新しい国王と王妃三歳のままごとのようでいて時々血腥い新婚生活

くる ひなた

新しい国王と王妃三歳のままごとのようでいて時々血腥い新婚生活



 タン、タン、タン……

 リボンの付いた黒のオペラシューズが、冷たい石の階段を一歩一歩上っていた。

 象牙色の内部にぐるぐると渦巻きを描く螺旋階段を見上げていると、まるで巻貝の中にでもいるように錯覚する。

 菫色の大きな瞳はその頂上にある木の扉を捉え、ゆっくりと一つ瞬きをした。



 とある王国の城の外れに、石造りの古い塔がひっそりと佇んでいた。

 いにしえよりの習わしで、戴冠を済ませた最初の夜、新しい国王はこの塔に一人きりで上り、頂上に設けられた部屋で一夜を過ごさねばならない。

 天におわす先人達の霊と交信して叡智を賜り、正しき君主の心得を授かるため。あるいは、これまでの人生で背負った穢れを落とす禊の儀式とも言われているが……


「どうせ、ただの風習だろう。面倒くさい……」


 そう吐き捨てた青年は、カツカツと軍靴を鳴らして部屋を横切り窓辺に立った。

 太陽はすでに地平線の彼方へ消え去り、空はいつもと変わらず濃い群青色に染まっている。

 一方、城壁の向こうに広がる町の明かりは、今日は一段と華やかだ。

 それもそのはず。この日、王国にとってはちょうど百代目の国王の戴冠式が行われた。

 新しい国王となったのは、窓の縁に片肘をついて気怠げな表情をしている青年。

 名を、ウルという。

 十六歳までの六年間、隣国の王立学校で学びつつ騎士に混じって武芸の鍛錬に励んだ。

 卒業後は、幼馴染みである公爵家の嫡男ロッツと二人で諸国を旅して回り、すっかり逞しくなって祖国に戻って来たのが二十歳の時。今から四年前のことである。

 本人としてはまだまだ見聞を広め足りなかったのだが、早々に引退を決めた父王に呼び戻されてしまったのだ。

 建国当初からこの場所にあったと言い伝えられている塔は、繋ぎ目のない石の壁に幾重にも蔓が巻き付いた古めかしい外観をしている。普段は管理人以外近づくことができない場所のため、辺りはしんと静まり返っていた。

 ウルだって、わざわざこんな寂れた場所になど足を運びたくなかったのだ。

 しかしながら、よほどの悪弊でもない限りは、伝統を守るのも国家を継承する者の責務である。

 塔の頂上にあったのは、まるで屋根裏部屋みたいな質素な部屋だった。

 調度といえば、素朴な木のテーブルと椅子が二脚、その奥に簡素なベッドがあるだけだ。一国の君主が過ごすにはいささか侘しい場所だろう。

 ただし、諸国を旅していた頃は野宿も厭わなかったウルが、不満を覚えることはない。

 彼はテーブルの上に用意されていたワインを一口飲んでから、戴冠式用の華美な上着と軍靴だけを脱いで、勢い良くベッドの上に横たわる。枕はふかふかで、日干ししたばかりみたいないい香りがふわりと鼻腔を掠めた。

