実践■スイーツショップ
脱線したものの、台本は本筋に戻って来た。スイーツショップに入った俺は例の台詞をプロジェクトのメンバーに伝えた。納得している様子はなかった。薄井さんからの挨拶にも愛想の良い返事はなかった。
しかしそのリアクションは俺にとっては関係なかった。俺はメンバーの一人に抜擢した吉沢さんに視線をやった。はっきり言ってプロジェクトの成功は二の次だ。大事なのは、ここで「母性をくすぐる可愛げ」を吉沢さんにアピールすることだ。その為にわざわざ先程「社会的能力」で引かせたのだ。ここでの「母性をくすぐる可愛げ」とのギャップで吉沢さんをものにしてやる。
俺が頼んだのはパンケーキ、薄井さんが頼んだのはパフェだった。事前に2人で取材していただけあって、スイーツショップという空間への慣れを演出することができた。
先に運ばれた薄井さんのパフェにはアイスや生クリームが高々と盛られており、そこにポッキーや人工着色料の粉?のようなものでデコレーションが施されていた。
「おお~!」
俺は無邪気なリアクションをしてみせた。完成された黄色い熊の赤ちゃんがそこにいた。またさらにギャップを大きくする為に俺はオフィスとスイーツショップで装いを変えていた。前者ではスーツも顔も皺を少なく、後者では多くしていた。
薄井さんも講習の成果を存分に発揮していた。「高いなあ!」とパフェを見上げた。俺はその時薄井さんがこっそり椅子から腰を滑り落し座高を低くしているのを見た。それは子供らしさを演出する為の技術だった。俺も負けてはいられないと、同じことをした。
さらに口々にパフェを賛辞しつつ俺たちは目を輝かせながらお互いに顔を見合わせるという合わせ技を繰り出した。
「写真撮ってください」
薄井さんが携帯を俺に渡した。成程、パフェとのツーショットというわけか。この時点でSNSをやっていることを示唆することができる。
「ちょっと待ってください。あれ?」
俺は薄井さんの意図を助ける為に、カメラが自撮りになってしまっていたという失敗をして見せた。意図した通り、笑いが起こった。
「これどうやるの?」
「これはですね・・・」
吉沢さんに携帯を渡すと、俺も知っている手順で吉沢さんは嬉々とカメラを正常に戻した。そして俺は薄井さんを撮った。
薄井さんから信頼の微笑みを俺に送った。そして俺の計画通り、薄井さんは吉沢さんにSNSへの投稿の仕方を聞いた。
俺が作った携帯の操作について色々と学ぶという流れは、俺たちの無知を「母性本能をくすぐる可愛げ」として演出させた。
薄井さんはその後、追撃としてSNOWの操作も吉沢さんに聞いた。これで俺も薄井さんがやっているように吉沢さんとの距離を狭めることができる。俺はほくそ笑んだ。
しかし俺が薄井さんに抱いたある疑念をきっかけに、俺と薄井さんの協力関係は崩れ、相補的な作為の競争は本当になった。
もしかしたら、薄井さんも吉沢さんのことが好きなのかも知れない。
その疑念は薄井さんの作為的ではない思春期のような初々しいリアクションによって確信に変わった。
そうか、薄井さんは初めから吉沢さんを狙っていたのだ。そう気が付いた時、俺は自ら強力なライバルを生み出してしまったことを悔やんだ。
俺は薄井さんを連れションに誘った。それは演出の為ではなく、交渉の為だった。小便器の前に横並びになりながら、俺は薄井さんに耳打ちした。
「吉沢さんのこと狙ってますよね」
まどろっこしくジャブを打つ余裕は俺にはなかった。
「俺も狙ってます。薄井さん、恩人の為と思ってここは俺に譲ってください。お願いしますね」
しかし薄井さんは顔色を変えず、
「御冗談を。嫌ですね」
と言い放った。全てを見透かした様な不敵な笑みがそこにあった。その瞬間、俺は薄井さんが随分前から俺の吉沢さんに対する好意に気が付いており、それを利用していたことに気が付いた。
