終末と真実
その夜、俺はことのあらましを職員に電話した。やり場のない感情をどこかにぶつけなくては気が済まなかったのだ。
「モテるなんて大嘘じゃないですか。好きな女にドン引きされて、滅茶苦茶ですよ」
俺は涙ながらに想いの丈を電話の相手にぶつけた。
少しの間があり、職員は優しい口調で言った。
「それは非常に残念でしたね。私も自分のことにように心苦しく思います。失恋という傷は簡単に直るものではありません。いや直せないものです。例え他の女と付き合おうとも一生心に抱え続けるものです。その気持ちは自分もよく分かります」
独りで歩く街の明かりはぼやけ、耳と携帯の間に涙が染み込んでゆく。こんなことを言っても仕方ないことはよく分かっていた。
「しかしご自身の胸に手を当てて考えてみてください。ずっとマスコットは意識できていたでしょうか?途中、意中の相手を想う余り『男性として認められたい』という欲求が漏れ出ていませんでしたか?ライバルの登場に焦り過ぎていませんでしたか?『ヒガムカセ』の『ガ』の合言葉は守れていましたか?それが今回の失敗に繋がったのです。私はあえて厳しく言わせていただきます。今回の失敗の一番の原因は私が初日の講習、基礎編でお話しした最も重要な、核となる部分を守れていなかったことにあります。私は言いました。『生存戦略として母性本能をくすぐるマスコットを演じてください』と。その為に見た目を整え、キャラクターを作っていただき、本番に備えて入念に準備をしていただきました。初めに見た目に意識を向けていただいたのは、各々に越えてはならないラインを設定していただく為です。そこが最も重要なこだとからです。分りますか?あなただけにお知り合いを連れて来るようにお伝えしたのも貴方のは越えてはならないラインを独りで突っ走ってしまうかも知れないと懸念したからです。分りますか?悔しいのはあなただけではないんです。私だってこのような結果になって悔しいのです。目を掛けた参加者が過ちを犯した。それもその参加者の最も目を掛けた部分によって。これがどれほど私の心を苦しめるか分かりますか?」
「すいません」
「次回の講習、来ていただくかどうかはあなたにお任せいたします。しかしこれだけは言わせてください。失敗を語ることを許されるのは成功者だけであると。道半ばで倒れる者には現実を嘆く資格もないのです。以上です」
電話は切られた。悔しさが込み上げた喉の奥が震えた。その震えは全身に広がり、膝をがたがたと揺らせた。
俺は道の真ん中で呻きながら自分の股間を何度も何度も殴った。そしてその痛みで自分に誓いの杭を刺した。
もう二度と、黄色い熊の赤ちゃんの外には出ない。
そしてそれを成すには俺の自制心は余りにも脆弱だ。俺にはまだまだ修行が足りない。修行、修行だ。俺が過去を乗り越え、成長する為の己に与える試練だ。もう他人は関係ない。薄井も、そして吉沢さんでさえも、この克己心の為には捨てて行かねばならない。
俺は走り出した。この年にして初めて、向かうべき道が眼前に開けたような気がしていた。
職員は一参加者との電話を終えると、報告の為に施設の上階へ向かった。
本日の講習は既に終わり、施設の明かりはほとんど消えていた。聞こえて来るのは職員自身の靴音だけである。
上階に行くには廊下の最も奥の職員専用の扉まで行かなくてはならない。職員は廊下を進む。通り過ぎる部屋はそれぞれに担当する講習があるが、奥に行くに連れて段階を重ねてゆく仕組みになっている。
講習は以下のような段階を滑らかなグラデーションで進む仕組みになっていた・・・
⑴ 「可愛いおじさん講習」
⑵ 「可愛いおじいさん講習」
⑶ 「可愛い老人講習」
廊下の突き当りに職員が到着すると、重々しい扉にパスを掲げ、開錠させた。専用エレベーターで二階へ上がり、二階の最も奥にある、そして最も大きな部屋の前まで到着すると、ドアをノックした。
「入り給え」
指示された通りその部屋に入ると職員は施設長に言った。
「本日の新規の参加者は50名、脱落者は0となっております。全ての参加者が講習を進めております。以前提案いたしました、参加者の結束力を高める為の因子の投入、具体的には不相応の服装をした職員を参加者として参加させることにより、このような成果を上げられたと考えております」
施設長はそれに短く褒めの言葉を返した。
職員が退室した後、施設長はいつものように思った。
この施設の存在意義を世間から問われたとしても、『可愛いらしくない高齢者』のままでは、いずれ社会を支える世代の反撥の起爆剤となるから、と説明すれば世論の多くは納得する筈だ。国の本当の狙いである、『全ての国民の牙を抜く計画』が公になるわけではない。我々の未来は永久に安泰だ・・・。
役人である生命維持装置を取り付けた老獪は豪華な椅子に深々と腰を落ち着けた。
可愛いおじさん講習 きりん後 @zoumaekiringo
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