(2)


『妖魔』が住まう国『ハウラ』。

 その国では夜な夜な妖魔が現れて、人々に悪さをしていた。

 家の戸口に悪戯をするものから、人を攫って殺すものまで被害は様々。

 いつから妖魔が現れたのか正確に知る者はいない。ある歴史家は国が出来た頃からと言い。

 ある歴史家は妖魔を封じ込めるためにこの国が出来たと主張した。

 

 どちらの主張が正しいのか、人々がハッキリと知ることはない。

 人々がハッキリと分かっていることは、夜になると妖魔が現れ、普通の人間には倒すことが出来ないと言うこと。

 妖魔を倒すことが出来る存在を『ハンター』と呼び、そのハンターが所属するギルドが国のいたる所に存在していると言うこと。

 妖魔は人の形をしていながら何かしらの動物の外見的特徴を有し、たとえ倒したとしても、時が過ぎれば復活すると言うこと。

 妖魔から身を守るためには、日が沈んでからは決して外を出歩かないこと。

 戸締りをしっかりとすること。それさえ守れば妖魔の被害に遭うことはない。


 だが、被害がなくなることはなかった。度胸試しか絶望してか、自ら闇夜に踏み込んで姿を消す者も後を絶たず、自然とハンターたちの仕事は尽きることはなかった。


 今回、アインが所属する妖魔ハンターギルド『チェイン』に持ち込まれた依頼は、霧に紛れて現れる『シルバーラビット』に攫われたハイネスを助け出して欲しいと言うものだった。

 早朝。ギルドがまだ閉まっていると言うにも拘らず、ラチェットと名乗る青年は現れた。

 扉を叩き壊さんばかりに叩かれて、ギルドマスターは初め、妖魔が殴り込みに来たのかと思った。他にも泊まり込んでいたハンターたちが、何事かと玄関に集まって、手に手に武器を携えて、えいやと扉を開けると、ラチェットは勢い余って転がり込んで来た。


 外見は人間でも、妖魔が化けていることもある。油断なくハンターたちは武器を突き付けて警戒していると、顔を上げたラチェットは言葉通り飛び起きて、尻を付きながら大きく後退して両手を上げて弁解した。


「ま、待って下さい。済みません! 怪しい者ではありません! 俺は服飾ギルド『フリル』の職人でラチェットと言います。夜も明け切らぬ内に来たのは、昨夜仲間のハイネスが『シルバーラビット』に攫われて、それで、助けて欲しくて来たのです!」


 その瞬間。ギルドの中は何とも言えない雰囲気に包まれた。


「あ、あの……」


 その思いも寄らない反応にラチェットが困惑気味に訊ねる。

 無理もない。妖魔の被害が出たと聞けば、ハンターだったら誰もが親身になってくれると思って来れば、自分を見下ろすハンターたちが、互いに顔を見合わせて顔を顰めているのだ。戸惑うなと言う方が無理と言うもの。


「……えっと、こちらはハンターギルドで良かった……ですよね?」


 武器を手にした男たちを見上げて問い掛ける。その顔は今にも泣き出しそうな不安なもの。

 まさか妖魔退治の専門のハンターが、互いに顔を見合わせて苦々しい顔をするとは想像すらしなかったのだから仕方がない。


 だが、ハンターたちが思わず顔を見合わせたくなる事情と言うものもあった。

『シルバーラビット』と言えば、深い霧の立ち込める夜に現れる妖魔の一種。

 孤独に苛まれ、彷徨う人間を自ら暮らす屋敷へと連れ帰り、二度と人の世に返すことはないと言われている妖魔だった。


 だとしても、攫われてしまえば百パーセント助け出せないのかと言えば、そう言うわけでもない。もしも連れ去られたら最後、決して助け出せないのだとしたら、誰もハンターに救出要請をしに来ることはない。


 しかし実際は、連れ帰ることも不可能ではなかった。『シルバーラビット』の屋敷に乗り込んで、連れ去られた被害者を連れ戻すことは出来るのだ。

 ただ、連れ去られた本人がハンターと共に帰ることを強く拒むことが多かった。

 元来、人間関係で問題を抱え、全ての関わりを絶った者が攫われるのだ。

 攫われたその先で、屋敷にさえ居れば――『シルバーラビット』の傍にさえ居れば、自分は孤独を感じずに済む。自分を見捨てたあんな世界に戻る理由が一つもない。

 自分はこの世界から出るつもりはない。悪いが独りで帰ってくれ。

 

 決して安全とは言えない危険な思いをしながらようよう辿り着いて見れば、肝心の被害者から拒絶されることが多かった。それこそ、『シルバーラビット』絡みの誘拐事件は九割方がそう言う結末を迎える。

 故にハンターたちは、『シルバーラビット』の誘拐事件を余り快く思っていなかった。


 だとしても、救出を望んでやって来る依頼人には関係のないことだった。

 ある日突然、顔を合わせるのが当たり前だと思っていた人間が連れ去られるのだ。

 自分は親しいと思っていた相手が、何でも打ち明けてもらえる相手だと思っていた相手が、実は違ったと突然突き付けられるのだ。

 自分は相手にとって何だったのかと戸惑い混乱し、何かの間違いであって欲しいと、やり直させて欲しいと。苦しんでいたのなら助けさせて欲しかったと。そのチャンスを与えて欲しいとハンターギルドにやって来る。


