88「最悪の戦い」②





 ――悍ましい。



 とても生き物に対する感情ではないとわかっていながら、レダは胸の内から込み上げてくる不快感と嫌悪を隠すことができなかった。



「レダ! エンジー! 覚悟を決めるのだ!」



 ナオミの声に、レダは必死に気持ちを切り替えることに専念した。

 目の前の獣が、どれだけ悍ましかろうが、不愉快だろうが、恐ろしかろうが、戦うしかない。


 こんな化け物を、アムルスに近づけることは絶対にできない。



「エンジー! エンジー! しっかりしろ、エンジー!」

「……レダ、先生」

「無理なら逃げろ。逃げて、いい! だけど、ここで膝をついちゃ駄目だ」


 エンジーの腕を掴んで無理やり立たせる。

 戦いが始まろうとしているのに、足を止めていたら殺されてしまう。

 冒険者として荒事を経験してきたレダでさえ、災厄の獣は怖いのだから、戦闘経験が皆無のエンジーはどれだけ恐ろしい思いをしているのか。


 だが、今は、エンジーの慰めている余裕はない。

 逃げるか、戦うか、だ。



「……大丈夫です。僕、戦います」

「いいのか?」

「いいんです。僕を受け入れてくれたアムルスの人たちを、ミナ先輩を、絶対に守ります!」



 エンジーは勇気を振り絞って立ち上がった。

 恐怖で震えながら、ちゃんと一人で立ち上がった。



「エンジー、一緒に戦おう」

「はい! レダ先生!」



 レダがエンジーの背中を叩き、直視することさえ恐ろしい災厄の獣を見る。

 獣は、黙ってレダたちを見ていた。

 この間にも襲えたはずなのに、ただ見ているだけだった。


 レダがわずかな疑問を抱いた時、



 ――獣は笑った。



 醜悪な笑みだった。

 まるで品定めをしているような、顔をしていた。


 不愉快を通り越して吐き気がする。


 レダにはわかった。

 災厄の獣にとって、自分たちは敵ではない。



 ――餌なのだ、と。



「……レダ、エンジー、覚悟を決めたのなら、戦うのだ。戦って、勝つのだ!」

「ああ!」

「はい!」



 ナオミが剣を構え、じりっ、と地面を踏み締める。


 獣がまた笑った。


 レダたちを抵抗を嘲笑うかのように。


 笑い。

 嗤う。


 ――そして、警戒し、機会を伺っているレダたちなど気にせず、獣から仕掛けてきた。


 獣らしい咆哮も何もなく、鋭い鉤爪をゆっくりと振り下ろす。

 動きが鈍いことが不幸中の幸いだが、鉤爪が掠っただけで身体は引き裂かれるだろう。


 その証拠に、地面は痛々しいほど深く抉られている。


「ひ、ひえ」


 獣はあえて、レダたちに鉤爪を届かせなかった。

 いたぶるつもりなのか、食べ物として認識しているレダたちを極力傷つけたくないのか。

 その傲慢さが命取りになればいい。


「レダ、エンジー、私に構わず撃つのだ!」


 ナオミはそう言い、災厄の獣に向かう。

 鋭い速さで肉薄すると、聖剣から金色の光を放ち、獣の肉を斬る。


 闇と汚泥のような獣だったが、血は赤かった。


 獣は身体についた傷を見ると、顔を歪めた。

 怒りではない。

 悲しみでもない。


 ――楽しい、という顔をした。


 六つの目がナオミを捉えた。




 次の瞬間、つんざくような咆哮が森に木霊した。







 〜〜あとがき〜〜


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