 塔自体は管理人が掃除や修繕を行うが、この頂上の部屋に入ることが許されるのは国王のみ。

 ウルは今日、玉座とともにこの部屋の鍵を受け継いだのだ。

 ということはつまり、テーブルにワインを用意してくれたのも、枕を日干ししてふかふかにしてくれたのも、前国王であるウルの父以外にありえない。


「ぶっ……」


 そう思い至ったウルは、ベッドに仰向けに寝転がったまま思わず吹き出していた。

 あのいつも厳めしい顔の父が、せっせとテーブルにワインを配置し、窓から枕を出してパンパン埃を叩いている姿を想像すると、笑いが止まらなくなりそうだ。

 そんな厳格な父王が守ってきた国を、これからは彼が受け継いでいかなければならない。

 ウルはその責任を重荷に感じるよりも、四年間の旅で得た知識や経験を活かし、祖国をこれからどのように発展させていこうかという希望に満ち満ちていた。

 しかしながら、早朝より始まった戴冠式やその他諸々の儀式に丸一日を費やし、さしもの彼もいささか疲れた。

 やっと一人きりになれたのだから、今宵は何者にも煩わされずゆっくり休もう。

 父が整えたであろうベッドは存外心地良い。欲を言えば、父が日干しした枕より、女の柔らかな身体に頬を埋めたかった。

 かつては身分を隠して後腐れのない恋愛ばかりしてきたが、祖国に戻ってからの四年間は次期王妃の座を狙うご令嬢達からの猛アピールに辟易する日々。

 お忍びで夜の町に繰り出そうにも、一緒に旅をした幼馴染のロッツは、帰国してすぐに王立学校時代の同級生と結婚して一児の父になっている。つまり、たいそう付き合いが悪い。

 とはいえ、国王として立ったからには、ウルもまた身を固めないわけにもいかないだろう。

 

