9「報酬のお話」




 数秒ほど、怪我人に回復魔法の初級である【回復】を当てる。


 すると、




「あ、ああ!? 痛くないっ、痛くないぞ!?」




 赤く濡れた包帯に巻かれていた青年が突如立ち上がり、自分の体を探り始めた。


 看病していた町の女性たちが止める間もなく包帯を剥ぎ取ってしまうと、レダ以外の誰もが驚愕に包まれた顔をした。




「……うそ、傷が、ない?」


「なによこれ、神官様クラスなの?」


「こ、これなら、息子が助かるかもしれない!」




 驚きと期待の声とともに、レダへ誰もが注目する。




「お客さん、ううん、レダ。あんた、いったい……違う、今はそんなことどうでもいいんだよっ。お願い、その力で他の子たちも救ってあげて!」


「当たり前だろ!」




 レダは次々に怪我人を回復させていった。


 誰もが驚きながら、怪我が消えたことに歓喜しはじめた。


 上級回復魔法ではないため、傷跡まで綺麗にすることは難しいが、死に瀕していた青年たちが救われていくのは間違いない。




「次だ!」


「こっちです! 残りの五人が特に酷いんです!」


「――っ、これは、本当に酷いな」




 残りの青年たちは、今までの比ではないほど深い傷を負っていた。


 酷い者になると、腹が裂けて臓物が溢れている。




(俺に治せるのか? ここまでの傷は――いや、違う。そじゃないだろ! 治すんだ!)




 凄惨な光景に弱気になってしまったレダは、自らを叱咤するように頰を打った。




「レダ! 頑張って!」


「ああっ、任せて!」




 背後からずっと見守ってくれていたミナの声援を受け、レダの気持ちが引き締まる。




「いくぞ――回復!」




 もっとも傷が深く、いつ死んでもおかしくない重傷者に【回復】を施す。


 淡い光が包み、青年の顔色がよくなっていく。


 しかし、今までよりも手応えを感じない。


 怪我が治ったという感覚がないのだ。




(――っ、こんなことなら上級回復魔法を無理やり覚えておくべきだった! くそっ、なら、何度でもかけてやる!)




「回復っ、回復っ、回復っっ!」




 魔力を空にする覚悟で回復魔法を連続して使用する。


 すると、




「……治った……傷が、治ったぁ!」




 ついに重傷者の傷が癒えたのだ。


 溢れていた臓物さえ、綺麗にしまわれて、新しい肌が現れている。


 もうこれで心配ない。




「よし! 残り四人!」




 気づけば、レダの腕は怪我人たちの血で真っ赤に染まっていた。 


 しかし、そんなことを気にする余裕がないほど、レダは集中して回復魔法をかけ続けた。


 いつしか、集会場を囲むように町の人たちが集まっていることさえ気づかないまま、レダは怪我人を回復させていく。




「これで最後だ――回復!」




 そして、ついに最後の重傷者をも回復させることに成功した。


 刹那、わぁっ、と歓声があがる。


 見守っていた誰もが、怪我人の回復と、レダへの感謝を声にした。




「レダ!」




 ひとり、汗をぬぐっていたレダの胸の中にミナが飛び込んできた。


 自分の手が赤く染まっていることに気づくと、彼女の服を汚さないように抱きしめる。


 ようやく息をつくことができる、と実感が戻ってきた。




「お疲れ様。まさか全員を治してくれるなんて思ってもいなかったわ。ありがとう」


「無我夢中でやっただけです。助けることができてよかった」




 マリエラの瞳には涙が宿っていた。


 彼女にとってこの予想外の展開は、驚く以上のことだったようだ。




「あとはこっちで面倒を見ておくから、レダはもう一度風呂に入ったほうがいいよ。腕が血まみれじゃないの」




 彼女の勧められて断る理由もないのでありがたく風呂を頂戴することにした。


 宿に戻る途中、町長夫婦からも感謝の言葉を繰り返された。


 彼らも、まさか子供を連れた旅人が、ここまでのことをしてくれるなど夢にも思っていなかったのだろう。




 ミナを町長夫妻に預けて、さっと風呂で身を清めたレダは、再び抱きついてきたミナを抱っこしたまま宿屋に集まった町の代表者たちと顔を合わせていた。




「この度は町の若者の命を救ってくださり感謝しております」




 町で最初に出会った町長を皮切りに、みんなが深々と頭を下げた。




「顔をあげてください。人として当然のことをしただけですよ」


「そう謙遜なされるな。あれほどの回復魔法を使えるとは……ディクソンさんがこの町にきてくださったことを神に感謝せねば」


「そんな大げさな」




 今にも床で祈り始めそうな町長に苦笑するも、笑っているのはレダだけだ。


 町長の妻である道具屋店主ネールも、




「あんたには感謝しかないよ。こんな小さい町だ。みんな家族同然でね。魔狼の襲われて死んだ子もいるが、一命をなんとかとりとめていた子たちはあんたのおかげで助かったんだ。本当に、どう礼を言っていいやら」




