閑話休題

癒しの天才



 期末考査も無事に終わり、打ち上げも兼ねた忘年会が連日行われた。学校全体のもの、学年担任のもの、教科担任のもの。

 さらには吹奏楽の演奏会もあって、あの日以来、二人きりの時間は持てていなかった。

 それが、土曜日のきょう、なんと午後から二人で出かけることになったんだ。念願だった美術展を観に。

 でも、絵画をのんびり眺めている場合じゃなかった。正味十秒で次へいく逢坂先生が気がかりで、僕はきょろきょろばかりしていた。

 そのあとに寄ったショッピングモールでもやらかした。

 クリスマスプレゼントを物色していたら、逢坂先生とはぐれてしまったんだ。広い店内を小一時間ほど迷走した挙句、見つけたと思って話しかけたら、ぜんぜん違う人だった。

 なんとか合流できても、第一声に「お前の携帯はアクセサリーか」って怒られるし。

 ……というか、僕らってなに? すれ違いがすぎていて、笑いしか起こらない。


「あー、翼ちゃんっ。沸いてる沸いてる。吹きこぼれるよ」


 突如として耳に飛びこんできたのは、根津先生の声。

 その根津先生の指先を見て、僕はいまの状況をやっと把握した。

 そうだ。二人きりのデートの時間はもう終わって、逢坂先生の家にいるんだった。

 慌てて、カセットコンロの火を小さくする。


「おお、間一髪」

「おい、敦士。てめえが近いんだから、てめえがやれよ」

「えー、やだ。俺はきょう、翼ちゃんにお給仕してもらうんだもん」


 鍋の具材を持ってきた逢坂先生の手がいまにも拳になりそうで、僕は、目の前をすぎるジーンズのベルトループを引いた。


「はいはい。『お二人』にお給仕しますので、逢坂先生も座ってください」


 逢坂先生は僕に具材を渡し、どかっとあぐらをかいた。


「つーかよ。なんでいんだよ、てめえ」

「あらあら。もう忘れましたか、つぐちゃんセンセー。ボクは、翼ちゃんにお誘い頂いたんですよ? お鍋は二人じゃさみしーって」

「渡辺。あの減らず口にスリッパでも突っ込め」

「したら、俺は翼ちゃんのお口に、イケナイもの突っ込んじゃおうっと」


 焼酎へ口をつけていた逢坂先生の喉が「ごくん」と鳴る。そのあと、ものすごい勢いで咳き込み始めた。

 ぼくは申しわけ程度に、その背中をさする。

 向かいの根津先生はげらげら笑っていた。


「ほれ。お客さまをないがしろにしたバチだ」


 逢坂先生は胸を叩きながらも舌打ちをして、根津先生へとガンを飛ばした。

 ……かように、逢坂先生は帰ってきてからずっと機嫌が悪い。そして、その理由はたいがい僕にある。

 本当は、きょうの夕ご飯は、そのショッピングモールの和食屋さんですませようと話していた。けれど、ご飯屋さんはどこも混んでいて、並ぶのが大嫌いな逢坂先生が、家で鍋をしようと言い出したのだ。

 その買い出しに寄ったスーパーで、偶然、根津先生と顔を合わせた。 

 まず二人で買い物をしているところを見られたバツの悪さ、ガゴの中身を眺めただけで鍋をやると言い当てられた鋭さに、僕はつい、先生もご一緒にいかがですかと口にしていた。

 せっかくの時間をぶち壊してしまうことになった僕も悪い。だけど、もういい大人なんだし、そろそろ機嫌を直してくれてもいいんじゃないかと思う。

 そんな逢坂先生の咳もだいぶ落ち着いてきた。

 罪滅ぼしのごとく買って出たお給仕へと、僕は戻る。準備万端と沸騰している出汁の中へ具材を並べた。

 そのさなか、根津先生と逢坂先生はなんだかんだ、話に花を咲かせていた。

 具材を入れ終わったら蓋をし、僕もやれやれと腰を落ち着ける。

 目の前を行き交う話題は、ほとんどが僕のわからないものだった。それでも、ふうんとか、へえとかの相づちは打っておく。

 すると、プロレスの話をしてるんだと、根津先生が教えてくれた。技の名前やら、そのかけ方やらも丁寧に教えてくれる。

 そういえば、逢坂先生は車と格闘技が好きなんだっけ。……そのての本を、今度見てみるかな。

 ぐつぐつとお鍋もいい感じになってきて、僕はそれぞれの希望を取りながら、器へよそった。

 さてと、自分のもよそうかと箸を伸ばし、ちらっと根津先生のほうへも目をやれば、大口を開けてなにかを待っていた。

 とりあえずそこを覗いてみて、僕は首を傾げる。


「……逢坂先生と同じで、煙草を吸われているのにホワイティニングな歯ですよ? あ、でも、根津先生は八重歯があるから、それは矯正したほうがいいかもしれません」


 途端に、逢坂先生が吹き出した。上半身を曲げてまで大笑いしている。


「……翼ちゃん。俺はべつに歯を見せたかったわけでないよ。あーん、してほしかったの」

「はい?」

「敦士ぃ。お前のその手はなんのためにある。飯食うためだろ。てめえで食え」

「つぐちゃんのその手は、おっぱいモミモミするためだもんな」


 笑いから一変、逢坂先生はまた吠えた。

 それも根津先生は面白がって、さらなる口撃を加える。

 どうしていいかわからない僕は、ただただため息をついた。

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