26「ミナと子猫」③




「あまり驚いていないようでなによりだ。できれば、ご主人のいない今、貴方にお話がしたい」

「えっと、待ってね、今起き上がるから」

「おっと失礼した。今、どくとしよう」


 黒猫はレダの腹の上から、床に軽やかに飛んだ。

 にゃぁ、と鳴く声を聞くと、とてもじゃないが渋い声を発したとは思えない。

 レダがベッドから起き上がって、小さな明かりをつけると、黒猫はテーブルの上に飛び乗った。


「……さて、どうしよう。これが夢じゃないなら、悪いけどもう一度喋ってくれないかな?」

「ご主人の父親よ、今はご主人から与えられた新しい名前ノワールを名乗ろう」

「うん。本当に喋ったね。夢じゃなかった」

「残念ながら現実だ」

「そうみたいだね。それで、俺に話があるっていうけど」


 なぜ自分は夜中に猫と喋っているのだろう、と不思議に思いながら彼、もしくは彼女の次の言葉を待つ。


「貴方に私の正体を知っておいてほしい。同時に、私が害のない存在だとわかってほしいのだ」

「あ、うん。それはご丁寧にどうも。でも、俺は君のことをただの猫だと思っていたから、黙っていればなにも気づかなかったんだけど」

「かもしれない。だが、それでは誠意にかける」

「ミナに君の正体を打ち明けないのはどうしてかな?」

「――正直、恐れられるのが怖かった。なので、まず、貴方にお話ししようと思う。もし、貴方が私を拒むのであれば、残念だがこのまま静かにこの家から去ろう」

「そんな深刻になることなのかな?」

「深刻になると思っている。なぜなら、私の正体は――魔王なのだから」

「……え?」


 レダは己の耳を疑った。

 聞き間違いでなければ、間違いなく黒猫は自らのことを『魔王』と言った気がする。


「あの、申し訳ありませんが、もう一度おっしゃってもらっていいですか?」

「うむ、構わぬ。私の正体は、魔王だ」

「………………」

「………………」


 沈黙が続いた。


「ひとつお訪ねしたいのですが」

「先ほどのように、もっと気さくに話してくれて構わない」

「あー、じゃあ、聞きたいんだけど、本当に魔王?」

「いかにも。だが、証明しろと言われると、その手立てがないので困る。ここは信じてもらうほかない」

「うーん。じゃあ、君が魔王だとして、なぜ猫? なぜアムルスにいるのかな?」


 嘘をついているようには思えないし、わざわざそんなことをする必要もないだろう。

 だが、魔王というのなら、なぜこのような辺境の町にいるのか気になった。


「私は、勇者に敗れた。あまりにも力量差があり、相手にならなかった。屈辱よりも恐怖のほうが大きかった。長年魔王として君臨しながら、人間の少女に恐る日が来るとは思わなかった」


 過去を思い出すように魔王が言う。

 おそらく、黒猫の言う勇者とはナオミ・ダニエルズのことだろう。

 彼女が魔王を倒したというのは聞いている。


「死を覚悟した。いや、正直、死んだはずだった。私が覚えているのは、勇者ナオミと対峙したところまでだ。その後の記憶はあやふやだ。戦おうとすらできなかった。あまりにも彼女と私では実力に差があったのだ」

「……そこまでなんだ」

「私は死んだ、はずだった。しかし、わずかな魂の破片が宙を漂い、長い時間放浪していた」

「それでアムルスの?」

「偶然ではあるが、この町に行き着いた。この町の人々の暮らしを眺めていた私だったが、ふと子猫の亡骸を見つけた。まだ幼いが、親とはぐれ怪我をした子猫だった。哀れと思ったその時、子猫の亡骸に私は吸い込まれてしまったのだ」

「それで、その姿に?」

「うむ。私が魔王ということで警戒することも恐れることもあるだろう。だが、私が望むのは平穏だ。長い間魔王として戦い続けた日々にはうんざりしている。どうか、あの心優しい少女とともに猫としての生を過ごさせてほしい」


 なんとなくであるが、子猫の魔王の言っていることが本当であるとわかった。

 子猫は本気で、猫として生きていこうとしている。

 あくまでもミナの保護者であるレダに誠意として、正体を明かしてくれたのだろう。


「うん、君がどんな存在であれ、ミナが家族だと受け入れたのだから追い出すようなことはしたくない。だけど、ミナにも正体を言ってほしい。あの子にも知る権利はあるだろう?」

「無論だ。貴方の度量が大きくて安心した。私は、恐れられ、拒絶されると危惧していたのだ」

「正直に言うと、魔王とか言われてもあまりピンと来ないんだけどね。でも、一応、言っておくよ」

「聞こう」

「ないとは思いたいけど、もしミナに危害を加えたら、君が魔王だろうとなんだろうと絶対に許さない」

「――承知した。優しいご主人を傷つけないと誓おう」

「あと、家族とも仲良くね」

「うむ」


 素直に返事をしてくれた魔王に感謝する。

 と、同時に、言った方がいいのか悩みながらも、恐る恐る口にした。


「最後に言っておかないといけないことがあるんだけど」

「……なんだろうか?」

「君を倒した勇者ナオミだけど」

「うむ。二度と会いたくないものだ」

「――この家で暮らしているよ?」

「…………すまないがもう一度いいだろうか?」


 子猫が、信じたくないとばかりに、レダに問いかけてくる。

 できることなら否定してあげたいが、それはできない。

 子猫が拾われてきた今日は、冒険者として家を開けているが、数日後には帰ってくる。

 その時に揉めてしまうのはレダも望んでいない。

 前もって覚悟してもらう必要があった。


「残念だけど、この家にナオミ・ダニエルズが暮らしているんだ。彼女は俺たちの大切な家族だよ」


 はっきりとレダが告げると、魔王を名乗る子猫は失禁した。




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