「……面倒くさいな」


 ため息とともにそう吐き出して、両目を瞑って間もなく意識は暗転した。

 そうして、どれくらい眠っていたのだろう。


「――っ!?」


 ふいに、くっ、と首筋に何か硬いものが押し当てられる感触を覚えて目を開く。

 ウルはすかさず首元を手で払い、腰のナイフを確かめつつ飛び起きた。


「んぎゃっ!」


 とたん、短い悲鳴とともに、膝の上に何かがころんと転がる。

 その何かは、どうやら仰向けに寝そべっていたウルの胸の上に乗っていたらしい。

 状況が飲み込めない彼の視線の先で、それはゴム毬みたいにぴょんと跳ね起きたかと思ったら、猛然と食ってかかってきた。


「急に起き上がるな、ばかものっ! びっくりしたじゃろうがっ!」


 噛み付くくらいの勢いで、ウルの白いシャツの胸倉が乱暴に掴まれる。

 とはいえ、彼がそういう仕打ちを受けるのは、身分を隠して旅をしていた頃にはさして珍しくもなかった。

 酒場で絡んできた酔っぱらいの薄汚い手を捻り上げてやったのも記憶に新しい。

 しかし今、彼の胸倉を掴んでいるのは、あの熊みたいな大男の巨大な手とはほど遠い、小さくてふくふくした幼子の手。

 ベッドに座り込んだウルの膝を跨いで立ち、さも不服そうな顔をしているのは、小さな小さな女の子だったのだ。

 ウルは声も無いまま、その子をまじまじと眺めた。

 真っ白いネグリジェの上に淡いピンクのガウンを羽織っている。ベッドの脇には、リボンの付いた黒のオペラシューズがちんまりと並べて置かれていた。

 塔は城の外れにあり、国王と管理人以外は近づけないし、この部屋に至っては扉に鍵が掛かっていたはず。

 窓の外は真っ暗で、すっかり夜も更けている。

 こんな場所、こんな時間に、何故こんな幼子がいるのか。

 困惑を極めるウルの眉間を、ようやく胸倉を離した小さな手がベチンと叩いた。


「これっ、おぬし! いつまでもねぼけておらんで、うんとかすんとか申してみよ!」

「いてっ」


 舌足らずなくせに、いやに年寄りくさい話し方をする幼子だ。

 ウルは容赦なく叩かれた眉間を片手で押さえつつ、いささかムッとした顔で問うた。


「お前、なんなんだ」

「わらわは、わらわじゃ」

「答えになっていない。何故ここにいる」

「は? なぜここにいる、だと?」


 あまり気の長い方ではないウルがイライラしながら問いを重ねると、幼子は何を馬鹿なことを聞くのだとでも言いたげな顔をした。


「わらわの土地にわらわがいて、何がわるい」

「お前の土地……?」


 幼子が何を言っているのかさっぱり分からないウルは、訝しい顔をした。

 しかしふと、彼女の顔に見覚えがあることに気づく。

 そのブロンドの髪と菫色の瞳は、ウルにとって馴染み深い人物を彷彿とさせた。


「待てよ、お前……確か、ロッツの……」

「いかにも。今代のわらわは、ロッツなる男の長女として器を得ている」


 ウルの幼馴染ロッツは、代々宰相を務める公爵家の跡取り息子だ。

 そして、王立学校時代は甘いマスクでモテまくって遊びまくっていたロッツを家庭人へと転身させたのが、今ウルの前でふんぞり返っている幼子である。

 ロッツは娘を溺愛するあまり、幼馴染で親友で悪友のウルにさえ一切接触を許さなかったため、本日の戴冠式が初対面だった。

 長い睫毛に彩られた大きな瞳が印象的な、人形みたいに愛らしい子供だ。

 名前は確か……


「マイリ、だったか。どうやってここに来た? お子様はねんねの時間だぞ」

「本当はおぬしよりも先にここにきて、出迎えてやるつもりでおったのだがな。なにぶんこの通り、おさなごの器ゆえ、なかなか母がはなしてくれなかったんじゃ」

「……それで?」

「わらわの迫真のたぬき寝入りでもだまされてくれなかったのでな。やむをえず、首のうしろを手刀でトン、とな」


 ふくふくした小さな手を手刀の形にして、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべた幼子は、最高にシュールだった。

 本日、ウルの戴冠式に参加した貴族や国賓は、今宵城内に宿泊している。

 主役である国王が塔に向かった後も、夜が更けるまで舞踏会が行われていたからだ。ロッツ夫妻もこれに参加していたので、彼らの一人娘であるマイリも一緒に城の一室に泊まっていたのだろう。社交に勤しむロッツを会場に残し、母は幼い娘を連れて先に部屋に引き上げたに違いない。

 その幼い娘に手刀で落とされたかもしれないロッツの妻に、ウルは同情を禁じ得なかった。

 

「母が目を覚ましてさわぎ出しては厄介だ。さっさと済ませるぞ」

「……なっ!?」


 遠い目をするウルに、マイリはいきなりタックルをかます勢いで飛びかかり、ベッドの上に仰向けに押し倒した。

 女に、それもこんな幼い子供に押し倒されたのは、当たり前だが初めての経験だ。

 少なからずショックを受けたウルを尻目に、マイリは小さな口をぱかりと開いて覆いかぶさってくる。

 それにぎょっとしたとたんにウルの首筋に触れたのは、先ほど微睡みの最中に感じたのと同じ、何だか硬いものが押し当てられるような感触だった。

 それが幼子の歯の感触――つまり、自分がマイリに首筋を噛まれようとしていると気づいたウルは、小さな両肩を掴んで押し戻す。


「待て! 待て待て待て! ちょっと待て!!」

「なんだ、うるさい」

「何故、俺の首を噛もうとする? そもそもこれは一体どういう状況なのか、説明しろ!」

「かしましい男だな。わめくな、耳が痛いわ」


 マイリの紅葉のような手がペチンと叩き付けられて、ウルの口を塞ぐ。

 小馬鹿にしたみたいに肩を竦める相手に、ウルはうぬぬと眉間に皺を寄せた。

 この頃には彼も、マイリが見た目通りの幼子ではないとうすうす勘付いていた。


「ここは元々、この世の天主たる父上からわらわが賜った、わらわの土地じゃ」


 ベッドに胡座をかいたウルの正面に立ち、マイリは胸を張って宣った。

 大人げなく仏頂面をしたウルにも、彼女が怯む気配はない。


「この塔だけではないぞ。王国の全てがわらわの土地なのじゃ。そこに昔々、おぬしら王族の始祖がやってきて、どうか住まわせてくださいと頭を地面にこすりつけたものだから、心優しいわらわはその願いを聞き届けてやったのじゃ」

