20「アンジェリーナと過ごす夜」②


 レダは訳の分からぬまま、アンジェリーナの私室にいた。




(女性の部屋に入るなんて何年ぶりだろう)




 思い返しても、田舎で幼馴染みや妹分の部屋に入ったくらいしか記憶にない。


 金づるにされていた元恋人に至っては、家の場所も知らなかった。




(……なんていうか、落ち着いた部屋だなぁ)




 花のような香りがする部屋には、小さな本棚とクローゼットにベッド。テーブルと椅子。


 本棚には分厚い書物が並べられていて、中には魔導書も複数ある。一部、本の代わりに酒類とグラスが並べられているのはご愛敬だろう。


 簡易な部屋ではあるが、落ち着きがあり、とても娼館の中にあるとは思えなかった。




「私の部屋で申し訳ございません。お客様をお相手する部屋は今宵は満員ですので」


「いえ、俺はその、別にお礼でこんなことをしてもらうつもりはまったくなくてですね」


「あら? ですが、娼館にきたのですから。あと、どうぞこちらに来てください」




 未だ部屋の入り口に立ち尽くしているレダをアンジェリーナが手招きする。


 二十歳ほどの女性に、三十路のおっさんが緊張している姿は情けないだろう。


 レダに自覚はあるものの、女性経験皆無のため、このような状況下でどうすればいいのかわからないのだ。


 悩んだ末、レダは彼女に呼ばれるまま招かれたベッドの上に腰掛けた。




「あの、俺は本当に連れてこられただけでして」


「……初めての方が緊張するのはわかります。そうですね、まずリラックスするためにお酒でもいかがですか?」


「じゃあ、はい。お任せします」




 レダが返事をすると、アンジェリーナは立ち上がり本棚からウイスキーとグラスを取り出した。


 ふたつのグラスに琥珀色の液体を静かに注ぐと、レダに差し出してくれた。


 軽くグラス同士を当て、乾杯すると、レダは煽るようにウイスキーを飲み込む。


 アルコールが体内を駆け巡り、少しだけ緊張が解けた気がした。




「落ち着かれたようでなによりです。改めて、ご挨拶させてください。私はアンジェリーナ。この娼館で働く娼婦ですわ」


「レダ・ディクソンです。冒険者ですけど、最近は治癒士もやっています」


「レダ様とお呼びしても」


「どうぞ」


「ありがとうございます。レダ様のことは存じていました。この町の希望ですもの」


「そんな、大げさな」


「いいえ、そのようなことはありませんわ。私たち娼婦は、どちらかというとお医者様か薬師様にお世話になることが多いのですが、今日のようなことがあると、どうしても治癒士様にお頼りしなければなりません。そのようなとき、レダ様のような方でしたら、安心して身をお任せできます」




 信頼する瞳で見つめられ、せっかく解けてきた緊張に再び包まれてしまいそうだ。




「まさか、こうしてお会いできる機会を得るとは思いもしませんでした。どうぞ、ご贔屓にしていただければ嬉しいですわ」


「あ、はい、こちらこそ」




 その後、アンジェリーナがエスコートする形で会話が進んでいった。


 さすがプロというべきか、緊張気味のレダを鬱陶しがることなく接してくれる。


 いつしかレダの緊張も解け、アンジェリーナと会話を弾ませるようになっていった。


 気持ちが良くなる程度にウイスキーを飲んだこともあるだろう。




 酔いが回ってきたことを自覚したレダが時計を見ると、そろそろ日が変わりそうだった。


 もう一時間以上、アンジェリーナと話をしていたこと気づく。




「そろそろ、帰ります。お酒、ごちそうさまでした」


「……え? まだ私を抱いておられませんよ?」




 帰ろうとするレダに、アンジェリーナが驚き、口元に手を当てた。




「さっきも言いましたけど、俺は無理やり連れてこられただけでして。そのつもりはなくてですね」


「――娼婦はお嫌いですか?」




 今まで笑顔だったアンジェリーナの表情が悲しげに陰ったことに、レダは慌てる。




「いいえ、違います! 違いますから!」


「では、なぜでしょうか?」




 レダは悩んだ。


 正直にいうべきか、誤魔化すべきか、と。


 できることなら誤魔化したい。この話をやめてさっさと帰りたい。


 しかし、潤んだ瞳でこちらを見つめてくるアンジェリーナを放置できない。




 きっと、なにも言わなければ、レダが娼婦を嫌っていると勘違いされてしまうだろう。


 レダには娼婦を嫌う理由はないのだ。




(……言うしか、ないのか)




 レダは覚悟を決めた。


 そして、深呼吸を浅く繰り返すと、自分の言葉を待つアンジェリーナと視線を合わせる。




「レダ様?」


「――は、恥ずかしいお話ですが、俺は女性経験がないんです!」








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