にかけて動けなくなっている間に帰るかの三択よ? 個人的な嗜好もあると思うからあえて選ばせてあげようと言うのに、何がそんなに不満なの? ちなみに、動けなくなった後は、このロープで」
ウサギの鞄から取り出す。
「足を縛って、とりあえず引きずって帰るから、どっちにしろ意識が戻ってしまうかもしれないけれど、それは仕方がないと思って諦めて。
だってあなた、大きいもの。子供の私が背負って帰れるわけがないから。
一番いいのは自分の足でついて来てくれることだけど、無理でしょ?」
「当り前だ! 俺は自分の意志でここに来たんだ。どうしてまたわざわざ帰らなくちゃならない?!」
「だから、依頼を受けたからだと初めに言ったはずだけれど? 銃で手足撃たれて動けなくなる方が好みならそうするけど」
「ふざけるな! お前おかしいぞ? 本当に人間の子供か?」
「本当に人間の子供よ。ただ、少しだけ普通とは違うけれど。
でも、依頼を受けた以上は仕事を全うするわ。それがハンターだから」
「何がハンターだ。俺はその手には乗らないぞ」
「その手とは何の手?」
「騙されないと言ってるんだ! 俺を連れ戻そうなんて考える奴がいるわけがない! むしろあいつらは喜んでるだろうな!」
自虐的な笑みだった。破れかぶれな叫びだった。
アインは心底面倒くさいと思った。これだから誰も受けたがらないのだ。
それでもアインは『はいそうですか』と引き下がることは出来なかった。
並み居る大人たちの中で、唯一の子供であるアインに対して頭を下げたラチェットの想いを無駄にしないためにも。
ただし、夢や希望を持たせてやる気はサラサラなかった。
「当然、喜んでいる人間はいるでしょうね」
「ほらな」
「ただし、本気で心配している人間もいることは確か」
「嘘だ」
「嘘じゃない。だったらあなたは、私に膝を付いて頭を下げられる?」
「は?」
「ハンターだと名乗っても、到底信じられない小娘に、どうでもいい人間を助けてくれと頭を下げて依頼することは出来るのかと聞いているの」
「それは……」
真っ直ぐ見据えられて答え難かったのだろう。
ハイネスは少し後ろめたそうに口の中だけでもごもごと何事かを呟いて、
「それを私にした人がいた。だから私は来たの。真剣に、真摯に頼んで来たその人のために私は来た」
「……それは……誰だ?」
何かに縋るような声だった。
「ラチェットと言う人よ。灰色の髪をした人」
「嘘だ!」
否定の言葉は早かった。
「ラチェットは、今ここにいる! 俺と一緒にここにいる!」
「そう。それが、あなたが帰りたくない理由ね」
「どう言うことだ?」
「そのままの意味よ。あなたがこの屋敷から出て行かずに済むように、『シルバーラビット』があなたのために作りだした、あなたにとって都合のいい幻だってことよ」
直後、ハイネスは雷にでも打たれたかのようによろめいた。
「だから一緒に帰るのよ。あなたのことを本気で心配している、本物のラチェットと言う人の所に。あなたは自分が孤独だと決めつけた。決めつけて大切なものを見失っていたの。だから帰るのよ」
と説得しながら、アインは白々しいと自分自身の言葉に薄ら寒い物を感じていた。
言われてあっさりと帰るようなら、初めから自分の意志で出て行ったりはしないだろう。
これで答えを覆すのは、ただの甘ったれだ。攫われた上で誰かが助けに来てくれるかもしれないと期待するなんて馬鹿馬鹿しいことこの上ない。ただ単に見捨てられたくないのなら、プライドをかなぐり捨てて媚びを売ればいいだけの話なのだ。相手が喜ぶ話だけをして、相手が望む答えだけを口にして、相手の不興を買わないように注意して、自分を殺して尽くせばいい。それが辛くなければいくらでもそうすればいい。
だがアインは、そんな関係に何の価値も見出せない人間だった。