「始祖? では、お前は王国の守り神か何かか?」

「守り神などではない。住まわせてやるとは言ったが、守ってやるような義理はないからな。わらわは、いわば王国の家主じゃ」

「家主……」


 ここで、マイリは踏ん反り返るのをやめた。

 小さい子供は頭が大きい。ようは、疲れたのだろう。

 彼女はウルの正面にちょこんと座り直すと話を続けた。


「家主とは、賃料を要求するものじゃろう?」

「たしかに」

「その賃料が、おぬしら国王の血じゃ」

「血!? お前、血を飲むのか?」


 マイリの小さな口がにわかには信じ難いことを流暢に語る。

 改めて見ても、彼女は角があるわけでも羽根があるわけでもない、幼くて愛らしいばかりの人間の子供だ。

 膝の上に行儀よく揃えた両手の爪だって、桜貝のように薄く繊細だというのに。


「お前は、吸血鬼か何かなのか?」

「そんなおとぎ話の化け物と一緒にするな。わらわはわらわじゃと言うとろうが」

「しかし、血を糧とするならば、やはり吸血鬼ではないのか?」

「ばかもの。誰が、血を糧とするなどと言った。血なんぞちょびっと吸ったところで腹がふくれるわけなかろう」

「だったら、何故血を吸うんだ」

「わらわにとって、人の血は嗜好品のようなものじゃ。紅茶やワインも茶葉やブドウの品種、産地や熟成の具合によって味がちがうじゃろう? それといっしょで、血も人それぞれに味がちがって奥深い」


 ウルは長めの前髪をぐしゃぐしゃに乱すと、マイリの話を理解すべく問いを重ねた。


「では、器とは何だ」

「わらわが地上のものと関わるために必要な、借り物の肉体のことじゃ。生まれるまえに魂が天に召されて空っぽになった肉体をわらわは器として再利用する」

「つまり、死産となるはずの者の肉体に乗り移ったということか? では、もしやその、ロッツの娘は……」

「ちょうどあの時、わらわの器に一番ふさわしかったのが、命の灯火が消えてもまだ母親の胎にとどまっていたこの肉体だった」


 ロッツの娘は何かしらの理由で生まれる前に亡くなってしまった。

 もしも、この家主を名乗る存在が彼女を器としていなければ、公爵家は大きな悲しみに見舞われていただろう。

 その悲しみは、本来彼らが乗り越えなければならなかったものかもしれないが、ロッツが娘のことを語る時の幸せそうな顔をすでに知ってしまっているウルとしては、幼馴染の不幸が回避できたことを素直に喜びたいと思った。


「本来、わらわは人間を器にすることはない。犬や猫、小鳥のように、国王のそばにいやすい愛玩動物が適任なんじゃが、今回ばかりは少々ズルをしてしまったのでな。ちょうどいい具合の器がこのもの以外に調達できなかった」

「ズル? そもそも、人間が器だと何か不都合があるのか?」

「あるとも。見よ、この頼りない牙」

「牙?」


 マイリは小さな口をああんと開いて、ウルに犬歯を見せ付けた。

 整然と並んだ米粒のような乳歯の中で、確かに犬歯も可愛らしいばかりだ。

 

「人間は、この数百年のうちにすっかり軟弱になってしまった。こんな牙では獲物の喉笛を食いちぎれまい」

「まあ、そうだな。しかし、人間はそのために刃物を使うのだが」

「刃物は、加減がわからぬからきらいじゃ」


 マイリは吐き捨てるようにそう言うと、再びウルの首筋に噛み付いてきた。

 おい、と声を上げたウルに、なんじゃ、とマイリが返す。

 

