58「弟の来訪」③



「ちょっ、お待ちください! なにをしているんですか!」




 レダが慌てて手を伸ばし、短剣を奪い取る。




(こ、この人、なに考えているんだ、急に! ちょっと、怖いぞ!)




 まさか自害を試みるなど思いもしなかった。


 アストリットも目を丸くしている。




「邪魔をしないでください、ディクソン殿! 姉上に嫌われてまで、生きている意味などありませんっ!」


「そんな無茶苦茶な」


「……この子、こんなに私のこと好きだったかしら?」


「大好きです! さあ、ディクソン殿! 短剣をお返しください!」


「ちょっと、アストリット様も止めてくださいよ! この方、意外に力が強くて! あ、駄目です! 短剣取り返そうとしないでください、危険です、危険ですから!」




 身を乗り出して短剣を奪い返そうとするウェルハルトに、レダは抵抗し続ける。


 せっかく手に入れたマイホームで、王族に自害などされて溜まるものか。


 料理中のルナは、ちらり、とレダたちに目を向けるも、何事もなかったように料理に戻っている。


 おそらくウェルハルトが本気ではないと思ったのだろうが、レダとしては目が本気に見えた。




「やめて、ウェルハルト。弟が自害するところなんて見たくないわ」


「はい、やめます!」




 アストリットに窘められると、あっさり大人しくなったウェルハルトに、レダはため息をつく。




(まさかとは思うけど、姉の気を引きたいだけ……じゃ、ないよね?)




「はぁ。ごめんなさい、レダ。ちょっと弟のことがわからないわ」




 額に手を当てて嘆息するアストリットに、つい同意しそうになってレダは慌てて笑顔を作る。




「ウェルハルト、あなたのことを信じたいけど、私は今まで多くの人に裏切られてきたの。だから、そんな簡単に信じることなんてできないわ」


「はい。姉上の境遇を考えれば、無理もないことだと思います」


「でも、王都からわざわざアムルスまで私に会いにきてくれたあなたのことを信じたいとも思っているの。だから、時間を頂戴」


「もちろんです! 姉上が嫌わないでくださるのなら、私はそれだけで、それだけで、もうっ!」




 信じることが難しくとも、嫌われてなければ構わないとウェルハルトが顔を輝かせた。


 整った笑顔が眩しい。


 この場に年頃の女性がいたら、容易く彼に心奪われるだろう。


 それほどまで強力な笑顔だった。




「ありがとう。それにしても、よくお父様がアムルスまで来ることを許してくれたわね」


「いえ、勝手に来ました」


「……ちょっと」


「父上だって影武者を立ててアムルスに来ていたのですから、私だっていいではありませんか! 今は執務らしい執務もありませんし、せいぜい騎士団と一緒にモンスター討伐に行くくらいです。お腹が痛いと伝えてあるので、しばらく参加しなくてもいいでしょう」


「ウェルハルト……お腹痛いって、子供じゃないんだから」




 弟の言い訳に呆れてしまうアストリットは苦笑いだ。


 そんな姉に、ウェルハルトは表情を引き締めた。




「実を言うと、姉上をお迎えに来たという理由もあります」




 弟の言葉に、アストリットの身が強張る。




「私を? でも、私は王都に戻れないわ」


「身の危険をお考えなのでしたら、もう、その心配をする必要はないとお伝えしておきます」


「どういうこと?」


「姉上を害し、排除しようとしていた勢力はもうありません」




 ウェルハルトの言葉に、アストリットはもちろん、レダも衝撃を受けた。


 王妃キャロラインが、敵対している第三夫人マイラとその息子である第二王子ベルロールをはじめとする勢力と戦っている。


 アストリットがアムルスに滞在している理由は、ひとえにその身を守るためだ。




「……お母様が?」


「それもあります。私も、キャロライン様にご協力させていただきました」


「ウェルハルトも?」


「もちろんです! お慕いしているお姉さまのためなら、どんなことでも致します! 愚かな母などは、マイラを潰し、あわよくばキャロライン様を、などと企んでいましたが、そんな母には辺境の田舎に蟄居していただきました」


「ミリアリア様を!?」




 母親を蟄居したと言い放ったウェルハルトにアストリットは驚きを隠せない。




(ウェルハルト王子……アストリット様が絡むと、行動が過激だな)




 レダも耳を疑ったが、短時間でもウェルハルトの言動を見ていると、本当にやりそうだと納得できた。




「ええ、私が王位を継ぐことを父上から聞かされても、どこか疑心暗鬼で暴走しそうだったので先手を打ちました。もっとも、キャロライン様のお立場を奪いたかっただけかもしれませんが」


「……喜んでいいのかしら、頭が痛いわ。ウェルハルト」


「どうか、昔のようにウェルとお呼びください。できれば、愛情をたっぷりと込めていただけると嬉しいです」


「……ウェル」


「はい!」




 愛称で名を呼ばれたウェルハルトが破顔する。


 子犬が主人に呼ばれたように嬉しそうだった。




「いろいろ聞きたいことはあるけど、まず、もう脅威がなくなったってどういうこと? そこから説明して」


「そのことでしたら簡単です。ベルロールが死にました」








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る