8「アストリット王女の事情」①
「父の話だと、一度で構わないので治療を試みてほしいそうだ。駄目なら駄目でいい、だが、なにもしないという選択肢は取らないでほしいとのことだ」
「はい。ここまで話を聞いて、なにもしません、とは言いません」
顔も知らず、名前さえ知らなかった王女に同情してしまっていた。
「ありがとう。下手に断るわけにはいかなかったのだ。感謝する」
「ティーダ様にしてもらっていることを考えたら、このくらいどうってことありませんよ」
「……こちらのほうが世話になっている気がするんだけどね。レダには助けられてばかりだ。ただ、問題もあってね」
「問題というと?」
「アストリット様とレダを、どこで会わせるかと悩むところだ」
「……あ、確かに」
「レダに王都に行かれても、ネクセンとユーリがいても信頼面で住民が困るだろう。だからといって、アストリット様にアムルスに来ていただくのも難しいはずだ」
「失明していたら旅なんて簡単にできませんし、仮に馬車を使って強行軍を行なっても、不安などは尽きませんからね」
さらに言えば、一国の王女がお忍びで誰かに会う、どこかに行く、というのも問題だろう。
いや、王女の治療に躍起になっている母である王妃ならそのあたりをなんとでもしそうだが、王妃自身がついてくるかもしれない。
アストリットは宮廷内の争いの結果、光を失う怪我をしたという。
ならば、今回の件を嗅ぎつけた政敵がよからぬことを企まないという保証もないのだ。
「いや、違う。そうではないんだ。レダの心配と、私の心配はかなり違う」
「はい?」
「私の心配は、アストリット様にある。あの方は、誰の言うことも聞こうとしてくれないのだよ」
「え? じゃあ、どうやって」
「だから、そこが大きな問題なんだ」
ティーダはグラスの中のワインを飲み干し、嘆息した。
レダは、ワインのボトルを手に取ると、彼のグラスに注ぐ。
「すまない。……かつてはアストリット様も違った。私や妹は何度か会ったことがあるので、知っている。だが、命を狙われた恐怖、光を失い、何度治療しても治らない視力、ときには詐欺師に騙されたこともあったそうだ」
「……酷い話ですね」
「そんなことが続けば、人間不信にもなる」
「アストリット様は、人間不信なんですか?」
「話を聞く限りではそうらしい。私は今の、アストリット様とお会いしたことがないので、なんとも言えないが、父の話だと随分な性格になってしまわれたようだ」
無理もないとレダは思う。
第一王女に生まれても、女の子は女の子だ。
命を狙われれば怖いし、光を失えば絶望する。
治療のたびに期待し、だが結果が伴わない。
そんなことを何度繰り返しただろうか。
わずかな希望に縋ろうとする人間を、悪意を持って騙す人間も現れれば、人間不信になったってしかたがないことだ。
「かつては笑顔の絶えない優しくて、穏やかな方だったんだ。しかし、今のアストリット様は違う。口を開けば罵声が飛び交い、暴力に走る傾向もあるらしい」
「……そうですか」
「暴力と言っても、盲目な故、手が届くものを音のするほうに投げつける程度らしいがな。ただ、そんなアストリット様を、国王様はすでに諦めておいでだ」
「――っ、そんな。なんて酷い」
少し変だと思っていたのだ。
ティーダの父が王城に呼ばれるも、娘のことを頼んできたのは母親である王妃だ。
王妃がレダの話を聞き、わずかな希望を見出そうとしている間、国王はどんな顔をして玉座に座っていたのだろうか。
無関心にか、それとも、諦めの悪い妻に嘆息でもしていたのか。
「そんなアストリット様だ。例え、レダが治療にきました、と訪れたとしても、はいそうですか、と治療させてくれるわけがない」
「それは、そうでしょうね。そもそも会ってもらえるかどうかも不安です」
「そうだな。さらに言えば、もしうまくいかなかったら、アストリット様のお心はさらに傷つくことになるだろう」
それはレダも考えている。
現状ではなにができるかわからないが、受けると決めたのだから、最善のことはしたい。
だが、今回の件に絶対はない。
悪いことだけを考える趣味はないが、最悪の場合だって想定しなければならないのだ。
「逆に、アストリット様にアムルスに来てもらうのも難しい。移動手段の問題ではなく、アストリット様自身が、治療など無駄だともう思っているそうだ」
「諦めてしまっている、ということですか?」
「口にするのも忍びないが、すでに何度か自傷行為をしているらしい。死んでしまいたいと思っているのかまで私にはわからないが、目の見えぬことに絶望していることだけは間違いない」
前途多難だ。
レダは、再び、グラスに注がれたウイスキーを勢いに任せて飲み干した。
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