週が明け、早くも木曜日となった朝。やけに寒いと思ったら霜が降りてきていて、スタッドレスへの交換を考えながらの出勤となった。

 きょうはテスト休み期間だけども、夏休み同様、職員は学校に来なければならない。

 追試はあるし、冬期講習もある。

 職員室の自分の場所へ着くと、僕はすぐさまとなりを見た。

 逢坂先生はまだ来ていない。

 といっても、僕より先にいるなんて、そうあることじゃない。

 僕は携帯を開いた。

 逢坂先生とは、仕事以外のメールのやりとりもするようになった。でも、その内容は大したものじゃない。ヘタしたら、連絡網のときのほうが文量は多いかもしれない。

 それでも、そうやってなにげないやりとりを気兼ねなくできるのが特別な存在なのかな、とも思える。

 ただ、あまりにどうでもいいことだと、相手からの返信はなくなる。

 案外と硬派な人なのかも。しかし、二人きりでのあのしゃべりっぷりは、百戦錬磨を伺わせる。

 僕は、そんなことを巡らせながら、用なしとなった携帯をいつものように引き出しへしまった。

 そこへ、根津先生の明るい声が飛んできた。


「翼ちゃん、おはよー」


 鞄をデスクへ乗せる先生と、いまだに視線を合わせられない。

 なんとなく、こないだの夜から合わせづらいんだ。

 寝ていたとは思うんだけど……。なんというか、やっぱり、もしやを想像してしまう。

 僕は頭を掻いて、無意味にノートを広げた。

 根津先生のあくびの声がする。

 思わずそっちに目をやれば、椅子の背もたれに体を反らせ、大きく伸びをしている姿があった。

 その根津先生が、あっと声を上げ、体をまっすぐに戻した。その勢いのまま、デスクから身を乗り出すようにして、僕のほうへ顔を向けた。


「そういえば、継臣から伝言頼まれてたんだ」

「……僕にですか?」

「うん。あいつ、しばらく学校休むって」


 突然の報せで、すぐには反応できなかった。

 インフルエンザが流行ってはいる。でも、きのうはピンピンしてた。

 まさか、なにかの事故にでも──。

 それにしたって、そんな大事なこと、僕にはどうして伝言なのだろう。根津先生に伝える余裕があるなら、僕にも言ってくれていいように思う。

 それとも、そういう話は、恋人じゃなくて友人にするのが一般的なのだろうか。

 しかし、僕は同僚でもある。

 もしかしたら、また変な聞き違いをすると思って、遠慮したのだろうか。

 ……うーん。

 どうにも納得がいかず、唸っていたら、根津先生から肩を叩かれた。


「翼ちゃん、話はまだ終わってないから、その妄想タイムやめてくれる?」

「……妄想?」

「継臣が言ってたよ。翼ちゃんが、下の一点を見つめて小首を傾げてるときは、妄想タイムに突入してるんだって」


 今度は下唇を噛んだ。

 僕も悩んでいるクセを、わざわざ取り上げたばかりか、あの人は、なんてことを吹聴しているんだ。

 デスクをばんばん叩いた。


「妄想タイムじゃなくて、長考タイムです」

「あんま変わんないっしょ」

「大いに変わりますよ。妄想なんて、変態みたいじゃないですか」


 訂正するつもりが、揚げ足となってしまった。

 ぷっと、根津先生は吹き出す。あろうことか、大声で、「ヘンターイ」と繰り返す。

 周りの先生方が一斉にこっちを向いた。

 それには、さすがの根津先生もびっくりして、首をすぼめていた。


「……それで? 逢坂先生は、どうしてお休みなんですか」


 これ以上は目立たないよう、僕は姿勢を低くし、小声で根津先生に訊いた。

 すると、同じような体勢を作った根津先生が、急に神妙な面持ちになって、お祖父さんが倒れたという報せが入ったからなんだ、と言った。


「お祖父さん──」

「母方のね。で、万が一になったら、初七日までは向こうにいなきゃいけないらしくて、翼ちゃんに、すまないと伝えてくれって」


 すまないだなんて、大変なのは逢坂先生なのに、なんで謝るんだろうと思った。


「ええと……その『向こう』って、どちらなんですか?」

「北海道。……留萌ってとこなんだけど、翼ちゃんはさすがに場所わかるよね?」


 僕は頷いた。

 留萌は、たしか、札幌より少し上にある海沿いの街だったはず。数日前、爆弾低気圧が直撃したと報道されていた。


「そこの名士らしくてさ。葬式やるとしたら、式場じゃなくて家でやるんだって。かなり来客があるだろうから、自分も駆り出されるだろうっつってた」


 万が一という話だけど、逢坂先生は留萌へ飛んでいったし、かなり具体的なことも出ているから、危ない状態なんだと想像はできる。

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