俺は拳を固く握りしめた。今にもそれを振るってしまいそうな衝動にかられた。薄井さんは、いやこの薄井という男は、ずっと弱者を演じていたのだ。そして俺に吉沢さんへと続く道を作らせ、それを進む俺だけに労力を使わせ、いざという時に俺を追い越して吉沢さんに辿り着こうとしているのだ。
小動物だと甘く見ていたが、薄井はただの鼠ではなかった。牛である俺の背に乗り、干支の順番決めレースの優勝者になろうとする姑息な鼠だった。
「これからもお互い頑張りましょう」
薄井はそう言い残すとトイレを後にした。その背中は普段の卑屈なものではなかった。先を越されて堪るかと、俺はその背中に追いついた。絶対に薄井さんには負けてはならぬという決心が、俺の心を熱く滾らせていた。
席に戻ると、俺のパンケーキが到着していた。
「これも写真撮ります?」
吉沢さんの笑顔の一言に俺は勝機を感じ、「じゃあ撮ってください」と携帯を渡した。ここからのやり取りに薄井の邪魔は絶対に入らせない。
「どんなポーズが流行ってるの?ピースとか?」
「古いですよお。指ハートっていうのがあって」
「こう?」
「それは普通のハートですよ~」
俺は矢継ぎ早に吉沢さんに質問し、アドバイスを下手に再現してみせることによってやり取りを必死に増やした。薄井の歯ぎしりが聞こえて来る気がした。
このまま突き放して俺がゴールしてやる。
しかし薄井もただ指をくわえて見ているだけではなかった。「よかったら一緒に撮りませんか?」と俺の撮影に割り込んで来たのだ。
「いいですね~2人ももっと寄って」
薄井は嫌味な程俺に頬を擦り付けた。吉沢さんの負のアシストもあり、俺は薄井の介入を容認してしまった。その隙間に薄井は体をぐいぐいとねじ込んで来た。
「僕のカメラでも」と薄井は携帯を吉沢さんに突き出した。
このままではいけないと、俺は薄井の頼んだパフェを倒し、自分の膝にぶちまけた。自分で触ることなく、「わあ~どうしよう~」と、わたわたとした様子を見せていると、計画通り吉沢さんがナプキンで拭いてくれた。そのかがんだ吉沢さん越しに俺は薄井に「してやったぞ」という表情を見せた。今度は気のせいではなく、薄井は歯ぎしりをした。しかし、
「俺が拭きます。拭かせてください」
と、薄井は吉沢さんの持っていたナプキンを強引に奪い取り、俺の膝を拭き始めた。テーブルの下から睨み上げる薄井に、俺は「すいません」と合わせた手で糸を隠しながら涎を垂らしてやった。
反射的に顔を上げた薄井もただでは起きなかった。「眼にクリームが・・・」と嘯き、吉沢さんに顔を拭わせた。しかも見えないことを良いことにテーブルの下で俺の太ももをつねり、俺がうめき声を上げると、「まだクリーム付いてますね!」と再び俺の膝を痛い程強く擦り始めた。
俺は拳を振り下ろしてしまう気持を何とか押し殺し、テーブルの下の薄井に顔を近付けた。噛みついてやろうとも思ったが、俺の目的はそれではなかった。膝に残っていたクリームを俺は口の横に付けて顔を上げ、
「これも拭いてよ」
と吉沢さんにおねだりした。薄井が体を起こそうとするのが分かったので、「薄井さんは膝」と制してやった。しかし薄井が何か策を練って吉沢さんのするべき仕事を奪おうとすることを予想していたので、
「吉沢さん、ほら、これこれ」
と事を急いだ。しかし吉沢さんは中々動かない、もしかして引かれたかも知れない、事を急ぎ過ぎだかと思った。確かに周囲のメンバーも固まっている。
だが事態は想像以上に深刻だった。吉沢さんは俺の口元を指差し、言った。
「あの、もしかして、皺描いてらっしゃいます?」
瞬間、俺は全身の細胞が同時に息を呑むのを感じた・・・
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