せめて



 耐久レースまで残りの三日間、維新はゴルフ部の練習を休みにしてプールへ行くことにしたらしい。

 風見原の敷地内には、屋内プールが二つある。それの、体育に使われるほうで練習するらしい。

 応援というか、見学しに本当は行きたかったけど、邪魔にしかならないと思って俺は控えていた。

 ま、一日目は。

 二日目はもうガマンできなくて、家に帰るやすぐに着替え、玄関を飛び出た。それでも、小川の橋のところで二の足を踏んでいたら、背後からカブがやってきた。

 奥芝さんだ。

 ヘルメットのアジャスターと、茶色と黒の長髪をなびかせ、笑顔で手を振っている。その荷台には、縄で括られたプラスチックの箱があって、その中にミケが乗っていた。

 なんともシュールな光景だ。


「おつー。卓」

「こ、こんにちは」


 奥芝さんは、ゆっくり走らせてきたカブをさらに減速させ、俺のすぐとなりで完全に停めた。長い両足を地面に着け、サドルに腰かけたまま俺を見上げる。

 もはやユニフォームと化しているツナギはきょうは真っ赤っか。特攻服みたいだった。


「ミケもこんにちは」


 俺は、箱の中で大人しくお座りをしていたミケにも挨拶した。その白茶の体をひとしきり撫でたあと、奥芝さんへ視線を戻す。


「ちなみにこれからどこへ?」

「ご覧の通り、ミケの散歩だよ」

「は?」


 いやいやいや。そこに乗せてたらなんにもならんでしょうよ。

 俺は眉根を寄せて苦笑いするしかなかった。


「あー、卓。違うからね。おかしな人を見るような顔してるけどさ。これから樹海のドッグランで遊ばすのよ」

「樹海の? そんなとこありましたっけ?」

「あ、いや。あの道を普通に走らせるだけなんだけどね。いまはだれもいないだろうから」


 というか、ほぼ放し飼いなんだから、人の目なんて気にしなくていいだろうに。

 俺は首を傾げた。

 やっぱり、なんだかんだこの人も変わっている。


「そういえば奥芝さん。バンドの担当、もしかしてタイコですか?」

「お、よくわかったね」

「おととい、自分はギターするってジョーさんが言ってて。黒澤サンはボーカル兼ギターでしょ。だとしたら、奥芝さんはタイコかなって。ていうか俺、始めからタイコな気はしてましたけど」


 なんてったって、ほら。不器用そうだし。

 それもつけ加えて言ったら、意外にも奥芝さんは笑いながら頷いていた。

 ……ああ、そこは自覚してるんだ。


「そうなんだよね。俺さ、幼稚園のときになんか楽器習いたいなと思って始めたんだけど、ほんとはギターが格好いいからそっちやりたかったんだよね。でもさ、ちまちま弦をいじってるのがダメで。しょうがないからドラムにしちゃった」

「習ってたんだ。すごい」

「まあね。だから去年に引き続きメンバーよ。ていうか松、大変なことになったね。俺もなにか助言できればよかったのかもだけど、相手があのクロじゃあね。たぶん、結果は同じだったと思う」


 なんのことを言っているのかわからなくて、俺はまた首を傾げた。

 いや、維新が耐久レースをやるはめになって大変だという部分は理解できた。それ以外のところがどういうことかわからなかった。


「助言……て?」

「あれ、だれからも聞いてないの」

「ん?」

「俺さ、去年の相手役な人のわけ」


 一呼吸の間ののち。


「ええええ?」

「いやいや、ども。そんなに驚いてもらえるとは」

「うそ」

「まじまじ。でも、去年はレースやってないんだよね」


 あ、それは聞きました。

 と、俺は何度か頭を縦に振った。


「ドラムのこともあったし、んなレースまでさせられたら死ぬわと思って、去年の会長に直談判したら免除にしてもらえた」

「免除……できるんじゃん」


 俺は地団駄ふんだ。

 ていうか、こっちはきちんと選んだのだから、免除なんていう前にしなくていいレースなんだ。

 思いっきり頬を膨らませてやった。


「ずるいし」


 奥芝さんは「まあまあ」と俺を宥める。


「去年とことしはいろんな意味で違うから。生徒会も、松と俺の状況も。その辺は卓もわかってくれるだろ?」

「んー。だけど、維新も自分の持ち場があるし」

「ああ。まあ、そうか。んじゃあ、やっぱ相手が悪すぎたってとこか」


 そうです。結局はそこに落ち着くんです。

 すべての元凶はあの人。

 その時点で諦めるしかないとほんとは決まっていた。歯向かうのは無駄な体力を使うだけ。

 あーあ。ため息しか出ないよ、もう。


「とすると、奥芝さん。あの最後のシーンをやっちゃったんすよね?」

「あ、キスシーン?」


 そんな、ストレートにきすとか言われると、こっちまで恥ずかしくなる。俺はわざわざオブラートに包んだのに。

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