62「異形との戦い」④
「ぼうっとしないでよっ、ヒルデ!」
ついに見ているだけを我慢できなかったルナがナイフを構えて飛び出した。
懐から数本のナイフを取り出すと、的確に目や口を狙って異形に投げつける。
その内、一本のナイフが、異形の目に突き刺さる。
痛みを感じたのか、異形が咆哮のような絶叫をあげた。
「――はっ! パパを痛めつけたお礼よ! この、くそ化物!」
異形はナイフの刺さった目を押さえて数歩後退する。
しかし、力任せにナイフを引き抜いてしまう。
からん、とナイフが落ちた。
「ぐがぁああああああああああああああああああっ!」
痛み、怒りを混ぜたような咆哮が異形から放たれた。
次の瞬間、ルナによって潰されたはずの片目が、修復されてしまう。
「それって、ずるくない?」
思わず、そんな呟きをしてしまうルナだが、次なる攻撃のためにナイフを構えている。
魔法だろうと、ナイフだろうと、攻撃は通る。
ただし、それを異形は気にしないということだ。
痛みはあるのだろう、傷つけられれば怒りを見せるし、若干の足止めにもなる。
しかし、その程度でしかない。
異形を倒す決定的な一撃がないのだ。
「これってジリ貧じゃない?」
「ルナ! 下がれ! お前はミナを守らないでどうする!」
「下がらないわよぉ。ミナには動かないように言い聞かせたから大丈夫」
「お前になにかあれば、レダが!」
「それはヒルデも同じでしょぉ」
「しかし!」
外見こそ幼いが、この場で一番の年長者であるヒルデガルダは、年下の少女に無理をさせてなにかあることを望まない。
だが、ルナも、家族が傷ついているのを見ているだけはもう我慢ならなかった。
「この化け物はあたしが相手にするから、パパになんとか自分のこと治療させてねぇ」
「無茶を言うな!」
「しーらないっ」
レダの回復魔法の効果は遅い。
おそらく、レダ自身が重症だからだろう。
放置すれば死んでしまうかもしれないが、幸い、レダは自分を治療している。
ただ、呻きながら自らを回復させようとする、その姿は痛いしくてたまらなかった。
「ほら、こっちよ!」
ルナは挑発するように異形にナイフを繰り返し投げると、レダから注意を逸らそうとする。
その試みは成功した。
片目を一瞬とはいえ奪ったルナに、異形は明確な怒りを向けていた。
おかげで、ルナがレダから離れていくと、異形の顔も彼女を追うように動かされる。
ただし、このままでは異形を倒すことができない。
ルナは、内心、ナオミが町の外のモンスターを一掃して、こちらに駆けつけてくれることを期待している。
彼女の攻撃なら、この異形も倒すことができるだろうと考えたのだ。
しかし、今のところ、ナオミがこちらに戻ってくる気配はない。
「やっかいなことになったわね」
つい、愚痴を口にしてしまうのも無理のないことだった。
その間にも、ルナはナイフを投擲して異形に立ち向かう。
化け物の体には、十を超えるナイフが刺さっている。
だが、異形は平然としていた。
ただの挑発にしかなっていないことが腹立たしいが、最愛の人から化物の注意を引くことができたことに成功したことは喜ばしい。
ルナは、たとえ自分になにかあがったとしても、レダが無事ならそれでいいのだ。
彼が自分に万が一のことが起きることを望んでいないとしても、ルナはレダのためなら躊躇いなく命をかけることができる。
それだけの想いを抱いているのだ。
一方、ヒルデガルダは、レダの治療を見守ることしかできない。
ときどき、意識が飛びそうになった彼を、痛みで引き戻しながら、一刻も早い回復を願うだけだ。
この役目は、ルナにもミナにもできない。
最愛の人の血で手を汚し、ときには楽になろうとしている彼を強制的に現実に引き戻すのは辛いものがある。
だが、楽になられてしまっては困るのだ。
レダの人生はまだ続く。
エルフより短い人間の生ではあるが、まだ三十という若さで終わっていい道のりではない。
「レダ、頑張れ。あと少しだ、そうだ、とりあえず腹部さえ回復してしまえばいい」
彼の意識が途切れないように、必死で声をかけ続ける。
その甲斐あって、レダの瞳に光が戻っていくのがわかった。
治療が少しずつ効果を得ている証拠だ。
「レダ! 早く、治してくれ! 頑張って、生きてくれ!」
「……ひる……で…………」
「ああ、私だ。ヒルデガルダだ! よし、いいぞ。治ってきたな! ならば、最後まで、早く治してしまえ!」
「ごめ……ん……」
「謝罪など必要ない。お前は私を庇って負傷したのだ。謝罪するのはこちらのほうだ。だから、頼む。助かってくれ、レダ!」
会話が成立するまで回復したことに安堵するも、油断は許されない。
本来なら、数秒で治療が完了するレダの回復魔法の効き目は、いまだ遅い。
一刻も早い、回復をヒルデはただただ願うのだった。
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