(3)

 そして――


「ねぇ、やっぱり考え直さない?」


 ラチェットが正式に契約書にサインをしたころ、霧が出たことで『シルバーラビット』の出現を警戒し、町の中を見回りに出ていたハンターが、『シルバーラビット』の屋敷が現れたと報告して来た場所に向かう馬車の中。

 付いて来るなといくら忠告しても頑として聞き入れなかったフルフレアが、向かい合わせに座りながら十数度目となる提案を口にした。


 正直アインは、フルフレアのしつこさに辟易していた。

 別にフルフレアとアインは姉妹でも何でもない。親戚関係なわけでもない。

 確かに、昔は歳の離れた姉のように感じていたことは認めるが、今となっては、フルフレアはギルドマスターの娘でしかない。頭の中ではフルフレアにまでこんな態度を取る必要はないと分かってはいるが、どうしてもフルフレアにだけ昔のように接すると言う器用な真似は出来なかった。

 気を許してしまえば最後、ぎりぎりで堪えている何かが壊れてしまうような気がしていたから。だからアインは、殊更フルフレアには素っ気なく冷たく接していると言うのに、


「だって絶対危ないよ。今ならまだ間に合うわ。ブラフさんと一緒に行くべきよ。うん。絶対その方が良いとあたしは思うわ」

「何を言っているの。ブラフが私と一緒に来たら、あなたは一体どうするの?」

「え?」


 溜め息交じりに問い返せば、フルフレアはキョトンとして瞬き一つ。

 アインは目眩を堪えるかのように一度強く目を閉じた後、根気よく感情を押さえ付けて説明してやった。


「ブラフはこの馬車を走らせてくれている。それも、本来なら付いて来る必要なんてなかった人よ。あなたが私について来ると駄々を捏ねなければ、私を乗せた馬車を走らせたりはしなかった。そんなブラフが私と一緒に『シルバーラビット』の屋敷に向かっている最中、あなたを守る人は誰もいない」