 片や、助けに行ったところで攫われた本人が帰ることを拒み、時に激しく抵抗されて不利益を被るハンター。

 片や、失って初めて相手がどう言う状態にあったのかを知り、焦る依頼人。

 両者の間にある、目に見えるほどの温度差は、どうしたところで消せるものではなかった。

 だからこそ、『シルバーラビット』の被害を訴える依頼人に、ハンターは必ず口にする言葉があった。


「あー、悪気はないんだが一応確認な。本当にそいつは『シルバーラビット』に攫われたのか? 自分の意志で出て行ったんじゃなく?」


 勿論。そんなことを口にすれば、依頼人の大半は口を揃えてこう言った。


「あれだけの霧が出ていた夜に出て行ったんだ! 帰って来なければ妖魔の仕業に決まっている!」


 実際ラチェットもそう言った。


「あいつは孤独なんかじゃない! 孤独だと思い込んでいただけなんだ。お願いします! どうかあいつを救って下さい!」


 膝を揃えて床に座り込み、両手を付いて頭を下げる。

 その上で、ハンターたちは互いに面倒くさそうな顔を見合わせた。

 その顔は如実に語っていた。


 相手を追い詰めたのはお前たちだし。霧の夜に自ら出て行って攫われたのなら自業自得だろうが……と。

 気持ちは分からないでもないが、諦めてくれないものか……と。


 それを階段の上から見下ろしていたアインは、自分が冷めて行くのを感じずにはいられなかった。


 所詮あなたたちは自分のために妖魔ハンターをしている利己的な人間なのだと、罵らずにはいられなかった。

 だからアインは階段を下りながら言ったのだ。


「その依頼。私が独りで引き受けるわ」

「本当ですか?!」


 希望の滲んだ声が、ハンターの壁の向こうから聞こえて来た。

 それを合図に、ハンターの壁が割れてラチェットまでの道が出来る。

 お陰でアインにもラチェットの顔が良く見えた。

 希望を浮かべたラチェットの顔が、アインの姿を見て、見る間に落胆する色をハッキリと。


 またか――と、アインの中に苛立ちが生まれる。

 しかし、こればかりはどうしようもないことだと理解はしていた。

 当然だ。アインを見るまでラチェットの目に映っていたのは、見るかにハンター然とした男たち。対するアインはどう見ても十三歳以上には見えない小柄な少女の姿をしていたのだから。


 赤いフードの付いたポンチョ。その下から覗くのは膝下までのふわりとした赤いスカートに茶色いブーツ。

 金色の髪は左右で三つ編みにして胸元に垂らし、大きな青い瞳にふっくらとした頬。にこりと笑えば釣られて微笑みたくなる人間も少なからずいるだろうに、浮かぶ表情は冷めたもの。


 もしもアインが笑顔で気軽に『引き受けます』などと口にしていたなら、きっとラチェットも冗談だと笑い飛ばすことも出来ただろうし、話を合わすことも出来ただろう。

 しかし、アインの口調にふざけたものはなかった。表情にもなかった。少女特有の明るさも無邪気さも欠片もない。どこか研ぎ澄まされた刃物のような雰囲気を纏ったアインの登場ではあったが、想像を裏切る幼さに、どうしたところで不安は隠し切れるものではなかった。


「あなたが私の外見を見て不安を覚えるのはどうしようもないわ。

 でも、これでも私はれっきとしたハンターよ」


 膝を折ったラチェットの前で腕を組み、冷めた目で見下ろして、抑揚のない声で宣言すれば、ラチェットは救いを求めるように他のハンターへと視線を向けた。

 これもいつものことだった。十人いれば十人が必ず取る行動。

 どれだけ腹立たしいと思っても、自分が反対の立場なら同じことをするだろうと思えば怒鳴ることすら出来やしない。

 すると誰かが口を開く。

 時に嫌々。時に面倒くさそうに。時に後ろめたい口調で。冷めた口調の時もあれば、忌々しそうな口調の時もあるが、必ず誰かが口を開く。


「そいつの言っていることは本当だ。そんな見た目をしちゃいるが、このギルドでもトップクラスの実力を持っている。『孤高の赤ずきん』と言えば妖魔ハンターの中でも知られた名前だ。実力は保証する」

「ほ、本当なんですか?」


 一人の証言では俄かに信じ切れなかったのだろう。更に念を押して来るラチェットに対して、まばらに頷く気配を感じた。

 それでもラチェットは妖魔にでも騙されているかのように呆けた顔をアインに向けたままだった。故にアインは断言する。


「信じたくないのなら信じなくてもいいわ。でも、このギルドであなたの望む結果をもたらすことが出来るのは、残念ながら私だけよ。だからあなたは選びなさい。私に賭けるか他に賭けるか。私はどちらでも構わない」


 傍から見れば滑稽極まりない光景だったかもしれない。

 幼い少女に仁王立ちされて見下ろされ、情けない顔をして膝を付いている青年と言う光景は。

 ラチェットが葛藤も露わにアインと他のハンターの顔を見回して、やがて覚悟を決めたように勢いよく頭を下げてこう言った。


「お願いします! 俺の仲間を……相棒を、どうか連れ戻して来て下さい!」


 誰一人、自分に任せろと口にしてくれないハンターに見切りをつけたラチェットの願いを、アインは『分かったわ』と簡潔に答え、晴れて正式にラチェットは依頼手続きを交わすのだった。

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