46「家族になるためのステップ」③
「もうやめて!」
ルナの声を遮るように、ミナの悲痛な叫びが響いた。
「……いいわ。わたしもこんなおじさんにいつまでも構ってるつもりはないもの。じゃ、帰りましょ」
「……わたし、あんなところ、もどりたくない」
「そうね。反吐が出るような場所だけど……住む場所がないあたしたちが一緒にいるためなら我慢できるわ」
忌々しいとばかりに渋い顔をするルナ。
ミナが「あんなところ」と言った場所にルナ自身も戻りたくないのだろう。
「なら、戻る必要なんてない」
「はぁ? おじさん、なに言っちゃってるの?」
「君たちがどこからきたのか、どんな事情でミナが逃げてきたのか俺にはわからない。だけど、戻りたくないなら戻る必要はない。俺と一緒に暮らそう」
「……レダ」
「ルナ、だったよな? 君がミナの姉なら、一緒に暮らそう」
レダの本心だった。
自分と出会うまでミナがどこにいたのか知らない。
姉がいることにも驚いた。
だけど、逃げ出すほど嫌な場所に、戻る必要なんてない。
「うざっ! 超うざいんですけど!」
苛立った表情を浮かべて、ルナが手を振るった。
次の瞬間、レダの太ももに痛みと熱が宿った。
「――あ?」
視線を足に落とすと、そこにはナイフが刺さって鮮血が流れていた。
「――っっっ、ぐぁ!?」
自覚すれば激痛がやってくる。
痛みよりも驚きで、その場に膝をついてしまう。
「レダっ!?」
「はぁ……おじさんがつまならないこと言うから、ついイラっとしちゃったじゃない」
「やめて、おねえちゃん。もうやめて」
(……やばいぞ……この子、俺よりも強い。いや、俺って戦いは得意じゃないけど、それ以前の問題だ)
レダにはルナの動きが見えなかった。
つまりそれほど実力差があるということだ。
痛み以上に、褐色の少女にどう対処すればいいのか悩むレダだった。
※
「加齢臭のするおじさんはこれでしばらく黙っているでしょうから、姉妹の話をしましょ。もう一度しか言わないから。帰りましょう」
「いや」
「……あたしを捨てて、組織から逃げ出して、そんなにそのおじさんがいいわけ?」
「そんなんじゃない。わたしがにげたのは、わたしのせいでおねえちゃんがわるいことさせられてるからだもん」
「……ふうん。そう言えば、あたしが納得するとでも思った? 逃げるなら一緒に逃げればよかったのに、あんたはあたしのことを見捨てたのよ! あんたを守るために、人殺ししなきゃならないあたしを見捨てて、あんただけ逃げたのよ!」
「ちがうもん!」
ミナは姉が怒っているのをよく理解していた。
だけど、ミナは一度として姉を見捨てたことなどない。
とある貴族の娘として生まれたミナとルナは、財政難に陥ったことをきっかけに父親に裏組織に売り払われた。
ミナには「恩恵」というギフトがあった。特定の誰かの力を向上させるものだ。
その力は大したものではない。
元からある力を少し向上するだけの些細なもの。
もともと力を持っていなければミナのギフトなど役に立たない。
せいぜい十ある力を十一か十二にする程度の力でしかないし、「恩恵」だって目に見えてはっきりするほどではない。
ただし、「恩恵」を受けた相手が無自覚に眠らせていた力を目覚めさせる効果も備わっているらしく、組織はミナを使って「覚醒者」を得ようとした。
だが、ミナが意識して使えるわけでもなく、計画は失敗に終わる。
それでも希少な存在として、解放されることなく籠の鳥だった。
役立たずになったミナはルナを利用するための道具となった。
砂漠の民を母に持つルナは類稀なる身体能力と、ナイフの扱いに長けていた。
組織は使えないミナよりも、使い勝手のいいルナに興味を移した。
妹を人質にすることで、ルナを暗殺者に育て上げたのだ。
ルナは妹を守るためにやりたくもない暗殺をするようになる。
姉が自分のせいで悪いことをしていることに耐えられなかったミナは、誰かに助けを求めようとして組織を逃げ出した。
そして、レダと出会ったのだ。
実を言うと当初レダが怖かった。
自分のことを利用しようとする大人たちと同じではないかと警戒した。
しかし、違かった。
彼はただ優しい人だったのだ。
安心した。
こんな人とならずっと一緒にいたい。
もしかしたらおねえちゃんを助けてくれるかもしれない。
そんな希望も抱いた。
――だが、どう言えばいい?
自分でもよくわかっていない恩恵を話して、彼がもし豹変したらという不安があった。
そんなことはありえないとわかっていたけど、今まで欲まみれの大人を見ていたので怖かった。
それ以上に、優しいレダに、殺伐とした世界に身を置かざるを得なかった姉を救えるとは思わなかった。
優しくて暖かい彼を、巻き込めなかったのだ。
ただし、姉のことを忘れはことはない。
どれだけ時間がかかったとしても、助けてくれる誰かを探してみせると思っていた。
それよりも早く、姉のほうから自分を連れ戻しにきてしまった。
それだけのことだった。
「あたしのことを見捨てていないというのなら帰りましょう。最悪の場合は殺せと言われているわ。だけど、あたしにミナは殺せないし、殺すつもりはないわ」
でもね、とルナがナイフを弄びながらレダを見た。
「そのおじさんを代わりに殺すことくらいならできるわよ?」
「――っ、そんなことさせないもん!」
「ちょっとしか一緒にいなかったこんなおじさんのどこがいいの? もしかしたらミナの力を知ったから手放したくないだけかもよ? 今までは違かったとしても、これからは利用されるだけかもしれないじゃない。なのに、一緒にいたいの?」
「わたしはレダといっしょにいたい!」
「はぁ……前は意志の弱い子だから心配してたけど、こうなるとちょっと面倒よね……決めたわ。もうこのおじさん殺しちゃおっと」
ルナは妹と会話を続けることを放棄した。
妹を意固地にしているのはレダという存在だ。
ならば決してしまえばいい。
単純な話だった。
未だ、地面に膝をつく中年冒険者に向かってナイフを投擲する。
その数は四。
素早く、的確に、相手を殺すためだけに放った。
ルナの心は凍てついている。
妹のためとは言え望まない殺しを繰り返した少女に、年相応の感情はない。
せめてものなさけとして、妹によくしてくれた感謝を込めて、苦しまずに絶命するようにした。
――が、
「――収納」
レダの短い言葉が放たれ、ナイフが全て消えた。
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