(4)


 正直アインは、出て来た男に眼を奪われていた。

 年の頃は二十歳前後。右側の髪を掻き上げたような短髪の髪型は黒。白い肌に鋭い眼。瞳の色は真紅で目尻が赤い。アインとの身長差は裕に四十センチ以上あるだろう。ファーの付いた黒いロングコートの下は黒いシャツに光沢のある黒いズボンに、ごついブーツで全身黒ずくめ。それでいてごてごてと派手なアクセサリーが首や手首にジャラジャラ付けられ、どう見ても真っ当な人間の纏う雰囲気ではない。


 だが、アインが眼を奪われたのはそんなことではなかった。

 怖ろしく整った顔でも、見上げるほどの長身でも、一見して細身だが、その実、鍛えられたしなやかな肉体を有していることでもなく、全てはその頭にあるもの。即ち――


「……うさ耳……」


 アインは愕然としながらも、呻くように言葉を紡いでいた。

 そう。男の頭には長い兎の耳が生えていたのだ。


「そ、それは、本物の耳なの?」

「つーか、どうやってここにやって来た?! ――って、え? 今なんてった?」


 黒ずくめの男が屋敷の中から漏れ出す光を遮って、訝しげに問い返して来る。

 アインは猟銃を構えたまま、もう一度声が震えないように問い掛けた。

 すると黒ずくめの男は自分の兎の耳を掴みながら、


「まぁ、本物だけどな。俺、妖魔だし」


 と、あっさりと認めた後、


「て言うか、お前は一体何なんだ、お嬢ちゃん。こんなところに独りでのこのこやって来るんだ。ただの人間じゃねぇんだろ? ハンターか?」


 と、幾分殺気を放ちながら問い掛けられて、アインは答えた。

 本物の兎の耳を有する妖魔の、アンバランスな可愛らしさと格好良さに感動すら覚えながら、それを外に出すことなく押し込めて、努めて平坦な口調で自己紹介をした。


「お察しの通り、私は妖魔を狩ることを生業としている『妖魔ハンター』のアイトゥーラ。

 またの名を『孤高の赤ずきん』――」

「孤高の? と言うことは、お嬢ちゃんが『あの狼』の――」


 その楽しむような、驚いたような口調だけで、黒ずくめの妖魔が自分の生い立ちを知っていると察したアインは、皆まで言わせずに用件を伝えた。


「私のことをご存知なら話は早い。無駄なことはしたくはないわ。一応念のために聞くけれど、ここは『シルバーラビット』の屋敷でいいのかしら?」

「ああ。間違いないぜ」


 と、黒ずくめの妖魔が扉にもたれ掛りながら肯定。

 その口調はどこか挑発めいたものが混じっていた。


「だとしたら、あなたは誰? どう見ても『銀(シルバー)』には見えないけれど」

「俺か? 俺はまぁ、そうだな。あいつがこの屋敷の主だとすれば、俺はこの屋敷の『管理者』だな」

「管理者?」

「そう。あいつはこの屋敷にいるだけ。掃除も片付けも何もしない。俺がやらなきゃアッと言う間にあいつはこの屋敷に埋もれちまうだろうな」

「そう。だったらあなたに用はないわ。私が用のあるのは『シルバーラビット』……いえ、昨夜『シルバーラビット』が連れ去った人間よ。ここが『シルバーラビット』の屋敷で、あなたがここの管理者なのだとしたら、当然居るはずね?」

「まぁ、そうだろうな」

「だったら今すぐ返しなさい。返してさえくれれば暴れたりはしないわ」

「そいつは愚問ってもんだぜ、お嬢ちゃん」

「馬鹿にしないで。私の名前は『お嬢ちゃん』じゃないわ」

「あー。じゃあ、何だっけ? アイちゃん?」


 と何気に黒ずくめの妖魔が呼んだ瞬間だった。

 アインの構えていた猟銃が轟音を轟かせて火を噴いた。

 バギャンと黒ずくめの妖魔の顔のすぐ横に炸裂弾が着弾。開けられていた扉の上半分が物の見事に破壊され、破片が容赦なく黒ずくめの妖魔を襲った。


「ば――馬っ鹿じゃねぇの?!」


 木っ端微塵に吹き飛んだ扉を見た瞬間、白を通り越した蒼い顔を向けて黒ずくめの妖魔が叫んだ。


「名前間違えた程度でいきなりぶっ放す奴があるか! そんな危ないものはお兄さんに寄越しなさい! これだからお嬢ちゃんのような子供に銃を持たせるとろくなことがないんだ――って、はい。とりあえず俺の顔に標準合わせるの止めようか?」


