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「やあ、君。今日はずいぶんと感情的だね」
学校の手前でひとけのない路地に入ったら、頭上から声が降ってきた。
「君が怒るなんて珍しい。古典的な
「……相手がいかなる悪人であっても、死者への
「別に冒涜なんてしてないさ。ただ昨今まれに見るほど盲目的で倒錯的なあの女の子が、そんなにお気に召したのかと思ってね」
僕の忠告をものともせずに、チャールズは二度も
「誤解に尾ひれをつけるような発言は慎んでもらえるかな。僕だって上司に叱られることを承知でここへきたんだ。これ以上お小言の種が増えるのは好ましくない」
「おっと失敬。そう言えば死神は天使と同じで特定の人間に肩入れしてはいけないのだったね」
大根役者もおどろきの白々しさでそう言うや、起き上がったチャールズはあくびとともに伸びをした。細い路地の先から夕闇が侵蝕を始めている。
楓が愛した真っ赤な太陽は、今日もひとりで死ぬのだろう。
「で? なんだって君は
「今日はいつにも増して皮肉が冴え渡っているね。そんなに僕のしたことが許せないかい?」
「そう見えるのなら、君もまだまだということさ」
全身を使った伸びのあとは塀の上に座り込んでチャールズは蒼色の眼を細めた。
こうやって僕をからかう、あるいはなにかに文句をつけて回るのが彼の日課だ。
気難しい相棒のからかいに
「……別に彼女を錯乱させるつもりはなかったんだ。ただ
「なるほど。いじめを苦にした自殺なんて今に始まったことじゃないのに、何故そこまで彼女に執着するのか不思議だったんだ。楓の記憶はよほど君の心を打ったようだね」
「いや……あるいは安い同情かもしれない。からっぽのまま生きるということがどういうことか、僕はよく知っている。だけど彼女には魂があった。
言いながら僕はふところに手を入れた。
赤い落ち葉の感触のあと、無機質な冷たさが指先に伝わる。
僕はそれを取り出した。チリンと小さな音がして、小瓶の中の水晶が揺れる。
薄井楓から受け取った魂のかけらだった。彼女の魂は
彼女の魂の中で唯一色づいていた部分と言ってもいい。
死んだ楓の肉体から解き放たれた魂は、ほとんどが黒や灰色で埋め尽くされていた。あんな
魂を持たず、生のよろこびを覚えていられない僕らと、魂を持ちながら生のよろこびを感じられなかった彼女とでは、どちらがより悲しい生き物だったのだろう。
「……現実から逃げ出す方法なんて、他にいくらでもあったはずだ。人間の寿命は生まれたときから定められているけれど、生き方は自分で決められる。なにもかも失う覚悟を決めてあの家を飛び出していれば、楓はもっと幸福な死を迎えられたかもしれない。けれど彼女は諦めてしまった。自分の人生も、この世界も」
僕にはそれが無性に悲しかった。
彼女のことを思い出すたび、忘れたはずの感情がどこからかよみがえってくる。
はじめて覚える感覚だった。僕は
「ねえ、チャールズ。どうしてひとは醜いものばかり熱心に見つめてしまうのだろうね。少し顔を上げれば、世界はこんなにも美しいのに」
誰もいない夕方の路地裏で、僕は自分の使い魔に尋ねた。
すると使い魔ははたりとふくよかな尾を揺らし、いつもと変わらぬ声色で言う。
「人間はみんな近眼なのさ。遠くを見せたければ眼鏡をかけてあげなきゃいけない。まあ、中には時折君みたいに遠くばかり見ている困ったやつもいるけれどね」
それは僕の近くにはなにもないからだ。すべては僕の手の届かないところで生まれ、光り輝いている。しかしだからこそ僕はあれらを美しいと思う。
遠い昔からそうだった。
僕には死神になる前の記憶はないけれど、たぶんずっとそうだったのだ。
チャールズの言うとおり僕はもう長いこと、決して手に入らないものばかり追いかけて……楓のように諦め、綾香のように求めていたような……そんな気がする。
何の確証もありはしないのに、楓の魂の向こうに見えるこの既視感は何だろう?
「もう少しだね、ジョン」
そのとき、小瓶の中にまぼろしの走馬灯を見ていた僕にはチャールズの呼びかけが聞こえなかった。もしかすると僕はなにか大切なことを思い出そうとしているのかもしれない。けれど日が落ちて、答えは今日も闇の中。
すべてが無に巻き戻る死神の夜がやってくる。
(第三話・完)
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