第11話

それから15分後。

俺はどういうわけか、月形と机を挟み、向かい合って座っていた。


「頼むよ! やっぱり右手は自分じゃ無理だ」


月形がやけに真剣な顔をして、右手の爪を俺に差し出す。


「だから、どうして俺が……」

「あと45分しかないんだ! 頼む相手を選んでいる暇はない」


確かにもう1人いる3年の部員は、自分の作品の執筆に忙しそうだ。

他のメンツは手伝いたがっているものの、その中の誰か1人が月形の手に触れるとなると、ファンクラブの団結に亀裂が入りそうな雰囲気である。

俺はしぶしぶ、マニキュアの小さなボトルを手に取った。


あれから。

16時きっかりにワンライのお題を確認した月形はコンビニに走り、ピンクのマニキュアを買ってきた。

その時点ですでに16時12分。

それから3分かけて左手の爪にマニキュアを塗ったこいつは、乾かない爪に息を吹きかけながら、俺に声をかけてきた。


マニキュアを塗る体験がしたいなら片手だけでもいい気がするが、こいつも中途半端なことはしたくないんだろう。

しかし右手を塗り終わったら、おそらく残り時間はもう3~40分しかない。


「俺が上手く塗れるって保証はないけどな」


そう言いつつ、俺は差し出された爪に慎重にハケを当てた。


「で、どんな感じ?」


マニキュアを塗りながら聞くと、月形は真面目な顔をして答える。


「なんか、爪がスースーする」

「スースーか」


なるほど、それは体験してみないとわからないことだ。


「それから結構、緊張感がある。塗るのも、塗られるのも」


こいつ今、緊張してるのか。

そう思って手元から目を上げると、思いのほか近くにあった月形の瞳と目が合った。

ドキリとしてしまい、やつの爪に当てていたハケの先がぶれる。


「あ、悪い」


はみ出したところを、慌てて指で拭いた。

それでなんとか失敗をごまかせて、俺は一旦ホッとする。


「けどお前、毎回こんなことしてるのか?」

「こんなこと?」

「お題を体験するってこと」

「ああ……」


月形は遠くを見るような目をしてから、一瞬口角を上げて口を開いた。


「具体的なイメージがほしい時はいろいろするよ。お題が『限界』の時は限界まで校庭を走ってみたり、『凍える』の時には真冬にホースで水かけてもらったりした」

「お前、ヘンタイだろ……」


呆れて言うと、月形はくすくすと笑う。


「かもね、けど楽しいし。時間内でどこまで突き詰められるだろうって考えると、行動することが快感になる」


そして月形がコンビニに行っている間に聞いた話によると、こいつの作品は切り口の面白さと、ちょっとしたリアリティに定評があるらしかった。


そこで俺はふと思う。

部員募集のビラの「出:部長の処女」も、こいつなら俺が想像していた意味でもやりかねないのかもしれない。

それが創作のために必要だとしたら……。


「……泉くん? 手が止まってる」

「ああ、悪い」


いつの間にか妙なことを考えてしまった。

どうしてか胸の辺りがそわそわする。

なんだろう、このモヤモヤは。

マニキュアのツンとした匂いを嗅ぎながら、俺は自分の感情がわからなくて戸惑った。


そうしている間に、右手の人差し指から塗っていたのが小指にまで到達した。

小指の爪からハケを離し、ふう、と2人一緒に息をつく。


「あとは親指だけだな」


時計を見ると、時刻はすでに16時20分を回っていた。

俺がマニキュアを慎重に塗りすぎたらしい。


「うん、頼む」


月形の手首を引き寄せ、最後に残った右手の親指にマニキュアを塗っていった。


「よし、完成だ」

「ありがとう」

「これで何か書けそう?」

「書くよ、軽く乾いてからね」


ピンク色の爪先に息を吹きかけ、月形は満足そうな笑みを浮かべる。

透明感のある白い肌に、ピンクの爪が似合っていた。


「そういう泉くんは?」

「俺?」


まだぼんやりしたイメージしか頭の中にはないけれど、それをつかんで引き寄せてみたいと思った。


「書いてみるか」


月形はノートPCの前に戻り、一方の俺はスマホを出してそれに書き始めた。

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