二
どうやって維新を説得しようか。
とりあえずメールを送ろうと家に帰ってから考えあぐねた結果、こんなふうな文章になってしまった。
「レースは棄権しよう。あんなん絶対体壊すよ。もう心配しかない。お願い」
送ったあとで読み返して少しだけ後悔した。顔文字も絵文字も入れなかったから、悲愴感が漂いまくっている。まるで泣きながら打ったみたいだ。
いや、泣いてでも止めたい気持ちはある。俺のせいで無理させてしまうならなおさらだ。
やがて返ってきたメールを読んで、俺はすぐさま玄関へと向かった。
「いまそっちに向かってる」
ああ、やばい。やっぱり俺のほうが心配をかけてしまった。
俺は靴をつっかけ、小川にかかる橋のたもとまで走った。
庭を取り囲んでいる植え込みは緑が濃くなりつつある。その切れ間から道路を覗くと、ちょうど維新の姿が見えた。こっちへと向かい、足を方向転換しているところだった。
「卓」
「維新。ごめん。もうこんな時間なのに」
橋を渡り終えた維新はなにを言うよりもまず腕を伸ばし、俺を抱き寄せた。
「メール見た」
「うん。……あ、とりあえずこっち」
俺は維新の脇に収まったまま植え込みの陰まで促す。
長身の維新でも充分に隠れられた。
「ごめん。こんなふうに呼び出すつもりじゃなかったんだ」
体を離し、俺は上目遣いを送る。
維新の手はまだ背中にあって、何度か行き来した。
「俺は会いたかったから来ただけだ」
「……さっき、掲示板でレースの内容を見た」
「卓」
「俺さ、覚悟を決めた。相手役なんかだれだっていいよ。最後のはフリでもいいわけだろ」
「卓。お前もわかってるだろ。この勝負は相手役どうこうってだけのものじゃない」
維新が鋭く見下ろしてきた。食い下がる俺を押さえつけようとしている。
だけど、こっちにだって意地というものがある。
「わからねえ。俺はぜんぜんわからねえよ。お前、ここにいすぎて感覚が狂ってる。普通に考えてみ? 問題は勝負うんぬんじゃなく、あんなことしちゃだめってとこだろ。死ぬよ」
維新は表情を緩め、短く息を吐き出した。
「死ぬは大げさだろ」
「死ぬよ。俺なら死ねる」
「大丈夫だって。というか、耐久だからこそ俺はいけると思ってる」
あのレースで、さすがにあの面子に勝とうなんて思わないけど、耐久ならやれる気がする。維新はそう、なぜか自信満々で言った。
……やっぱりおかしくなってる。
俺は開いた口が塞がらなかった。
その一方で、いくら反対してももう手遅れなんじゃないかと感じた。
あのレースの先にいるのは俺じゃない。黒澤なんだ。
黒澤に勝つか負けるかが重要で、維新のプライドをかけたものでもあるんだ。
「……ていうかさ、維新。お前、泳げたっけ?」
「泳げるよ。普通に。まあ、その日まで少し練習するつもりでもいるけど」
維新はそう言ったあと、なにやらにやにやした。
こんな顔をするのは珍しいと思って、俺はちょっと身を引いた。
繋いだままだった手が離れる。
「というか、カナヅチな卓には言われたくねえな」
少しきつめで、バカにしたような物言い。
俺は、さっきの発言で維新をイラッとさせたんだと気づいた。
それではっとなった。
愕然ともする。
もしも、これが逆の立場だったら……。
「俺、そっか……ごめん」
うなだれると、強く肩を掴まれた。
「卓。違うだろ。こここそ反撃してくるところだろ。カナヅチで悪かったなって。いつもみたいに顔を真っ赤にさせて」
維新は冗談のつもりだったらしいけど、俺にはそう捉えられなかった。
言葉のわずかな行き違いなのに、俺には結構なショックで顔を上げることができなかった。
「俺ってさ、維新のためにたくさん走ることも、たくさん食べることも、たくさん泳ぐこともできねえんだよな。ほんと、なんにもできねえ」
「卓。だからそういうことじゃないって」
頭上にあったはずの声がすぐ横で聞こえる。
俺はそこに目を向けることもできず、ただ首を横に振っていた。
情けなくて、申し訳なくて、どうしたらいいのかわからなくて……。
しまいには、どうしようもない言葉が口からこぼれる。
「こんなんなら、いっそのこと女に生まれてくればよかった」
言い切ってしまってから我に返った。ぱっと顔を上げる。
「違う、ごめん」
「卓……」
維新は自分を責めているかのように眉間のしわを増やし、頭をかがめた。俺の肩へ額を乗せる。
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