29:ある従者の日常・ルナリア帝国の陰謀(2)

しかし、呟いたものの、従者ができるのはそう思うことだけだ。


魔法に長けたこの国の帝王にも近衛騎士団長リーンハルトにも、歯向かう術など持ち合わせてはいないのだから。


従者の言った女神様とは、この世界の多くの人が信仰している宗教の女神・カトレアを指している。



------女神カトレア------


この<皇国のファジーランド>の世界を創生したと言われている存在。

しかし、未熟な女神であった彼女が創った世界は出来た当初は荒廃していた。


女神は嘆いた。

「このままでは生物が暮らしていけない・・・」と。


そこで、女神は、強力な加護を持つ<五人の魔法騎士>を誕生させ、それぞれに国を治めさせることにした。

それが五大国(レイ皇国やルナリア帝国を含む五国)とその皇族・王族の起源といわれる。


この宗教では、五大国が一つでも滅びると女神の加護がすべて失われ、世界が滅びるという終末予言が信じられており、その予言を裏付けるかのように、各国の特色に合わせたような<特殊召喚魔法陣>がそれぞれの王城地下に備わっている。


巧妙な魔導士でも解析できないこの魔法陣は、国が危機に陥った時のみ光り、使えるようになる。過去にも数度使われた。

レイ皇国では、強大な魔物によって国が脅威にさらされた時に、<聖女召喚魔法陣>を使い、この国・ルナリア帝国では、小国家群に攻められたときに<勇者召喚魔法陣>を使った。




従者は、顔をあげると、全てを諦めたように溜息を1つつく。

そして丁寧に勇者を持ち上げると、庭の隅にある井戸のある場所まで移動する。


自分にできるのは、「リーンハルトの目を盗んで、出来る限り勇者を大切に扱うことだ」と心の中で言い聞かせながら。


腕の中にいる勇者を見下ろす。


勇者の容貌は、この世界では珍しい黒目黒髪。

15歳前後の少年に見えるが、リーンハルトの情報によるともうすでに18歳を超えているという。


先日までは<隷属の腕輪>をつけてはいたが、奴隷としては扱われてはいなかったため、少しだけ従者とも話す機会があった。


その様子からして、さすが勇者というべきか<正義感の強いとても聡明な青年>という印象の人物だった。

多くの人から愛されて育ったことを伺わされる快活さも持ち合わせていて、従者に対しても朗らかに笑っていた。


それが、いまや見る影もない。


詳しくは知らないが、他国に任務で赴き、任務を失敗したと同時にルナリア帝国に不信感を持ってしまったらしい。


それでこの扱いになったという・・・・・・。


ある疑念が従者に広がる。

それは、帝国にいる者として考えてはいけない疑問だったかもしれない。


「帝国は、いま特に危機に陥っていない。

なぜ勇者様が異世界から来たのだろう・・・・・・。


それに、いつもなら<特殊召喚陣>で召喚された異世界人は国民に大々的にお披露目するのに、今回は、まったくしていない・・・・。


さらに帝王様は勇者様に<隷属の腕輪>までつけさせている・・・・なんて・・・・・・」



従者は身震いした。

この身震いは、勇者に掛けようとした井戸の冷たい水が手に触れただけでは、ないだろう。


なにかとんでもなく嫌なことがおこっている予感がする・・・。


自分のいるルナリア帝国を中心に。


従者は疑念を晴らすように、首を横に振る。

自分が考えても仕方ない・・・と。


井戸からくみ上げた水を、勇者にかいがいしくかける。

彼は先日怪我したばかりの右手の甲が痛んだのか少しうめき声をあげた。



「ああ・・・いけない、まだ治ってなかったのか。新しい包帯は・・・・・・あの小屋の中にありましたね」



そう言って急ぎ足で、包帯を取りに向かっていた従者は、勇者の呟きを耳にすることはなかった。



勇者の「理奈・・・・・・」と小さく・・・・そして愛おし気にささやく声を。


その名前は従者が知る由もないが、前世のレティシアの名前だった・・・・・・。

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