「痛いんだが」

「がまんせい」


 王国に家主がいること。そして、代々の国王が賃料という名目でそれに血を与えたことは、他の誰にも知られてはいけないことだった。血で家主を買収して王国を乗っ取ろうとする者が現れることを危惧してのことだ。そのため、先の国王から次の国王に対し、家主の存在が言葉や文字で伝えられることはない。

 新しい国王は、今宵のウルのように塔の頂上で家主と初顔合わせをし、最初の家賃を支払う。

 つまり、新しい国王が戴冠式の後に塔で一夜を過ごすという習わしの真の目的は、王国の賃貸契約を更新することだったのだ。


「ええい、はがゆいのう。チビゆえ、あごの力も足りぬわ」


 小さな犬歯ではやはり威力が足りず、血が滲むほど強くは噛めないらしい。

 思うようにいかない悔しさにマイリがベソをかき始めると、ウルは大きく一つため息をついた。

 彼は片手を腰にやって、ベルトに挟んでいたナイフを鞘から引き抜く。

 そして――


「ぎゃっ!? おぬし、何をする。早まるでないぞっ!!」

「早まるも何も……埒が明かないから、これで妥協しろ」


 ウルはナイフの切っ先で左手薬指の腹を傷付け、マイリの口元に突き出した。

 ぷくりと盛り上がった血の玉はすぐに崩れて零れおちそうになり、マイリが慌てて、はむっと口に含む。

 そのままちゅうと指先を吸われ、何だかおかしな気分になりそうになったウルは、気を逸らすべく口を開いた。


「うまいのか?」

「いや、まっずい。肉ばっかり食っているヤツの血の味じゃ」

「は?」

「食事はバランスが大事じゃぞ。野菜と果物をもっと食え。さすれば、もう少しマシな味の血になろう」


 乳離れしたてのような幼子が、血の味の善し悪しを語るというシュールは光景に、ウルはナイフを鞘に戻しつつ口を噤んだ。


 家主の前の器は、前国王の猫だったそうだ。

 言われてみれば、彼の側にはいつも真っ白い毛並みをした美しい猫がいた。ツンと澄ましたその猫をウルは一度も撫でたことがない。

 賃料を支払う国王が代替わりする度に、家主は器を更新するのだという。

 だが、前国王の猫が死んだのは、今から四年前のことだ。

 国王が交代したのは今日であるから、家主の器の更新と四年もズレがあるではないか。

 ウルがそんな疑問を打つけると、マイリは幼いかんばせに憂いを載せた。

 

「おぬしの父は、本当はもっとまえに死ぬはずだった」

「なんだと……?」


 突然の告白に、ウルは眉を顰める。

 そんな彼をじっと見上げ、マイリは幼子に不釣り合いな神妙な面持ちで続けた。


「わらわがおぬしの父の死期をさとったのがちょうど四年前。それを告げると、あやつは息子を呼びもどして仕事を引きつぎ、そのあと少しの間だけでも奥方と二人で静かにすごしたいと望んだ。だから、あやつに足りぬ分の時間を、わらわの器の寿命をけずることで譲ってやったのだ。ゆえに、猫が先に死んだ」


 そんな馬鹿な話が……と思いつつ、ウルは愕然とした表情を隠しきれなかった。


「……父は、死ぬのか?」

「生きているものはみんな死ぬぞ。遅いか早いか、それだけのちがいじゃ」

「お前には、それがいつなのか分かるのか」

「血は情報の宝庫じゃからな。飲めばたいていのことはわかる」


 マイリは前国王をとても気に入っていたらしい。

 あやつの血は芳醇なワインのようであった、と頬を上気させて熱いため息を吐く幼子に、ウルはどう反応していいのか分からなかった。

 とにかく、そんなお気に入り店子のいじらしい願いを叶えてやりたくて、マイリは過剰なサービスをしてしまった。そのせいで、次の国王――つまりウルに添わせる新たな器を計画的に用意する余裕がなかったのだ。