 怒りも露わに猟銃を奪おうと近づいて来た黒ずくめの妖魔が、両手を軽く上げて足を止め、引き攣った笑みを浮かべながら棒読みで提案して来た。

 しかしアインは、聞く耳など持たずに冷え切った眼で黒ずくめの妖魔を見上げて、きっぱりと告げた。


「私を『アイ』と呼ばないで。この世で最も嫌いな言葉だから。虫唾が走って思わず指が動いていたわ。ごめんなさい」

「って言うか、全く悪いと思ってないだろ、お嬢ちゃん」

「そうね。思っていないわ。あなたに兎の耳が生えていなければ……その耳が似合ってなどいなければ、その頭を吹き飛ばしていたところよ」

「は? 耳?」

「とにかく、私の用件を可及的速やかに終えてくれないかしら?」

「無視か? 無視なのか? これだから躾のなっていないお子様は……親の顔が見てみてぇぜ。いったいどんな躾をして来たんだか」

「妖魔が躾のことをぶつくさ言うとは思いもしなかったわ。

 でも残念。私には親がいないの。だから躾云々もされた覚えがないの。だから、それ以上くだらないことを言うと、いくら耳が似合っていても、次はあなたの頭があの扉と同じ目に遭うわよ」


 だとしても、どうせ日にちが経てば復活するでしょうけどね――と内心で不満をもらせば、


「冗談。後で復活すると分かっていても頭吹っ飛ばされたいとは思わねぇよ」


 あっさりと黒ずくめの妖魔に銃口をずらされて固定された。

 そのまま黒ずくめの妖魔に首を絞められる。右手だけで余裕でアインの首は絞められた。


「おいたはここまでだぜ、お嬢ちゃん」


 躰を屈め、端正な顔に危険な光を瞳に宿して脅しを掛けて来る。


「俺が今右手に力を入れれば、お嬢ちゃんの細い首はあっさり折れるだろうな。

 するとどうなるか分かるか? 人間は、死んでも復活なんて出来ないんだぜ?」

「知っているわ」とアインは返した。


 お陰で黒ずくめの妖魔の勝ち誇った笑みが不可解なものへと塗り替えられる。


「本当に解ってるのか? 死ぬんだぞ?」

「そうよ?」

「だったら、どうしてお嬢ちゃんは怯えない?」

「あら? 怯えているようには見えないかしら?」

「俺の認識力に異常がない限りは、どこからどう見てもお嬢ちゃんは怯えているようには見えないがな」

「正解よ」

「正解かい」

「ええ。そうね。だって私は――勝てるもの」


 刹那、黒ずくめの妖魔は絞めていた手を放して大きく仰け反っていた。

 アインがブーツの踵を大きく鳴らした次の瞬間、黒ずくめの妖魔の躰を駆け上がり、ブーツの爪先に仕込んでいた隠しナイフで喉元を突き刺そうと足を蹴り上げたから。


 仰け反っていなければ、間違いなく顎の下を貫いていたはずのナイフは、しかし宙を虚しく切り裂くだけで。

 それでもアインは後方へ宙返りすると、黒ずくめの妖魔の拘束から解放された。


 黒ずくめの妖魔が一歩よろめく。その顔には驚きと苛立ちが浮かび、アインは着地した瞬間、開け放たれたままの屋敷に向かって疾走した。

 屋敷に入ってしまえばこっちのものとしか考えていなかった。

 だが、


「させるか!」


 敷居を跨いだと思ったとき、アインは自分の細い腰に力強い腕が巻き付くのを感じていた。

 そのまま強引に抱きすくめられる。


「――っとに、油断も隙もあったもんじゃねぇな」


 見上げれば、どうしてやろうか、このガキ……と言わんばかりの表情で見下ろして来る黒ずくめの妖魔の顔。

 アインは猟銃ごと抱きしめられたまま、無表情に見上げ返した。

 その眼にふと、黒髪が映り込む。

 短髪の黒髪かと思いきや、襟足だけは長くしているのだと発見するも、今回の依頼に何も関係がないと自分自身に突っ込む。


「放してくれないかしら」


 アインは無駄だと知りつつ提案してみた。


「無理だろう」


 案の定、顔を引き攣らせた黒ずくめの妖魔に否定された。


「そう」


 と呟いて、アインは考えた。どうすれば屋敷の中に入れるか。

 いっそのこと泣き落としを使うか。それとも怒鳴り付けて暴れてみるか。さもなければ誠心誠意お願いしてみるか。そうでなければ、


「結局力づくで突破するか……」と考えて、

「だったらそう言うことは口に出さずに結論出せよ」


 呆れ返った声が降って来た。


「あ。今私は口に出してたかしら?」

「白々しい。態とだろうが」

「良く分かったわね」

「否定しろよ。頼むから」

「知ったことじゃないわ」

「て言うか、どうしてお嬢ちゃんはこんなに肝が据わってるんだ? 普通妖魔に身動き封じられたら身の危険を感じて怯えるもんだろうが」

「でしょうね」

「だったら――」

「私が『普通』じゃないと言うことでしょうね」

「……」

「だって私はハンターだから」

「ああ……そう言うことね」

「他にどう言う理由が?」

「まぁ、いいけどよ。つまりあれか? こんな密着した状態で、猟銃をぶっ放すと自分も死にかねない状態で、その上さっきみたいに蹴り上げることも出来ない状態にも関わらず、それでも俺をどうにか出来る自信があるからこそ、そんなに落ち着いていられるって言う無言の主張でもしてるのか?」

