第14話
(……くそっ! とにかくここから離れなきゃ!)
手首を捕らえている月形の手を握り返し、俺はすぐ近くのトイレへと引っ張った。
幸い、トイレの中までついてくる野次馬はいないようだ。
「声がでかいんだよ……! 大人しくしろ、話なら聞く」
奥の個室に月形を押し込み、白い壁面に腕を突いた。
後ろでドアが閉まり、狭い男子トイレの個室でふたりきりになる。
「よかった、話を聞いてくれる気になったみたいで」
威圧しているつもりなのに、目の前の男は何故か余裕の笑みだった。
やわらかそうな唇が弧を描いている。
「僕はキミを部員にほしい、キミはみんなに正体を知られたくない。この取り引きは成立すると思う」
彼が確信のこもった口調で言った。
「けど……お前がほしいのは、俺の作家としてのネームバリューなんじゃないのか?」
戸惑いながら聞くと、ピンク色の爪の手が伸びてくる。
「そんなこと、誰が言った?」
「え……?」
こいつの思惑は俺が考えていたものとは違うらしい。
月形の右手が、俺の制服の胸元に触れた。
「僕がほしいのはそんなものじゃない。キミ自身の、感性と実力だ」
感性と、実力? こいつは俺の何を知っているのか。
そう考え、すぐに気づく。
月形は俺の読者なんだろう。
下手したら発表済みの作品は全部読まれているかもしれない。
ほぼ初対面だと思っていたこいつに、すべてを知り尽くされている。
そのことに俺は強い羞恥心を覚え、うろたえた。
胸元に添えられた手をやんわりと避け、目を逸らす。
「俺の感性と実力? お前がそれをどう捉えているのかは知らないが、俺はタダで文章を書くつもりはない」
「だろうね」
「じゃあ……」
話を打ち切ろうとする俺に、月形が食い下がった。
「いてくれるだけでいいよ」
「……は? だったら、別に俺じゃなくても」
「僕はキミがいい、キミにしようって決めたんだ」
小汚いトイレの個室で、セルフレームの奥の瞳がキラキラと輝いてみえた。
純粋できれいで、それでいてとても恐ろしいものを見てしまった気がする。
「そんなの……理屈が通らない……」
言い返す声が震えた。
月形がまた笑う。
「でもキミも、本当は僕といたいと思ってるんじゃない?」
何を確信してそんなことが言えるのか。
意味がわからない。
「入部届、今日こそ書いてくれるよね?」
ああ、この話はもう何度目だろう。
面倒くさくて逃げたかったのに、逃げ続けるのも面倒くさくなってしまった。
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