34「アマンダ襲来」③



「俺もレダのことは好きだが、これはどうしてくれるんだろうな?」




 とんとん、と肩を叩かれたので振り返ると、リッグスがいい笑顔で立って指を背後に向けていた。


 彼の指先は、宿屋に向いている。


 なにを、と思い視線を動かして、レダは顔を引きつらせた。




「えっと、これはですね、決してわざとやったわけではなくて」




 脂汗を流しながら、レダは必死に言い訳をする。


 彼の視線の先には、泥まみれとなった宿屋の壁があった。




「そんなことはわかっている。まあレダではなく、あの小うるさい女のせいだということもな」




 ほっ、と胸をなでおろすレダ。




「夜の営業までに綺麗にしておいてくれや」


「はい?」




 にっこり笑顔を作ったリッグスから渡されたのは、一本のデッキブラシだ。




「まさか」


「よろしくな、治癒士様」


「えぇえええええええええ!? 俺が掃除するんですか!? テックスさんも手伝って……って、いねーし!」




 助けを求めようとした友人は忽然と姿を消していた。


 なんて頼りにならないんだ、とレダは涙する。




「あ、そろそろ仕事戻らないとな」


「俺も母ちゃんにどやされるぜ」


「あ、休憩時間が終わっちゃうわ」




 住民たちはレダと顔をあわせることなく、蜘蛛の子を散らすように去っていってしまう。




「掃除するの俺だけかよ!」


「おとうさんがんばって! 応援してるね!」


「え? 手伝ってくれないの?」


「ふふっ、パパったら愛されてるわね」


「今ここで言われても皮肉にしか聞こえないんですけど!」




 がっくり肩を落としたレダは、ブラシを構えて、泥汚れが蔓延る宿屋の壁に挑むのだった。








 ※








 回復ギルドの職員アマンダ・ロウは、汚れた服と顔のまま、王都に向かう馬車に乗り込んでいた。


 着の身着のままで、アムルスから逃げるように去ることになった彼女は、屈辱にまみれていた。




 座席に座って、苛立ちを隠さず爪を噛む仕草は怖いものがある。


 十人ほどが乗れる大型の馬車の中にいる乗客たちも、アマンダの異様な雰囲気に、心配の声さえかけることができずきまずい雰囲気が漂う。




「治癒士は尊敬されるべきなの。そうよ。そうに決まっているわ。普通の人間には使えない回復魔法を使える治癒士は特別なの。そうじゃないと駄目なの。お金だって、技術料じゃない。なんで怪我を治してもらった人間が治してくれた治癒士に文句を言うの? そんなのいけないわ、間違ってる」




 すでに彼女の爪は割れ、血が流れている。


 近くに座る老夫婦が心配の眼差しを向けているが、アマンダは気付くことなく爪を噛み続けていた。




「すばらしい技術を持つ人間が正しい評価と報酬を得ることは当たり前のことよ……間違っていないわ。ええ、私はなにも間違っていないわ。間違っているのは、レダ・ディクソンよ。あいつのせいで、私は、私はっ」




 彼女の抱く感情はすでに怒りを超えていた。


 いつ爆発してもおかしくない怒りを抱えた彼女が、更なる恨み言を呟こうとしたときだった。




 ――がくん。と、馬車が揺れ、アマンダたちの体が一瞬だけ宙に浮く。




「何事ですか!」




 苛立ちに任せて、御者に怒鳴りつけるも返事はない。


 代わりに馬車が止まった。




「いったい何なのよっ、早く王都に戻りたいというのに、こんな街道の真ん中で止まるなんて! ちょっと! いったいどうしたというの!」




 文句を吐き捨てるアマンダの声に返事はない。


 しばらくすると、誰かの足音が近づき、馬車の扉に手をかける音がした。




「あなたね、もっとちゃんと運転なさ――」




 御者が謝罪に現れたのだと思いこんでいたアマンダは、苛立ちをぶつけるように口を開き、言葉の途中で硬直した。


 なぜなら、




「……誰?」




 まったく知らない男たちが現れたのだ。


 人数は五人。全員が武装している。




「――ひっ」




 怯えた声を出して尻餅をついてしまう。


 彼女は見てしまった。突如現れた五人の背後に、御者が血を流して倒れているのを。




「ま、まさか、そんな……野盗」




 なぜすぐに気づかなかったのかと思った。


 薄汚れた出で立ち、衛生感のまるでない悪臭、そして血に濡れた剣。


 まともじゃない人間たちの姿ではないか。




「よう姉ちゃん、そういう言い方は気に入らねえな。俺たちは誇りある義賊だ。そこを間違うと痛い目に遭うぜ?」




 顔に深い傷跡を持つ先頭の男が、にやり、と笑う。


 アマンダの身が、恐怖で竦んだ。




「さてと、言わずともわかっているだろうが、てめえらは俺たち「黒の狼」の戦利品だ。少しでも抵抗しようと思うな――殺すぞ」


「――ひぃっ」




 野盗はそういうも、回復ギルドの職員でしかないアマンダに抵抗などできるはずもない。


 助けを求めようと、馬車の中の同乗者に目を向けるも、全員が絶望を浮かべ硬直している。




(……どうしてこんなことに)




 助けなど期待できないとわかった刹那、アマンダは絶望しながら己の不幸を呪うのだった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る