どっちが本音か



 夏休みも終盤になると、休暇を取る先生が増えてくる。

 逢坂先生も根津先生もきのうから夏期休暇に入った。根津先生は五日。逢坂先生は、年休を足しての七日。僕の命の洗濯期間でもある。

 じつは、僕もきょうあす休みだ。もちろん、土日だから。でもあしたは部活があるから半休だ。

 夕方、徹夜で観終わったDVDを返しに、行きつけのレンタルショップへ出かけた。また借りようと思ったけど、観たいのは貸出中だったから手ぶらで店を出た。

 少し歩いたところで、絵に描いたような不良集団が前からやってきた。

 ここはとにかく向きを変えるに限る。不必要な絡みは避けるべきなのだ。

 だが、世の中そんなに甘くないことも知っている。

 案の定捕まってしまった僕はなすすべもなく路地裏へ連れていかれた。


「悪ぃねえ。ぼくぅ、金貸してくんねえ?」

「小銭しかないですが」

「ああ?」


 これまた絵に描いたようなパンチパーマの学生が顎を上下させ凄んでくる。

 だけど嘘ではない。給料日前なんだから。

 僕は、半袖シャツの後ろ襟を掴まれ、顔を近づけさせられた。

 それにしても、このクソ暑いのに学ランを着て、こんなチリチリ頭でもやっぱり学生なんだろうか。


「つべこべ言わず財布出せ」

「いやだ」

「ああぁ?」

「だから、きみらにやるお金なんてないの」


 ほんとは、どんな少額だって、こんな理不尽な形で奪われていいものじゃない。

 すると、不良の集団が大爆笑した。

 笑いどこなんて、いまのところ一つもなかったのに。

 ああ。教職免許の証書も、運転免許証みたいなカードにならないだろうか。口で言っても信じてもらえないときにすぐに示せるようだと、こんなめんどくさいことにはならない気がする。

 ただ、僕が教師であることを証明して、この子たちへの抑止力になるかはわからないけど。


「じゃあ、もういいや」


 そう言って、パンチパーマが拳を振り上げた。

 マズイ、と思って目をつむったけど、覚悟した衝撃と痛みはなかった。

 恐る恐る目を開けたと同時に、掴まれていた襟が解放された。不良の集団が、さあっといなくなる。

 その去り際の、なにか恐ろしいものを見たかのような顔。もう、いやな予感しかしない。

 あの子たちよりもレベルが高いのが後ろにいるんだ。

 硬直していたら、靴で砂を踏みしめるような音がして、僕はちらりと振り返った。

 建物の向こうになる前に見えた姿は、背が高くがっしりした男。派手なシャツに黒のスーツを着ていた。

 またまた、このクソ暑いときにそんな暑苦しい格好で。

 と思いつつ、僕はなぜか、あの男のあとをこっそりつけていた。

 なんだかとっても気になる。どこかで見たような背格好なのもこの足を動かした。

 それに、僕を助けてくれたみたいだったから、話しかけられそうな隙があればお礼を言おうと思った。教職に就く身として、やはりここは無視というわけにはいかない。

 しかし、途中で見失ってしまった。夕方もちょっと深くなって、この路地裏にも増えてきた人に紛れていったのかもしれない。

 残念なような、これでよかったような。

 踵を返そうとしたら、僕はだれかに腕を掴まれて、路地裏よりもさらに細い道に引っ張られた。


「なんでついてくる」

「ぎゃあ──」


 叫ぼうとしたら、口を手で塞がれた。

 まさかの再登場からの暴挙に、ちらっとでもいい人なのかもしれないと思った僕が馬鹿だと反省した。

 その手をなんとか外そうと暴れていたら、今度はがっちり体を拘束されて、引きずられるようにしてどこかへ連れていかれた。

 怪しい事務所の裏口みたいなところへ入れられる。ひいっと声にならない声を出そうとしたら、また別な顔が視界に入ってきた。

 シャープな目元に切れ上がった口元。白いシャツに黒の蝶ネクタイを着けている。

 この人……どこかで会った気がする。


「なに連れてきてんの」

「しょうがねえだろ。成り行き上、こうなっちまったんだから」


 この声も、聞いたことがあるような、ないような。


「あーあ。なんで選りに選って『つぐおみ』見つけられんの」

「あ、バカ野郎。名前なんか出すな。まだごまかせたかもしんねえのに」

「いやあ、もう無理っしょ」


 僕の口を塞いでいる手が一瞬緩んだ。いまだと思い、かぶりついてやった。


「いってぇ!」


 相手は怯んでようやく僕を放した。噛まれた手を振っている。ざまあみろ。

 僕は、暑苦しい格好の男と、蝶ネクタイを指さして大声で叫ぶ。


「お、お前ら! こ、こんなところに僕を連れこんで、な、なにをする気だ!」


 渾身の啖呵だったのに、暑苦しい男と蝶ネクタイはお互いを見合って肩をすくめている。そして、暑苦しいやつが僕の後ろ襟を掴み、まるで猫を追い出すかのようにドアの外へ放り出そうとした。

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