44「レダとエルザ」⑤
エルザが腰のサーベルを抜き、迫りくる。
音もなく懐に入ろうとしてくる彼女の速度は実に驚異だった。
しかしレダは慌てることなく対処する。
迫りくる剣撃を紙一重でかわしながら、バックステップで距離を一定に開けていく。
時折、ひやりとする一撃が髪をかすめるが、まだ目で追える速度だった。
(まさかルナの母親とまた戦おうことになるなんて……悪いけど大人しくさせてもらう)
残念に思いながら、無詠唱で魔法を放った。
不可視の風が唸りをあげてエルザを襲う。
「前回と同じことを繰り返させん!」
だが、風の魔法がエルザに届くよりも早く、エルザが地面を強く蹴って地を這うように疾走することで避けられてしまった。
「――ちっ」
思わずレダが舌打ちをしてしまう。
「貴様は甘い、レダ・ディクソン。私相手に手加減をするなど、一度はそれでうまくいったが、二度目はない。愚かな行為を悔いるといい」
侮蔑とも取れるエルザの声とともに、迫る白刃をレダはなんの躊躇なく左手で掴んだ。
「――なっ!?」
まさか避けるでも、魔法で対処するでもなく、生身で受け止めるとは思っていなかったのだろう。
エルザが大きく目を見開く。
その隙に、レダは彼女の胸元を掴んだ。
「いい加減にするんだ」
左手はざっくりと切れていて、血がだらだらとこぼれて落ち刀身を赤く染めている。
痛みもあるが、指が切れて飛んでいったわけではない。
あとで治療すればいいだけだ。
レダは、自身の怪我を無視して、エルザと視線を合わせた。
「離せ!」
「あんたも子供じゃないだろう。自分の意見が通らないからって、短慮な行動に走るのはよすんだ」
「離せと言っている!」
レダは言われるまま彼女のサーベルから手を離した。
エルザが数歩後退して距離を取る間に、左手に回復魔法をかけて傷を治療する。
「貴様は私を馬鹿にしているのか?」
「……はぁ。なんでそうなるんだよ?」
「今、貴様は私を倒そうと思えば倒せたはずだ。だが、しなかった。貴様はなにを企んでいる」
「話をしよう」
「ふざけるな! 今さら話をしてなんになる! 話ならもうしたではないか! 私はルナを求めているのに、お前は渡そうとしない。ならば、残された手段は」
「力ずくか。じゃあ、やればいいよ」
「――なんだと?」
レダは無防備に大きく両手を広げた。
「俺を殺したければ殺せばいいさ。そんなことをしてルナと本当の親子になれると思っているならやればいい」
「ふざけているのか? 私は貴様の命など」
「俺は本気だ。抵抗はしない。あんたが本気で、ルナと親子になるために俺を殺すことが必要だと思っているのなら、やればいいさ」
「まさか私が脅しの類で貴様のことを殺すと口にしているだけだとでも思っているのか?」
「そんなことは思っていないさ」
「私は躊躇わないぞ!」
「なら早くやれよ!」
「――後悔するなよ!」
エルザの白刃が振るわれる。
レダは目を閉じることなく、真っ直ぐにエルザを見つめたまま微動だにしなかった。
――しかし、刃はレダの首に触れる前に、ピタリと止まった。
「やらないのか?」
「――うるさい! 私にだってわかっている! 貴様を殺しても、ルナは私のもとに戻ってきてくれない!」
エルザはサーベルを地面に落とすと、レダの胸ぐらを掴んで引き寄せた。
「ならば、どうすればいい! どうしたらルナは私を親として見てくれる? 私は、今までこうやって生きてきたんだ! 愛など必要なかった! 愛などいらなかった! 誰も私に愛など与えてくれなかった!」
一筋の涙がエルザの頬を伝う。
「答えろ、レダ・ディクソン! なぜ私は誰からも愛されない? なにか悪いことをしたのか? 奴隷として捕まり、売られ、凌辱され、娘と引き離されるほど悪いことをしたというのか?」
次々とエルザの瞳から涙が流れてくる。
彼女の本心をようやく聞けた気がした。
「あんたはなにも悪くない。それははっきりわかる。悪いのは、あんたに酷いことをした人間だよ」
「ならばなぜ、ルナは私を拒む? 汚れているからか?」
「そうじゃない。ルナはそんなことで誰かを拒んだりしない」
「私だって、叶うなら普通の暮らしをしたかった。優しい夫と元気な娘と些細な日常を送ることができればそれでよかったんだ! しかし、あの男が、私を凌辱したあの男が、私からなにもかもも奪った!」
エルザの涙は止まらない。
泣きながらエルザは叫んだ。
「あんな目に遭わされて、誰かを愛せるわけがないじゃないか!」
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