 最後にもう一度ウルの指先の傷をペロリと舐めてから、マイリはそう打ち明ける。

 傷口は、いつの間にか塞がっていた。


「父上……」


 ウルと父は、仲の良い親子だったわけではない。

 隣国の王立学校で様々な国から集まった王侯貴族の子息達と交流を深め、諸国を回って見聞を広めたウルには、父の考えはどれもこれも古臭く頭が固いという印象が強かったのだ。

 父は自分にも他人にも厳しく、一人息子のウルに優しい言葉をかけたこともない。いつも政務に掛かりっきりで、たった一人の妃である彼の母にも寂しい思いをさせていた。

 だからウルは、父のように冷たい男にはなるまい、国民を思い遣りながらも自分の家族も大切にしよう、と幼い頃から心に決めていた。

 だが、それでも父は父である。

 父はこの後、母とともに郊外の別荘に移り住む。そこは母の故郷であり、緑豊かで静かな場所だ。

 自分の命が残り少ないことを知った父は、母が穏やかに余生を暮らせるように環境を整えた上で、その側に骨を埋めるつもりなのだろう。

 そう悟ったウルは、口を噤んで俯いた。

 そんな彼の頭を、子供らしいふくふくした手がそっと撫でた。


「泣いてもよいぞ。だれだって、親が近々亡くなると知れば悲しいものだ。おぬしが泣いても、わらわはけして笑わぬ」

「……泣かん」

「ふん、強がりを言いおって。しかたがないから、おぬしが生きて国王である間は、わらわがずっとそばにいてやるでの」


 マイリはそう偉そうな言葉を吐きつつ立ち上がると、両手を腰に当ててふんぞり返った。

 そうして、驚くべきことを宣ったのである。



「そういうわけで――おぬし、わらわを妃にせよ」



 ウルの憂い顔は、一瞬にしてポカンとした表情に掏り替わった。

 は? と間抜け面を晒す彼に、マイリはますます胸を張る。

 

「わらわを妃としてそばに置けと申しておるのじゃ。さすれば、わらわはいつでも気がねなくおぬしから賃料を回収できるであろう?」


 器が人間だと、国王に近づくにはいろいろと制約がある。

 しかも、今のような幼子の姿では、母や乳母を撒いて家を抜け出すのもひと苦労。

 いしにえの盟約に則って正当な対価を求めているだけなのに、煩わしい思いをするのはご免だ――そうマイリは主張した。

 幸いというべきか否か、今代の器は王家に次ぐほどの権力と財力を持つ公爵家の娘。王妃に迎えても申し分ない身分ではある。

 ただし、身分以外にはとてつもなく大きな問題があった。


「妃と言っても……お前、年は幾つだ? いや、中身じゃなくて、器の話だぞ?」

「わらわの器は、現在三さいと三ヶ月じゃ!」

「……そうか。俺は、今年で二十四になるんだが」

「だからどうした? 王族の結婚に年の差などたいした問題ではなかろう。むしろ、ピッチピチの嫁さんバンザイと喜べ!」


 年の差もさることながら、マイリの父親がウルとの結婚を許すとは到底思えない。

 普段は見た目通り、蝶よ花よのお姫様ライフを楽しんでいるらしいマイリの中身が、王国の歴史よりもまだ古い摩訶不思議な存在であるなんて、ロッツが知るはずもないのだから。


『うちの娘ってば可愛過ぎて参っちゃう! 僕の目の黒いうちは、お嫁になんか絶対出さないんだからねっ!!』


 愛娘を語る幼馴染みの緩み切った面を思い出し、ウルはマイリの提案を「ありえない」と一蹴しようとした。

 ところが、彼女が目を細めて続けた言葉に、おおいに慌てふためく羽目になる。


「おぬしがどーしてもこの器が不服ならば、おりをみて別のものにとりかえてもよいが……その場合、用なしとなったこの器はグズグズに腐り落ちることに――」

「ま、待てっ……!!」




 ***




 