「あ……」


 小さく声を上げてサッと血の気を引かせた様を見て、ようやく理解したかと内心でほっと息を吐く。


「分かったなら話は早いわ。この話はこれで終わりにして、私が諦めることを諦めて」

「あ、でも! あたしが一人残ることが危ないなら、あたしも一緒に――」

「却下」


 皆まで言わせずに断言する。

 どうすれば自分から離れてくれるのだろうかと頭を悩ませ、何とかアインの考えを変えさせようと唸りながら首を傾げるフルフレアを見下ろして溜め息を吐く。


「いっそのこと、当て身でも喰らわせて黙らせてしまった方が早いのかしら?」

「え?」

「?」


 問い返されて、アインは小さく驚いた。内心で呟いたつもりが口を吐いて出ていたのだと知ったから。

 だが、聞かれたのだとすれば話は早いとばかりに、殊更冷めた視線を向けて、アインは冷たく言い放った。


「聞こえたでしょ? 私にはもう後戻りする気はない。だから、これ以上口喧しく引き留めようとするなら、ここで静かになってもらうわ」

「そんな……どうしてそんな酷いことを言うの?」


 さすがのフルフレアも傷付いたのだろう。眉根を寄せて涙を滲ませた。

 アインの中でもチクリと胸を刺すものがあったが、そこはそれ。

 アインは薄っすらと口元に笑みを湛えて止めを刺す。


「あなたがいつまでも聞き分けがないからよ」


 言われてフルフレアは唇を噛む。

 アインはその顔から眼を逸らすようにそっぽを向いて。


「着いたぞ」


 苛立たし気な声が御者台から聞こえて来たのはそんな時。

 ちょうど良かったとばかりに、アインはさっさと馬車のドアを開けると、白い霧に埋め尽くされた森の中へと足を下ろした。


 ドアを閉める直前、フルフレアの縋るような呼び掛けの声が聞こえたが、アインは振り返ったりはしなかった。

 閉めると同時に馬車がさっさと動き出す。

 それが、ギルド『チェイン』においての、今のアインに対する感情だった。


 今更傷つくような心は残っていないし、どこまでも気に入らないとは思うが、それはお互い様だと言い聞かせる。

 アインは妖魔の作り出した霧を大きく鼻から吸い込み、ゆっくり長く口から吐き出した。

 それをもう一度繰り返し、最後に大きく息を吸い込み、さて――とアインは気持ちを切り替えた。ウサギの鞄からランプを取り出しマッチで火を点ける。

 霧の中にほんわりと光が映り、ぼんやりと光りが拡散する。肩に掛けた猟銃を掛け直し、アインは霧の中へと足を進めた。


 真っ白な世界だった。森を構成している木々の影すら目の前に立たなければ認識出来ないほどに濃い霧の中、前後左右の区別は付けようもなく。

 もしも今ここで立ち止まり、眼を閉じて一回転でもしようものなら、自分がどこから来たのかハッキリと断言出来る人間は少ないだろう。


 そもそも、真っ直ぐに歩いているつもりでも、本当に真っ直ぐ歩いているのか怪しいものだった。それでもアインは迷うことなく足を進めていた。

 足元も真っ白で、何が地面に落ちているかも分からない。下手をすれば次の一歩が崖下へとアインを誘うかもしれない。だとしても、まるで視界の利かない白い世界で、目的地などまるで見えない世界で、アインの足が止まることはなかった。


 何故なら、アインには解っていたからだ。自分が向かうべき場所がどちらにあるのか。

 時折スンスンと、動物がにおいを嗅ぎ分けるかのような仕草を見せ、方向を微調整して行く。

 アインは妖魔のにおいを嗅ぎ分けることが出来た。

 と言っても、甘い匂いがするとか、不快な臭いがしているわけではない。強いて言うなら『気配』。アインは妖魔の気配を、表現のしようのない『におい』として捉えて、常に的確に妖魔の位置を割り出して来た。


 ただ、こういう特殊な能力は何もアインに限った話ではなく、ハンターの多くは大小に関わらず何かしらの特殊な能力を有していた。いや、有していなければハンターになどなれはしないと言うのが現状であり、だからこそハンターの仕事を続けられているようなものだった。


 実際、妖魔の位置を割り出す能力がなければ霧に隠された『シルバーラビット』の屋敷を見付けることなどほぼ不可能だっただろう。そう言う意味でも、この仕事はアインにうってつけのものだった。

 だからこそアインは進み続けた。徐々に濃くなる『におい』を辿り――唐突に霧を抜けた。


 拍子抜けするほど突然の終わりだった。

 それまで眩しいほどに白い世界を歩いて来たアインの視界が一瞬暗闇に囚われる。

 反射的に目を閉じて頭を振る。振ることに何の意味があるのかと自問しながら目を開けて、ランプを持った右手を掲げれば、頼りないランプの明かりに照らされて、蔦の絡まった格子状の門が浮かび上がった。

 チラリと背後を振り返れば、闇夜にもはっきりと見える白い霧の壁。それがぐるりと屋敷を取り囲むように円を描いているのを眺め、改めてランプを掲げて見る。

 霧とは違い、発光していない屋敷は完全に闇と同化していた。

 ランプの光量では門の様子は見て取れても、その奥の屋敷そのものを見通すことは不可能。

 アインは堂々と舌打ちをした。

 照明弾も持ってくればよかったと思ったのだが、今更思ったところで後の祭り。

 仕方がないとばかりに溜め息を吐いたアインは、おもむろに左手を伸ばし、門を形作る格子の一本をしっかりと掴むと試しに軽く揺すってみた。


 しかし門はガチャガチャと迷惑そうに鳴るだけで、アインのために開いてくれる気配など見せてはくれない。

 だったらと、今度は体重を乗せて前後に揺すってみたが、抗議の声が大きくなるだけで、門はアインの侵入を許したりはしなかった。


 まぁ、当然だろうとアインは納得する。門と言うものは屋敷の中の住人を外部から守るための第一の関門なのだから。これがあっさり開くようならば門の必要性を『シルバーラビット』へ問わなければならない――と、考えて、アインはふと格子を掴んだまま体を横に傾けた。右に傾けて思いっきり踏ん張る。次に左に向けて思いっきり踏ん張る。

