35「襲撃」




「姉って……ヒルデにはお姉さんがいたのか?」


「うむ。もう五十年ほど前のことだが、今でも鮮明に覚えている。当時、集落のエルフたちで人間との恋愛を反対した」


「それで出て行っちゃったと?」


「そうだ。なんというか、姉上は掟や周囲の声に縛られるような人ではなかった。知らぬ間に人間と知り合い、恋に落ち、我らの言葉を聞き止めず人間と共に暮らすことを決めて集落を後にしたのだ」




 ヒルデガルドの表情は暗い。


 きっと当時のことを思い出しているのだろう。


 彼女に抱きかかえられているミナが声こそ出さないが心配しているのがわかった。




「私は人間を好いてはいない。姉を奪った一因だからだ。しかし、人間だけが悪いとは思っていない。どちらかといえば、自由奔放の姉が悪いとも言える。ただ、感情面で人間がいなかったら家族が、大事な姉が集落の外に出て行くことはなかったはずだ……そんなことを考えてしまう」


「家族が離れてしまうっていうのは辛いよね」




 よく考えればレダも故郷にずっと帰っていない。


 町のみんなはどうしているのだろうか、と考えてしまう。


 一度、ミナを連れて帰ることも視野に入れておきたいと思った。




「姉のせいで要らぬ苦労は山のようにあった。だから人間を快くは思えない。私はそのくらいだが、姉の婚約者だったエルフは相当人間嫌いだぞ」


「いたのかよ、婚約者」


「所詮は狭い集落だ。生まれると同時に婚約者が決まることも少なくない」


「ヒルデおねーちゃんも婚約者いるの?」




 レダとヒルデガルドの会話を邪魔しないように聞きに徹していたミナではあるが、「婚約者」という少女が好きそうなキーワードが出てきてしまったため、興味津々とばかりに瞳を輝かせた。


 灰色の髪を揺らしてエルフは苦笑する。




「以前はいたぞ。……しかし、集落の中でも戦いが強いエルフになっていくと同時に疎遠となってしまった。幼なじみであるため、会えば話をするし、決して嫌いなわけではない。だが、結婚相手としては見ることができなった」


「けっこんってむずかしいね」


「そうだな。難しいな。実をいうと、人間と駆け落ちしたことは許せないが、できることなら私も姉のように誰か好きになった相手と結ばれたいよ」


「……おねーちゃん」




 ミナにだけ見せてくれる優しげな笑みだった。


 しかし、レダにはどこかヒルデガルドが寂しく見えてしまう。


 推測でしかないが、集落一といわれる実力者はなにかと頼りにされるだろう。




 そんな彼女を女性として見て、愛することは、もしかしたら難しいことなのかもしれない。


 ただ決められたまま結婚するのではなく、ヒルデガルドは姉のように誰かを愛し、愛されたい願望があるヒルデガルドがいつかよい人と出会えますようにとレダは願った。




「……おかしな話をしてしまったな。レダとミナと一緒にいると、ついいらぬことを話してしまうようだ。勘違いしないように言っておくが、いずれは結婚したいと思っているが、まだ私は三百十六歳だ。大人ではあるが若いのだぞ? つまり、結婚を焦る年齢ではない、いいな?」


「あ、はい」




(あ、そこは大事なんだ)




 エルフの年齢はよくわからないが、子供扱いされたくないが、結婚を焦る歳だと思われたくもないらしい。


 実に難しい年頃だった。




「わかればよい。それにしても――ん?」




 なにかを言いかけたヒルデガルドの尖った耳がぴくりと動く。




「おねーちゃん? どうかしたの?」


「誰かがここに向かって走ってくる。悪いことではなければいいのだが」




 敏感に物音を感じ取ったヒルデガルドが、部屋の仕切りに顔を向けたと同時に、クラウスが飛び込んできた。




「クラウス!?」


「ヒルデガルド様、ご歓談中に申し訳ございません。ですが! きました! 奴が、また近づいてきます!」


「――っ!」




 ヒルデガルドの灰色の髪が魔力の放出でぶわりと逆立った。


 嫌な予感がした。


 息も整えず声を荒らげたクラウスと、明らかに空気を変えたヒルデガルド。


 なにかよくないものが集落に近づいた、そんなことを思う。




「レダ、ミナ。楽しい時間を感謝する。私は戦いに向かなければならない。お前たちはここへ隠れていろ」


「待ってくれヒルデ、まさか」




 彼女が、いやエルフが血相を変えることなど心当たりはひとつしかない。




「奴が、ブラックドラゴンがくるぞ!」




 レダの嫌な予感が的中した。


 呼吸を止めて、なにか言葉を探そうとした次の瞬間。


 轟音が集落を襲った。






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