 戴冠式から一月後、新しい国王となったウルは、幼馴染ロッツの一人娘を王妃として城へ召し上げた。

 ここに、二十四歳と三歳の年の差夫婦が誕生する。

 事情を知る前国王は、息子のウルが今まで見たこともないほど柔らかな笑みを浮かべ、一つ満足そうに頷いただけだった。

 対して、大臣達は突然の国王の結婚と王妃の幼さに騒然となり、社交界は混乱を極めることになる。

 当然、ロッツは娘の嫁入りに大反対した。

 彼とは生まれた時からの付き合いであるウルも、真っ赤に充血した目で至近距離から覗き込まれて「殺してやる」と凄まれたのは初めてのことだ。

 ところが、ロッツよりも力のある人物――宰相を務める公爵家当主、つまりロッツの父親がマイリの嫁入りをあっさり承諾してしまった。王家との婚姻で、公爵家は今後ますます栄えていくことだろう。

 こうして、新しい国王と三歳の王妃による、ままごとのようでいて時々血腥い新婚生活が始まったのである。


「マイリが成人するまで、絶っっっ対、手ぇ出さないでくださいよ! でも、あの子を袖にして愛人なんか作ったら――ちょん切りますからね?」


 毎日ウルに釘を刺しつつ、首筋にペン先を突き付けてくるのは、あどけない王妃の父親だ。

 一方、実際にウルの首筋に突き立てられるのが、マイリの小ちゃな犬歯である。


「よいか。おぬしも国王となったからには、わらわにより美味な血をさしだす義務がある」

「義務、ねえ……」

「おへんじは、ハイ、じゃ! 異論はみとめん!!」

「分かった分かった、分かったから。せめて、もう少し目立たない場所を齧ってくれないか?」


 人目を気にしてキスマークの位置に配慮しろ、なんて三歳児に頼む日が来ようとは。

 旅の道中様々な経験をしてきたウルでも思ってもみなかった。

 それでも、定期的に齧られているうちに、彼は幼妻の扱いにも慣れていく。

 健康な成人男性にとって三歳児との結婚生活はなかなか悩ましい禁欲の日々であったし、にもかかわらず、世間からは幼女趣味との不名誉なレッテルを貼られるしで、最初のうちは散々だった。

 しかしながら、持て余す性欲を誤魔化すように仕事に打ち込んだ結果、ウルはやがて父にも負けぬ賢王として国民から支持されるようになる。

 また、小さな王妃マイリの人気も絶大だった。

 猫を被って年相応の幼女を演じる彼女は、その正体を知るウルでさえうっかり庇護欲をくすぐられるほど、最高に可愛かったのだ。

 彼女が大人のウル相手に「好き嫌いするな」だの「小骨を取ってやるから魚も食え」だの、甲斐甲斐しく世話を焼く姿は微笑ましく、いつしか世間はこの年の差夫婦を温かく受け入れるようになっていった。

 ついでにいうと、美味い血の醸造に燃えるマイリによって食事管理を徹底されたウルは、すこぶる健康になった。

 おかげで、歴代の国王の中でも極めて長生きし、最も長く王国の家主と人生をともにすることになる。





 ***




 

 戴冠式から一年後。

 前国王が、隠居先で妻に看取られて静かに息を引き取った。

 最後の一年間、穏やかに愛を確かめ合った夫婦の別れは、お互いに思い残すことのない潔いものだった。

 棺に横たわった父は、ウルが初めて見るような安らかで優しげな表情をしていた。


「ありがとうな」


 両親に最高の一年間を与えてくれたのが誰なのか知っていたウルは、一緒に葬儀に参列した幼い王妃を抱き上げてそう礼を言った。

 彼女は黒いベールの奥で小さく頷いて、いまだまともに噛み痕も残せていないウルの首筋にしがみつき、必死に嗚咽をこらえていた。



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