 そう言って深々と頭を下げる。




「本当に、まさかみんな助かるなんて。レダ、今日の宿代はいらないからね。よかったら何日でも好きなだけ泊まってくれていいからね!」




 マリエルまでにそんなことを言われてしまい、どうしていいやらのレダ。


 ミナはそんなレダの中で、にこにこしていた。




「ただ、そのね、申し訳ないんだけど、今回これだけのことをしてくれたレダにどう報酬を払っていいのかわからないの」


「え? 今晩無料で泊めてくれるのならそれでいいですよ?」


「いやいやいや! それだけでいいはずがないでしょ! あの数の重傷者を治したんだよ! しかも神官様みたいなすごい回復魔法を使ったんだじゃないの!?」


「神官様って、そんな。俺が使ったのはただの回復ですよ。初歩の初歩です」


「待って、嘘でしょ? だって、死にかけの子たちまであっさり回復させておいて」


「あっさりじゃなかったんですけどね」




 回復魔法は神官の十八番だ。


 それゆえに怪我人が出れば、誰もが神官を頼らなければならない。


 もしくは、回復魔法を得意とする治療士に依頼をするかのどちらかだ。




 マリエラが、レダに心底申し訳なさそうにしているのは、いや、彼女だけではない。町長をはじめ、宿屋に集まった人々はみんなレダへの治療代が支払えないことを危惧しているのだ。


 それもそのはず、回復魔法の使用料は高い。




 神に仕える神官も、専門の治療士も、怪我人の人数と怪我の具合で回復魔法を合わせて使ってくれる。


 それはいいのだが、値段もそれに応じて上下するのだ。


 基本的な相場は、実に高額だった。




「今、町には銀貨五十枚くらいしかないんだ。足りない分は、私みたいな年増の体でよければ好きにしてもらってもいいし、他に好みの子がいたら」


「待って待って待って! 子供の前でなにをいってるの!? ていうか、俺はそんなことしませんし! 銀貨五十枚ももらったりはしません! どれだけ強欲だと思われているんですか!」




 ミナの前で、金銭の代わりに身体を差し出そうとしたマリエラに、レダは多いに慌てた。


 同時に、自分がいったいどれほど金に汚い人間だと誤解されているのか不安にもなる。




 銀貨一枚で千イェン。


 銀貨五十枚もあれば五万イェンという大金となる。


 そんな大金をもらってしまえば一ヶ月くらい暮らせるのだ。




「も、もしかして、レダは神官や治療士がどれだけの治療代を取っているのか知らないの?」


「お、お恥ずかしながら疎いです。言い訳をさせてもらうと、自分の怪我くらい自分で治せますから」


「そうだったわね。あのね、じゃあ教えておくわね。回復魔法っていうのは使える人間が極端に少ないの。レダのいう初歩の回復魔法を使えるだけで貴族様が囲おうとするくらいよ」


「……え? そんなに?」


「そんなに、なのよ。使い手の希少な回復魔法は、ポーションを数倍の値段よ。中には借金をしてでも回復してもらいたいって人だっているんだから」




 レダは知らなかった。


 そもそも回復魔法が使えるのでわざわざ他人にかけてもらおうと思ったことがない。


 故郷の田舎でも回復魔法が使えるのはレダだけで、みんな「便利だな」程度にしか思っていなかったのでとくに気にすることなく使ってきた。




 王都で冒険者となって、ようやく回復魔法を受けるのは金がかかるのだと知ったのだが、相場までは知らなかった。


 せいぜいポーションと同じくらいだろうとしか思わなかったし、それ以上調べることもしなかった。




「治療士は本当にぴんきりよ。でも、どんな治療士でも高額請求なのは変わらないわ。自分たちだけの専売特許だってわかっているから、こっちの足元を見るのよ。さっきは、私から提案したことを、向こうから言われたことがあったわ」


「……それって」


「そういうクズもいるってことよ。でも、わかったでしょう。十五人の怪我人を、しかも重傷者を治してもらったら銀貨五十枚じゃ全然足りないの」




 鼻息を荒くして説明してくれるマリエラにレダは困ってしまう。


 自分は神官でも治療士でもない。


 あくまで冒険者だ。


 もちろん、冒険者だって依頼に見合った報酬をもらうのは当たり前だ。


 しかし、今回は、たとえ報酬がないとわかっていても同じことをしただろう。




 多くの怪我人を見て見ぬふりなどできやしない。


 なにもできないというのならまだしも、回復魔法を持っていながらなにもしないという選択肢を選ぶような悪人でもない。


 つまり、




(報酬なんていらない……って言える雰囲気じゃないんだけど、どうしよう)




 レダは、腕の中にミナがいなければ間違いなく頭を抱えていただろう。






(でも、ソロになって初依頼が成功できてよかった!)






 今はそのことを喜ぼう。


 少しだけ冒険者を続けていく自信がついたレダだった。








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