良いところは良い。悪い所は悪いと、高め合い忠告し合う人間関係を築く方がどれだけましか分からない。悪意を持って否定して来ているのか、本人のためを思って忠告して来ているのかぐらいは、言葉を向けられた方も分かるだろう。それが分からないような相手なら、早々に見切りをつける方が遥かに建設的だと思っていた。
勿論。極論を掲げている自覚はアインにだってあった。
アイン自身が極論を身に着けることで頭が固くなっているのかもしれないと言う危惧もある。
そういう決めつけちゃうところがアインの悪い所だな――と苦笑いを浮かべていたミリシュの言葉を思い出す。
思い出すときはきっと、自分も間違っている時なのだと言う自覚はあるが、どうしても上辺を取り繕うことに長けた人間たちを見ると苛立ちが募った。
他人任せな行為が気に入らなかった。
もしもこれで素直に帰ると口にした時は、一発殴ろうと固く心に誓いながらハイネスの答えを待てば、ハイネスは一瞬、今にも泣きそうな顔をして、頭を振った後にきっぱりと答えた。
「帰らない」――と。
よくぞ言ったと、アインは内心で褒めた。
褒めどころじゃないと言うことは充分承知の上で、見下げ果てずに済むと思えたことが嬉しかった。
しかし、結果だけ見れば厄介なことこの上ない。
ラチェットの反応といい、ハイネスの反応といい、おそらく互いに信頼しているのだろうと察するが、それでも帰らないと宣言した以上、一筋縄ではいかない。
だからこそアインは詰め寄るように一歩を踏み出した。
「そう言うと思ったわ」
「だったら俺を置いて帰れ!」
ハイネスがしつこく差し出されて来る小瓶の乗ったアインの手を打ち払う。
勢いに乗った三本の小瓶が、軽々と飛んで壁にぶち当たり砕け散る。
ハイネスはしまったと言う顔をしたが、アインの表情は微動だにしなかった。視線を逸らすこともしなかった。
その所為で、ハイネスは気圧されたかのように後ずさり、アインは引き寄せられるように足を踏み出した。手は既に猟銃へと掛かっていた。
「残念だけど」
ハイネスを追って部屋へと入る。服飾ギルドのアトリエを彷彿する内装を視界の端に捕らえながら、あくまでもハイネスから視線は逸らさない。
「残念だけど、あなたの意見なんて聞いてないの。私の依頼はあなたを連れ戻すことであって、あなたの望みを叶えることじゃない。薬が嫌なら仕方がない。手足を撃ち抜いて身動きを封じさせてもらうわ」
「じょ、冗談だろ?」
後ろ向きにジリジリと移動するハイネスが、顔色を悪くしながら問い掛けて来るが、勿論冗談などではない。
アインは引き攣った顔を向けるハイネスに向かって銃を構えた。
明らかにマズイと思ったハイネスを見ながら引き金を引く。
カチと間の抜けた音がした。
「あ、補充するの忘れていたわ」
先程ヴォルカース相手に撃ち尽くしたことを思い出し、舌打ちをしながら補充用の弾を鞄から取り出すと。
「ふ、ふざけるなよ!」
声を震わせた怒鳴り声が飛んで来た。
本当に撃って来たことにショックを覚えたのだろう。顔面を蒼白に染めて化け物でも見るかのような眼を向けて来るハイネス。
対してアインは、表情も変えずに淡々と告げた。
「ふざけてなんかいないわ。撃たれたくないなら素直に――」
と忠告している最中に、踵を返したハイネスが猛スピードで走り出していた。
アインは即座に装弾し、狙いを付けて引き金を引いた。
だがそれは、突然せり出した床によって防がれた。
ハイネス自身も驚いた顔をして振り返り、アインは思いっきり舌打ちを一つ。
部屋がハイネスを守ると言う知られざる現象に苛立ちが募る。
アインは走った。ハイネスは逃げた。
床や壁がせり出してゆく手を阻み、アインの目の前でハイネスが部屋のもう一つの出口と思われるドアに到達する。
駄目元で引き金を引き、自身も駆ける。障害物を躱し、必要以上に長い距離を走らせられた上で、ようやく辿り着いたドアの奥へと、アイン自身も飛び込んだ。
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