「ほんとにすみません。でも、ちゃんと逢坂先生のことを考えてました。ほんとに先生のこと……」


 尻すぼみになる。

 僕って、どうしてこうなんだろ。見境なく、すぐに長考に走ってしまう。

 いけない、いけないと、手のひらで側頭部を何度も叩いた。


「わかってはいるんだけどさ。惚れた弱みってやつ? つい苛めたくなるんだよ」


 その頭を撫でられた。髪にも触れられる。


「なに考えてたんだか知らねえけど、ま、俺のことだったんなら許してやる」


 逢坂先生は笑いながら言って、タブレットの画面に長い指を滑らせた。

 にわかに、キッチンでの行為がよみがえってきた。

 あの手が、とうとう僕のを握ったんだ。

 想像以上の気持ちよさに、僕はそこへと吐き出したんだ。

 ……こんな日がくるなんて、露ほども思っていなかった。

 だけど逢坂先生は、僕なんかで、本当に気持ちよくなってくれたのだろうか。なにか、べつのことを想像していた……とは思いたくない。


「あの。ちょっと……ぶっちゃけ訊いてみてもいいですか?」


 逢坂先生は、ん? と、目でも訊いてくる。

 そのあと、わずかに体を引いていた。


「なに。いいけど、なんか怖えな」

「逢坂先生は……まあ、女の人とは、だいぶ経験があるとは思います。だけど、男の人とは……その、どのくらいの経験があるんですか?」


 眉間にしわを寄せ、逢坂先生は目を一本線にした。タブレットを置いて、額に手をやっている。

 ……あれ?

 かなりまずいことを訊いた?

 僕は、慌てて手を振った。


「あ、答えたくないならいいんです」

「ああ、あれか」

「え?」

「いや。なんで、そんな曲折した話になってるのかと思って」


 逢坂先生は微苦笑で僕を見た。


「男と経験なんてねえよ。お前が初めて。女はまあ、普通程度にはあるけども」

「え、でも……」

「お前、あれだろ。キャバクラでのこと言ってんだろ。キスコール」

「はい」

「だからあれは、お前だからしてもいいかって思ったんであって、男も女も見境なくイケるわけじゃねえ」

「だったら、なおさら、どうして僕なんかをいいと思ったんですか? おっぱいもないのに」

「お前──」


 逢坂先生は、続く言葉を吸い込むように息を呑んでから、「敦士の言うことをいちいち真に受けてんじゃねえ」と怒鳴った。

 その声の大きさに、二人の時間を奪われそうで、僕は必死に、「しーっ」を繰り返した。

 逢坂先生が根津先生を見やる。僕の思惑を読んでくれたのか、怒らせた肩を、ゆっくりとおろした。


「……くそ。とんでもねえ地雷落としやがって、当の本人はのんきに寝てやがる」

「僕は、ただ疑問に思っただけなんです。おっぱいに傷ついたとかじゃなくて。なんで、僕だったんだろうって」

「逆に訊くけど、お前はじゃあ、なんで俺がいいと思ったんだよ。俺だって胸はねえだろ」

「それは……」


 言われてみれば、そうだ。

 僕も、そういう対象は女の子しかなかった。というか、男が、愛を持って好きになるのは、女性しかないと思っていた。

 同性を、なにかの見返りを期待して抱きしめるとか、ましてや、大事な部分まで委ねられるなんて、想像もしていなかった。


「……なんで、ですかね。なんていうか、僕はたぶん、そういう性的なものとは関係なく、ただそばにいたいだけというか。一緒にいたら、いろいろ刺激をもらえそうで……人間的にも成長できるかなって」


 逢坂先生は目を伏せると困ったような顔をした。


「俺って、まじ最低なヤツだな。お前の、そんな純粋な気持ちに水を差すように、襲おうとしちまって」


 それから、自嘲気味に言葉を発する。


「先生。それは違いますよ」

「あ?」

「襲おうとしたんじゃなくて、襲ったんです」


 そこは譲れないと、僕は断言した。

 開けていた口を、先生は、一度は閉じた。それでも、次の瞬間には、なにかの含みを持たせるように、にやにやした。


「はいはいはい。すみませんねえ。てか、お前だって嫌じゃなかったんだろ?」


 僕が視線をそらすと、うん? と、意地悪く訊いてくる。


「……まあ、そうですけど」

「よしよし。素直でよろしい」


 笑いながらそう言って、今度は、僕の頬を撫でた。ついでに、軽くつねっていく。

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