土屋さんからにこっとされ、注文を訊かれたことに、ようやく気づいた。


「ええと。メ、メニューは……」


 とりあえずビールで。……なんて、陽気に頼む場所じゃない。けど、バーでのノウハウもよくわからない僕は、メニューを開く動作をしてから土屋さんを窺った。

 正面の棚には、洋酒の瓶がずらっと並んである。ラベルも中身も、照明を反射して、宝石みたいに輝いている。

 土屋さんは、なぜかくすっと笑いながら、ラミネート加工されたメニューを差し出した。

 スタンダードといわれるものからオリジナルまでいろんな名前がある。

 スクリュードライバーはわかる。ソルティドッグも。モスコーミュールにピンクレディー。あ、バカルディも耳にしたことがある。

 そのあとは、だんだんとわからない名前が続く。

 といっても、スクリュードライバーがオレンジで、ソルティドッグがグレープフルーツということしか、僕の頭の中のカクテル部屋には知識がない。

 僕は、逢坂先生に目をやった。


「先生のはなんですか? ブランデー?」

「ウイスキーだよ。……ちょっとそれ貸せ」


 逢坂先生が、僕の手からメニューを奪っていった。すぐさま土屋さんへ返す。


「あっ、なんで」

「お前に合うやつ、俺が頼んでやるから。土屋──」


 カマアイナ。

 と、カクテルらしき名前を、逢坂先生は言った。

「オーケー」と、目でも合図して、土屋さんは作業を始めた。手際よく、シェイカーへ材料を入れていく。


「かまあいな、って、なんですか」

「なんですかって訊かれても、酒としか言えねえよ。まあ、とりあえず飲んでみろ。土屋が作るのはどれも旨いから。それは保証する」


 土屋さんがいよいよシャカシャカし始めた。当たり前だけど、様になっていて格好いい。

 逢坂先生が、土屋さんになにやら話しかけた。僕を指さし、視線もちらっとよこす。


「こいつさ、ここへ来る前、ジミーママんとこの店のドア開けたんだよ、間違って。そんで、ママたちのあまりのキャラに、店先でフリーズ。反応があからさますぎるっつうんだよな」

「……」


 ……そりゃあ、フリーズもするでしょうよ。

 キャバクラでボランティアなんかする逢坂先生と違って、僕はああいうことに耐性がないんだ。

 笑いのネタにされ、むくれてみても、逢坂先生はお構いなし。それどころか、僕の大ボケをツマミに残りのウイスキーを呷る。

 グラスを置いて、さらに言い放つ。


「そのまんま置き去りにしても、おもしれかったかも」

「先生、もうやめてください」

「あーあ。渡辺くんかわいそ。こんなやつの後輩になっちゃって。つうかさ、つぐちゃーんって、お前が歓迎されたんじゃねえの。俺にも、また連れてきてって言ってたから」


 苦笑いで、もう一人のバーテンさんに指示しつつ、土屋さんは急に話し方を崩した。

 ぼくは、笑い者にされたことはしばし忘れ、逢坂先生と土屋さんへ、順に視線をやった。


「そういえば、お二人はどういうお知り合いなんですか?」


 僕の目線を辿るように逢坂先生と土屋さんは顔を見合わせた。「あ、俺ら?」と、同時に口にする。


「高校の同級だよ」


 逢坂先生が続けて返した。 それに土屋さんは軽く頷き、ミントの葉をカクテルに添えた。


「高校ってことは、根津先生とも、ですよね」

「そうそう。……はい。どうぞ」


 カマアイナのタンブラーが僕の前に現れた。

 ……たとえるなら、カルピスのような見た目だ。

 一口飲むと、僕の全身を、南国の風が吹き抜けていった。ハワイもグアムも、残念ながら行ったことがないけど。

 甘ったるいだけかと思ったら酸味もあって、さらに炭酸も入っているから、喉越しはすっきりとしている。

 う、うますぎる!

 ビール以外にも、こんなにおいしいお酒があったなんて……。

 僕はタンブラーへため息をもらした。

 聞けば、この白はココナッツミルクだそう。

 ごくごくいきそうになって、これはあくまでお酒なんだと気づいて、思いとどまった。


「渡辺くん」


 カウンターの向こうから、土屋さんが身を乗り出すようにして顔を近づけた。口元に手を添え、しかしとなりに聞こえるように言う。


「渡辺くん、気をつけなよ。こいつ、教師なのは外面だけで中身は最低だから」

「……」

「おま、最低はやめろ。お前が言うとガチに聞こえんだよ」

「ガチだろ。なんてったって……」

「違いますよ」


 土屋さんの言葉を遮って、僕は訂正を申し出た。

 逢坂先生も目を丸くしている。

 そっちへちらっと視線をやって、土屋さんは鼻で笑った。


「へえ。渡辺くんには優しいんだ」

「いえ、そうじゃなくて」

「ん?」

「逢坂先生は、外面なんて気にしてないと思うんです」

「……」

「少なくとも、僕の見る限りは表も裏もないですよ」

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