16「アストリットの過去」②



「――誰っ!?」




 部屋の中心に置かれる、天蓋付きの大きなベッドの上に、四肢をシーツで縛られ身動きのできない女性がいた。


 年齢は二十代半ばほどだろう。


 あまり手入れのできていない伸びきったブロンドヘアーに、白い寝巻きを着ている。


 なによりも目を引くのは、顔の大半を覆う包帯だった。




(……きっと傷を隠しているんだな)




 レダたちがベッドに近づくと、女性はもがきはじめてしまう。


 そんな彼女を落ち着かせようと、キャロラインとヴァレリーが声をかける。




「アストリット。治癒士の先生を連れて参りましたよ。それと、覚えていますか。子供のころ、一緒に遊んだヴァレリー・ローンデンヴァルトですよ」


「ご無沙汰しております、アストリット様。わたくし、ヴァレリーです。覚えていらっしゃいますか?」




 ふたりは努めて明るい声を出してアストリットに近づいた。


 レダとナオミは、王女の対応をふたりに任せ、ベッドから一定の距離を保つ。




「――くるな!」




 母とかつての友人に声をかけられたアストリットの口から出てきたのは、拒絶だった。




「あ、アストリット」


「お母様っ! もういい加減にして! 無理やり、どこかわからない田舎に連れてきたと思ったら、昔の知り合いに、私の惨めな姿を晒そうっていうの!」


「ち、違います! そうではありません! この町で治療師をしているディクソン殿――」


「もう治療はうんざりだっていってるでしょ!」


「ですが」


「今まで誰も治せなかったのに、田舎で燻ってる治癒士になにができるっていうのよ! そんな奴が私を治してくれるなら、とっくに他の治癒士で治ってるわっ!」




(こりゃ、頑なだな。だけど、無理もないか。何度、治療を試みて、叶わず、絶望したんだろう)




「やっぱりわがまま娘だな。引っ叩いてやろうか?」


「しっ、やめなさい」




 マイペースに物騒なことを言うナオミに、静かにするように注意したレダは、キャロラインたちのやり取りを再び見守る。




「アストリット様、どうかわたくしのお話を」


「――その声、覚えているわ。ヴァレリーよね」


「はい。ご無沙汰しております」


「悪いけど、私のことを見ないで。見られたくないの。同じ女ならわかるでしょ。私は目が見えないだけじゃないわ、顔に大きな傷があるのよ! こんな醜い姿なんて見られたいはずがないでしょ! ちょっとは気を使いなさいよ!」


「アストリット! おやめさない! ……ヴァレリー、申し訳ありません。ディクソン殿、娘は興奮しているようですので、今日の治療は無理でしょう」


「だからっ、私は治療してほしいなんて言ってないわ!」




 怒声を浴びせる娘に、キャロラインは今日の治療を諦めてしまったようだ。


 しかし、レダは違った。




「いいえ、やりましょう。むしろ、早いほうがいいと思います」




 アストリットの現状を見て、明日、明後日に治療を伸ばすのは難しいと思ったのだ。


 彼女の心は傷ついている。


 それは、女性でありながら顔を負傷したことや、失明したこともそうだろう。


 治療を受けるたびに、絶望したこともあるだろう。


 何年も、そんな境遇を続け、今の誰にも心を開かない女性になってしまった。


 そんなアストリットが、明日、明後日、もっと日にちが経ったところで変わるとは思わなかった。


 なによりも、




(この方に必要なのは、治療だ。それ以外ない)




 レダは確信していた。


 優しい言葉を並べても、気遣う言葉を続けても、アストリットの凍ついた心が氷解することはない。


 むしろ、時間が経過すれば、もっと頑なになってしまう可能性がある。


 ならば、強引になっても治療をする以外の選択肢はない。




「――はっ、なによ、偉そうに! あんたになにができるっていうの? 私の目を、顔を、治せるっていうわけ?」


「可能性はあります」


「はぁ!?」


「私は王妃様に頼まれました。どうか、私に治療させてください」


「嫌に決まってるでしょ! 指、一本でも触れてみなさい。不敬罪で殺してやるから!」


「アストリット!」


「なによ! お母様だって、私が男に触れられるのが嫌だってわかってるでしょう!」


「……それは」


「それなのに、わざわざ男の治癒士を連れてくるなんて、なんて私ったら母親に愛されているのかしら!」


「誤解です! ディクソン殿は、確かに男性ですが、彼の腕が王都まで伝わってきたからお願いしたのであって、あなたを苦しめたかったわけではありません!」


「実際、私は、今っ、苦しんでるじゃない!」




(男に触れられたくないって、どういうことだ?)




 尋ねていいものか悩んだ。


 だが、このまま治療できないのも困る。


 レダは、恐る恐る、キャロラインに尋ねた。




「あの、王妃様?」


「ディクソン殿……実は、その」




 歯切れの悪いキャロラインに、アストリットが鼻で笑った。




「あら、お母様ったら説明していないのね。いいわ、よく聞きなさい」


「アストリット! なにもあなたが自分で言う必要は」


「お母様が事前に説明していないから、私が説明してあげるのよ!」




 声を荒らげる娘に、王妃が目を背ける。


 アストリットは、まるで自嘲するかのように声を発した。




「以前、目が見えないことをいいことに、治癒士が私を襲ったのよ!」




 それは、あまりにも悲痛な叫びだった。






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