「本気ではしないよ。そんなの人前でやったらね、三日は寝込むよ、俺」

「……なんで?」

「すね、脇、頭突きの三段攻撃食らわされて」


 なにそれ。と、苦笑いするしかない俺だったけど、ふと気づいた。

 あ、そっか。そういうことか。


「去年の主役って──」

「そ、みっちゃん」

「なるほどー」

「なるほど?」

「あ、いえ。つか、ほら。俺、ミツさんに初めて会ったとき……」

「ああ、メイドか」

「布石があったんだなと思って」


 ふせき、と口の中で呟いて、奥芝さんはまた屈託なく笑う。


「卓はさ、ほんとに面白いよね。発言や仕草の一つ一つがさ。かわいーつうか」

「へ?」

「話してて、すげえわかる。いいよね、そういうの。ずっとお喋りしてたい感じ」


 嫌みのない笑顔で言うから、かわいいなんて言葉も受け入れてしまいそうになる。

 照れる前に俺は首を横に振った。……いかん。人のいい奥芝さんでも言っていいことと悪いことはある。


「俺はかわいくありませんので」

「ああ、ごめん。つい」

「ジョーさんみたいなこと言ってると、奥芝さんもいよいよ変人設定にしちゃいますよ」

「それはやめて」


 クスクスいいながら、でもちょっとマジな顔で奥芝さんは言った。

 俺もくすっと漏らしてしまう。


「あれ。奥芝さんて、ジョーさんのこと尊敬してんじゃないすか」

「尊敬してるけど、変人はやだな」


 腕を組み困り顔でいた奥芝さんがはたと俺を見返した。


「卓、さっきの耐久レースの話の続きなんだけど」

「うん」

「ほんとはあれ、逆なんだよね」

「逆……?」

「残ったやつがやるんじゃなくて、参ったって最初に言ったやつが相手役やらされんの。だから耐久。意味わかる?」


 俺は首をひねった。

 すると奥芝さんは、そう毎年毎年かわいいヒロインができるわけない、と言った。

 ほとんどがきったない男の女装で、その相手役なんてだれもやりたがらない。だから、クラスでくじ引きをして一人を選出し、あの耐久レースをさせる。その中で最初に脱落した者が相手役をやらされる。

 きったない男がしてるヒロインなんかとキスしたくないから、みんな死ぬ気で残ろうとする。それであのレースが白熱する。そのままの流れで劇も盛り上がる、というわけなんだそう。


「あの耐久レースは、いわゆる遠足のオヤツの買い出し。で、劇が、本番の山登りってとこかな」


 俺は頭を抱えた。そんな上手い例えを言われても、乾いた拍手しか出ない。


「奥芝さん、基本的なこと訊いてもいいすか」

「うん?」

「劇の内容、教えてもらえません?」 


 この際、なにか一つでもいいから、安心できる要素がほしい。……というか、プリーズ、情報。


「なに、まだ内容も教えてもらえてないの?」


 奥芝さんはサドルに座り直し、あららと見上げてきた。

 しかし、意味深げににやにやする。


「タイトルは『下剋上物語』だった気がする。お偉い騎士がいてさ、そいつには婚約者がいるんだけど、そのコに、お偉い騎士の部下みたいなやつが惚れちゃうって感じのストーリー。一応は」

「……一応?」

「まあ、その辺はクロから台本をもらって確認してよ。すげえウケるから」


 奥芝さんは肩を震わせ、思い出し笑いみたいなのをしていたけど、俺は到底、一ミリの愛想笑いも返せなかった。

 ……聞かなきゃよかったかもしれない。悶々することが余計増えた。

 まじで、劇の「げ」の字も始まってないんだ。それどころか、二重にも三重にも遠回りさせられている。

 俺はげんなりしそうになった。

 でも、維新のことを考えると、もう疲れたとは言っていられない。あいつはこの時間も一人で頑張っている。

 カブのエンジンをかけ直し、片手を上げて奥芝さんは去っていく。その後ろ姿が軽快すぎて、なんだか恨めしい。

 また二の足を踏む。こんなテンションじゃあ、いまの維新に会わせる俺じゃない気がして、橋をとぼとぼと引き返した。

 そのさなか、あることを思いついた。

 俺は玄関へと駆け込み、まっしぐらに和室の押入れを開けた。




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