58「変貌」
「ニュクト、なにを!?」
「――あっ、あぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああっっ!」
闇に包まれたニュクトから絶叫が聞こえる。
彼女を中心に闇が広がっていった。
「――馬鹿な。 たかが魔法使いが、邪神の眷属を本当に召喚したとでもいうのか!? ありえん!」
障壁を張るヒルデガルダが驚きの声をあげている。
彼女の後ろから、ルナとミナがレダに向かって叫ぶ。
「ちょっと! なにが起きてるのよ! パパ! とりあえずこっちにきて!」
「おとうさん! はやく! こっち!」
「……だけど」
自分のことを手招きして呼び寄せようとする娘たちに、レダは悩む。
(このままニュクトを放置していいのか?)
「レダっ! その女は自分で選択したんだ! レダにできることはない!」
「パパはやく! なにが起きるかわからないんだから、こっちにきて!」
「おとうさん! おとうさん!」
躊躇いを見せたレダに、家族たちが慌て声を荒らげた。
「――くそっ!」
レダは、家族の声に従い、ニュクトを放置することに決めた。
そして、走ってヒルデガルダの張る障壁の中に、逃げ込んだ。
次の瞬間、ミナが腕の中に飛び込んでくる。
「――おとうさん!」
「おっと、ごめんね、心配かけて」
「ううん! いいの」
心配させてしまった娘を強く抱きしめながら、レダはニュクトを見つめた。
「……ニュクトになにが起こっているんだ?」
彼女を中心に、まるで火事の煙のように闇が広がっていく。
冒険者ギルドの上の空を黒く染め、まだその闇は範囲を拡大している。
「――あぁあああああああっ」
断続的に聞こえてくるニュクトの悲鳴とも絶叫とも判断できない声が、不気味だ。
彼女になにか変化が起きているのか、それとももっと別ななにかが起きているのか。
いや、そもそも、邪神とはなんだ、とレダは半ば混乱していた。
「ヒルデ、邪神ってなんなんだ?」
「そのままの意味だ。邪悪なる神と書いて、邪神」
「邪悪な神?」
「もちろん、古い文献にそう書かれているだけで、実際のところは不明だ」
「その眷属を呼んだみたいだけど?」
「邪神のみならず、神々には眷属がいる。私も詳しいことはわからない。だが、人の身で、それも、あの程度の魔術師が眷属を召喚することなど不可能なはずだ。もしくは――」
言葉を止めたヒルデガルダは、レダを振り返り、悲しげな顔をした。
「なにか大きな代償を支払うなりしたのだろう」
「それって……」
「だが、そもそも本当に邪神の眷属を召喚できたかわからない。もっとも……この広がる闇には禍々しさを覚えるがな」
「それは同感だ」
ヒルデガルダの言葉通り、レダも、眼前に広がっている闇に、言い表せない不安を覚えていた。
闇の中にいるニュクトは無事なのか、と心配になる。
相手は、町にモンスターをけしかけ、レダの命を狙う人物だが、かつての仲間でもあるのだ。
レダはニュクトを殺したいわけではない。
捕縛し、裁判を受けさせ、罪を償わせたかった。
「ねえ、パパ。動いていないなら、さくっとやっちゃうっていうのはどう?」
「それはやめておこう。どう反応が戻ってくるのかわからないから怖い」
好戦的なルナに、苦笑しつつ返事をした。
こんなときであるからこそ、いつもと変わらないルナが頼もしい。
だが、無理をさせて予測のつかない事態にしたくないので彼女の提案は却下だ。
「お、おとうさん! 見て! あれ!」
腕の中にいるミナが、ニュクトに向かって指差した。
「……おいおい」
彼女の変化が訪れた。
広がっていた闇が、静かに彼女を中心に戻っていく。
時間をそうおかず、全ての闇がニュクトを包む繭のようになった。
そして、
「――っぁあああああああああああああああああああああっっ!」
今までにない、一番の絶叫が響き渡る。
その声の大きさは、耳を塞ぎたくなるほど、痛ましかった。
「……ニュクト」
絶叫をあげたニュクトを拘束していた、レダの拘束魔術が音を立てて砕けていく。
こんな状況だからこそ、彼女に身動きをさせまいと、魔力を流しこんで強固なものとしていたにもかかわらず、実にたやすく砕かれてしまった。
「ああああっ、がぁああああああっ、っぁぁあああああああああああああああああ!」
再び絶叫が放たれると同時に、繭に亀裂が走った。
そして、レダは驚きに目を見開く。
いや、レダだけじゃない。
ヒルデガルダも、ルナも、そしてミナも、誰もが驚愕に包まれた。
「――っ、おい! なんだよ、それは! ニュクト!」
闇の中から現れたのは、まるで別人のように姿を異形に変貌させたニュクトだった。
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