暮れ泥むころ



「耐久レース開催日時と、参加者募集について」


 掲示板に貼り出された一枚には、まず、そういう見出しがあった。

 そうなのだ。あのレースは、レースでも、耐久レースだったのだ。

 たしかに、維新も黒澤も、レースに「勝つ」じゃなくて「残る」を連呼していた。

 俺は、あんぐりと開けた口を閉じるのも忘れ、アウストラロピテクス状態でいた。

 昇降口と向かい合う購買のとなりに、掲示板はある。最初は結構な数のギャラリーがいたけど、気付いたときには人っ子一人いなかった。

 耐久レースの開催は来週の日曜日。つまりは四日後。なんつー早さだ。アホか。

 参加者募集の締め切りはあしたの放課後。これは妥当。むしろ募集なんてしなくていい。

 つか、問題は耐久の中身だ。

 最初に二時間のジョギングをする。あのお盆カレー、唐揚げのせを十皿完食し、極めつきは、だれか一人残るまで延々と泳ぐ。

 こんなの……無理に決まっている。

 俺は、最初のジョギングで脱落する。

 正直いって、維新にそこまで体力があると俺は思っていない。普通の男子以上にはあるかもしれないけど、ここではそれが十人並だ。

 それに、体力勝負以外に胃袋勝負もある。

 維新はわりと食うけども。それだって、普通よりちょっと食べられるレベルだと思う。

 最後の水泳は……もういいよ。もう、きすでもなんでもするよ。俺がちょこっと我慢すればいいだけの話だもん。

 だれかさんじゃないけど、減るもんでもないし。不本意な一回より大好きなやつとの何万回のが大事だ。

 少し体を起こし、すっかり閑散としている廊下の先へ俺は目を動かす。そのとき、だれかに後ろから抱きつかれた。


「卓~」


 ジョーさんだった。

 掲示板の紙切れ一枚に、俺は叩きのめされ、いつもの反応ができずにいた。

 ジョーさんは、ぱっと俺から離れる。


「なんだ、卓。気持ち悪ぃな。いつもみたいに嫌がってくれねえと調子狂うわ」

「だって~」


 俺は口を尖らせ、掲示板を指さした。

 ジョーさんは、貼られてある紙を見て、顎を撫でた。


「おー。地獄の耐久レースな。ことしはやんのか」


 地獄……。

 ジョーさんでさえ、あれを地獄っつうんだ。俺たち常人は、参加してはならんやつなのだよ。松永くんよお。


「ん? ことしはって……去年はなかったの?」


 俺は、完全に体を真っ直ぐにして、ジョーさんを見上げた。


「ああ。去年は簡単に決まっちまったからな。それで、いまいち盛り上がりに欠けてたところはあった」

「あー……」


 だからか。その去年を黒澤は知っているから、どうしてもこのレースをさせたかったのか。

 百歩譲って、劇のことも、主役が女装しなきゃいけないのも、最後にきすシーンがあるのも、苦汁をなめる思いで許そう。だが、この耐久レースはいただけない。


「卓。悪ぃな。俺も参加してやりたかったんだが」


 と、ジョーさんは申しわけなそうにパンと手を合わせた。


「ギターある上に、前夜祭まで参加することになっちまって」


 まじ、悪ぃ。

 なんて謝られても、いえ、べつに参加していただかなくて結構です、としか返せない。

 しかし、立ち去る最後まで、ジョーさんは俺に手を合わせていた。

 なにはともあれ、棄権してもらうように維新に言おう。

 あいつ、レースのことを知っていたのに、黒澤の口車に乗せられたから、やっぱ冷静ではなかったんだ。それとも、ここのしきたりに感化されすぎて常識が麻痺しているか。

 ならば、俺が正しい道へ戻すしかない。

 昇降口で、気合いの握り拳を作ったあとスニーカーへ履きかえた。

 ふと、さっきのジョーさんの言葉を思い出す。

 劇のことを考えると、台風でも来て風見祭なんてお流れになれよと思うけど、バンドライブは楽しみだ。

 あとのメンバーがだれか。なんの楽器をするのか。それを想像して、ちょこっとでもテンションを上げてみた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る