「そうよ――と言ったらどうするの?」

「このまま息の根を止めてやるが?」


 と、実際締め付けを強くして答えられるが、アインにしてみれば想定内。

 だから落ち着き払った声でアインは告げた。


「それでも私一人で死にはしないけれど」

「……どう言う意味だ?」

「道連れ――と言う意味よ」

「いやいや。それは無理だろ。無理心中したところで俺は蘇る。お嬢ちゃんは死ぬ」

「そうね。でも、封じられたらとしたら、どうする?」

「――」


 どこか呆れを漂わせていた黒ずくめの妖魔の顔に、初めて警戒の色が過ぎった。


「どう言う意味だ?」

「そのままの意味よ。あなたたち妖魔は死にはしない。でも、封印されたら二度とこの世で動き回ることは出来ない」

「でも、そうそう簡単に封印なんて出来ないだろ?」

「そう。だから命と引き換え」

「はったりだろ?」

「そう思う?」


 冷めた顔で、平坦な声で、黒ずくめの妖魔に答えれば、


「……いや。お嬢ちゃんの心音に変化は見られない。少なくともはったりかます奴は心音に変化が出ていたからな。お嬢ちゃんの言うことは本当だろう」


 諦めたように肩を竦める。


「だったら話は簡単ね。引き受けた依頼をこなせないのなら死んだ方がまし。でも、無駄死にだけはまっぴら。だから、私を殺すなら殺してもいいけれど、その代りあなたの自由を永遠に奪ってやるわ。私は封印なんてされたことはないけれど、一体どういう状態でその永遠をたった独りで過ごす羽目になるのかしら? 身動きは出来るのかしら? 物を見ることは出来るのかしら。拘束されているのかしら? 何かしらの責め苦を味わい続けるのかしら? 封印から抜け出る方法はあるのかしら? 滅ぶことが出来るのかしら? あなたは――」

「ストップ! ストップ、ストップ。もういいから。分かったから。俺の負けだ」


 淡々と言葉を紡ぐアインの言葉を遮って、黒ずくめの妖魔はアインを自由の身にした。


「あら。私を殺すんじゃなかったの?」

「と言うか、少しは自分の命を惜しんだらどうなんだ。まだまだ人生これからだろうに。お兄さんは心配になって来たよ……って、そんな嫌そうな顔するなよ。妖魔だって傷つくんだぞ。せっかく心配してやったのに」

「あらごめんなさい。心配されることなんてもうずっと――」


 ない……と言い掛けて、アインは途中で言葉を飲み込んだ。


「? どうした?」

「別に」


 問われてアインは言葉を濁す。

 心配されることなどなくなったと言い切ることは簡単だった。

 だが、フルフレアが許してはくれなかったのだ。


「とにかく。私を殺すことを諦めたのだとしたらどうするの?」


 頭の中から、泣きそうな顔して心配して来るフルフレアの顔を追い出して問い掛ける。

 対する黒ずくめの妖魔は、両肘を曲げて降参を示すとニヤリと笑ってこう言った。


「好きにしな」


 アインは小首を傾げて補足を促した。


「だから。好きに入ってもらっても構わないって言ってんだ。

 殺してやろうかって言えば封印してやるって脅し返されるし、他の方法で足止めしようとしても、下手すれば壁ぶち抜いて侵入されそうだし。壊された屋敷直すのも面倒だからな。

 好きに捜して見事見付けられたら連れて帰ればいいさ。どうせ大体が失敗して独りで帰る羽目になることは目に見えているからな」

「じゃあ、いいのね」

「ああ。いいさ。別に俺は屋敷の『番人』じゃないからな」

「ただの『管理者』なのよね」

「そうそう。だから命を懸けてまで侵入者を足止めする必要はない訳。

 でも、管理しているところを荒らされるのは好きじゃないからな。一応足止めして忠告して、穏便に帰っていただく努力ぐらいはするんだよ」

「そ。お疲れさま」

「せめてその言葉にもう少し心が籠って、顔にガッツリと感情を表して言ってくれたら、お兄さんは少し報われた気がするんだがな?」

「そ。それは期待するだけ無駄だと答えておくわ」

「ですよねー。分かっていたんだが、もう少し子供らしく笑って見せて欲しいもんだな。可愛い顔がもったいな――はい。黙ります」

「ありがとう。無駄玉を使わずに済んで嬉しいわ」

「つーか。安定の棒読みが泣けてくるねぇ」

「じゃあ、そろそろ茶番は終わりにして、お邪魔させてもらうわ」


 と、ブツブツ不満を漏らす黒ずくめの妖魔に背中を向けて、明るく照らされた玄関へと足を踏み入れるアイン。

 その背後で、黒ずくめの妖魔が恭しく頭を下げて見送った。


「――精々暇潰しになるぐらいのことはしてくれよ」


 その眼は暗く、口元の笑みは深かった。


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