五
「ほんとにすみません。でも、ちゃんと逢坂先生のことを考えてました。ほんとに先生のこと……」
尻すぼみになる。
僕って、どうしてこうなんだろ。見境なく、すぐに長考に走ってしまう。
いけない、いけないと、手のひらで側頭部を何度も叩いた。
「わかってはいるんだけどさ。惚れた弱みってやつ? つい苛めたくなるんだよ」
その頭を撫でられた。髪にも触れられる。
「なに考えてたんだか知らねえけど、ま、俺のことだったんなら許してやる」
逢坂先生は笑いながら言って、タブレットの画面に長い指を滑らせた。
にわかに、キッチンでの行為がよみがえってきた。
あの手が、とうとう僕のを握ったんだ。
想像以上の気持ちよさに、僕はそこへと吐き出したんだ。
……こんな日がくるなんて、露ほども思っていなかった。
だけど逢坂先生は、僕なんかで、本当に気持ちよくなってくれたのだろうか。なにか、べつのことを想像していた……とは思いたくない。
「あの。ちょっと……ぶっちゃけ訊いてみてもいいですか?」
逢坂先生は、ん? と、目でも訊いてくる。
そのあと、わずかに体を引いていた。
「なに。いいけど、なんか怖えな」
「逢坂先生は……まあ、女の人とは、だいぶ経験があるとは思います。だけど、男の人とは……その、どのくらいの経験があるんですか?」
眉間にしわを寄せ、逢坂先生は目を一本線にした。タブレットを置いて、額に手をやっている。
……あれ?
かなりまずいことを訊いた?
僕は、慌てて手を振った。
「あ、答えたくないならいいんです」
「ああ、あれか」
「え?」
「いや。なんで、そんな曲折した話になってるのかと思って」
逢坂先生は微苦笑で僕を見た。
「男と経験なんてねえよ。お前が初めて。女はまあ、普通程度にはあるけども」
「え、でも……」
「お前、あれだろ。キャバクラでのこと言ってんだろ。キスコール」
「はい」
「だからあれは、お前だからしてもいいかって思ったんであって、男も女も見境なくイケるわけじゃねえ」
「だったら、なおさら、どうして僕なんかをいいと思ったんですか? おっぱいもないのに」
「お前──」
逢坂先生は、続く言葉を吸い込むように息を呑んでから、「敦士の言うことをいちいち真に受けてんじゃねえ」と怒鳴った。
その声の大きさに、二人の時間を奪われそうで、僕は必死に、「しーっ」を繰り返した。
逢坂先生が根津先生を見やる。僕の思惑を読んでくれたのか、怒らせた肩を、ゆっくりとおろした。
「……くそ。とんでもねえ地雷落としやがって、当の本人はのんきに寝てやがる」
「僕は、ただ疑問に思っただけなんです。おっぱいに傷ついたとかじゃなくて。なんで、僕だったんだろうって」
「逆に訊くけど、お前はじゃあ、なんで俺がいいと思ったんだよ。俺だって胸はねえだろ」
「それは……」
言われてみれば、そうだ。
僕も、そういう対象は女の子しかなかった。というか、男が、愛を持って好きになるのは、女性しかないと思っていた。
同性を、なにかの見返りを期待して抱きしめるとか、ましてや、大事な部分まで委ねられるなんて、想像もしていなかった。
「……なんで、ですかね。なんていうか、僕はたぶん、そういう性的なものとは関係なく、ただそばにいたいだけというか。一緒にいたら、いろいろ刺激をもらえそうで……人間的にも成長できるかなって」
逢坂先生は目を伏せると困ったような顔をした。
「俺って、まじ最低なヤツだな。お前の、そんな純粋な気持ちに水を差すように、襲おうとしちまって」
それから、自嘲気味に言葉を発する。
「先生。それは違いますよ」
「あ?」
「襲おうとしたんじゃなくて、襲ったんです」
そこは譲れないと、僕は断言した。
開けていた口を、先生は、一度は閉じた。それでも、次の瞬間には、なにかの含みを持たせるように、にやにやした。
「はいはいはい。すみませんねえ。てか、お前だって嫌じゃなかったんだろ?」
僕が視線をそらすと、うん? と、意地悪く訊いてくる。
「……まあ、そうですけど」
「よしよし。素直でよろしい」
笑いながらそう言って、今度は、僕の頬を撫でた。ついでに、軽くつねっていく。
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