八
もちろん、僕はお目にかかったことがない。でも、人が亡くなるという話は、どういう立場で聞かされても心苦しくなる。
「でさ、翼ちゃん」
勝手にどんよりしていた僕は、根津先生の声で、はっと顔を上げた。
「あ、はい」
「その電話、いつ来たと思う?」
「……さあ」
すると、根津先生は指を三本立て、それを押しつけるように僕の目の前にまで持ってきた。
「朝の三時よ。三時。ふざけんなって話でしょ」
だから、さっきの大あくびか。
僕は思い出して、大変でしたね、と声をかけた。
「つーわけだから、翼ちゃんには悪いと思ったんじゃねえかな。あいつ」
「……あっ」
「しっかし、大事にされてますなあ」
そう言い残して、根津先生は椅子を立った。一直線にコーヒーサーバーのところへ向かう。
僕は上体を起こし、背もたれに寄りかかると、となりのデスクへ目をやった。
正直いうと、何時でもいいから、僕にも連絡してほしかった。それに、メールという手もある。
よほど慌てていたか、いままでにないくらい慌ただしい状況だったのかもしれない。
腕時計に視線を落とす。
しばらく会えないことが、どういう気持ちとして表れるのか。それを考えると、ちょっと怖い気もした。
しかし、今生の別れじゃないんだからと言い聞かせ、講義道具を揃えると、僕はデスクを離れた。
初七日までは向こうにいる。だから、渡辺にすまないと伝えてほしい。
これの本当の意味に気づいたのは、自宅のお風呂場でシャンプーをしているときだった。
僕は、湯船に浸かるのも早々に切り上げて、カレンダーを凝視した。
きょうは木曜日。十八日だ。
一週間となると、二十四日は……ギリギリだめだ。
逢坂先生の「すまない」には、あの約束を果たせないという意味が含まれていたんだ。
人が一人、それも大事なお祖父さんが亡くなったのだから、僕がどうこう言えるわけもない。
……いや、待てよ。
もしかしたら、亡くなってはいないのかもしれない。
根津先生が口にしたのは、倒れたということだった。具体的な話も出ていたけれど、あくまで万が一の場合だ。
しかし、それを確かめる術が、僕にはない。まさか、こっちから訊くわけにもいかない。……ことがことだけに。
逢坂先生からなにか言ってくれるのを待つしかないんだ。
僕は、カレンダーから、ローテーブルのノートパソコンへと目を向けた。
あることを思い立ち、電源を入れ、キーボードを叩く。
検索バーに「留萌の名士」と打ち込んだ。
「元道議の高遠氏死去」
そんな文字が現れた。
少し怯んだけど、違う人かもしれないと思って、クリックした。
すると、ウェブニュースを取り扱っているサイトにつながった。そのニュースの提供元は全国紙じゃなかった。
画面に映し出された記事によると、その高遠氏が亡くなったのは、今朝早くで、きょうの夜、もう通夜が行われるとのことだった。
告別式はあした──。
喪主は、「次女の逢坂君江さん」という人になっている。高遠氏は道内外でいくつも会社を経営していて、引退してからは道議会委員を三期務めたとあった。
一通り記事を読んでも、僕はノートパソコンを閉じられずにいた。
すごい人に掴まってしまったもんだと、改めて思った。
お父さんは大学教授。お母さんも高校の教師で、お兄さんは准教授、お姉さんも高校で教師をしている。それだけでも、こっちは萎縮してしまう一家だというのに、お祖父さんはもっと偉い人だった。
しばらく会えないどころじゃない事実が浮き彫りになったけど、僕は深く考えるのはよして、予想されるスケジュールを指折り数えてみた。
……だって、好きになってしまったものはしょうがない。どんなバックグラウンドがあったとしても。
きっと、先生ならそう言ってくれる。
僕は、小指を折りかけて、もう一度開いた。
亡くなったのは今朝だから……と、数え直す。
そして、どうやってもあの日には逢えないことも、再認識した。
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