 しかし結果は何も変わらず。


「……ふむ。一応スライド式でもなかったようね」


 念には念を入れての確認作業を終えたアインは、想定内だと言わんばかりに一度頷くと、ランプをさっさと地面に置いてポンチョの中に両手を入れた。そして――再び取り出した両手には、腰に巻き付けてあった鉤爪付きの投げ縄が。

 アインはさして表情を変えないままに右手で縄を回し始めた。

 先程ランプを翳して門の高さがどのくらいかは確認していた。

 闇夜と言うこととランプの頼りない灯りと言う点からも推測の域は出ないが、少なくとも門の高さは三メートル程だろうと見当付けながら、思い切りロープを投げる。


 門の形はアーチ型ではなく、地面と水平になっているタイプ。上手く行けば鉤爪が引っ掛けられる。せめて後十センチほど広ければ、格子と格子の間をすり抜けられそうだったが、出来ない以上はロープを利用する方が断然早い。

 カンカンカンと、鉤爪が何度か格子に当たる音がして、程なくガツリと固定された音が聞こえて来れば、何度かロープを引っ張った後、アインはランプを口に銜えてロープを登り、見事門の内側へと降り立った。


 降りた後は今後の事も考えてロープを回収。歩きながらロープをまとめてウサギの鞄へしまう頃、アインは屋敷の玄関へと辿り着いていた。

 ランプを翳してざっと周囲の様子を確かめるも、特に気になるようなものは何もなかった。

 ただ扉には大きなウサギの顔が彫られていて、その口元にニンジンの形のドアノッカーが付けられているのを見たとき、思わずアインは眼を見開いて飛び付いていた。

 自分の部屋にも欲しいと思ってしまったのだ。


 だが、直ぐにハッと我に返り、反射的に辺りを見回す。

 確かめるまでもなく誰もいないことは解っていたのだが、確かめずにはいられなかった。

 とりあえず、誰にも見られていなかったことにホッと胸を撫で下ろしながら、アインはニンジン型のドアノッカーを叩いた。


 コンコンコンと良い音がした。


「………………」


 もう一度コンコンコンと鳴らす。


「…………」


 アインは、無言のままにドアノブを握ると、力一杯ガチャガチャと回しながら扉を押したり引いたりしてみた。

 しかし、しっかりと鍵がかかっているらしく、少しも開く気配がない。


「……妖魔のくせにどこまで人間染みているのかしら」


 分かっていたこととは言え、呟かずにはいられなかった。

 仕方がないので、今度は乱暴に扉を蹴り始めてみる。そうすれば、さすがの『シルバーラビット』も騒ぎを聞きつけて出て来るかもしれないし、あわよくば扉を壊せるかもしれないと思っていたのだが、結果は失敗。


 まぁ、そんなものだと再確認したアインは、仕方がないとばかりに、やや憮然とした表情を浮かべながら猟銃を構えた。

 出来ることなら穏便に済ませたかったが仕方がない――と内心で呟きながらオリジナルの炸裂弾をぶち込むために引き金に指を掛け、今まさに引き金を引こうとしたとき、


「誰だァ~さっきからドンドン・ガンガン扉叩いてるのはぁあああああって、何してんだてめぇは!」


 心底面倒くさいと言わんばかりの口調で、今まさに寝起きだと主張するかのように欠伸を仕掛けていた住人が、アインのやろうとしていることを目にして悲鳴を上げた。


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