どうやって維新を説得しようか。

 とりあえずメールを送ろうと家に帰ってから考えあぐねた結果、こんなふうな文章になってしまった。


「レースは棄権しよう。あんなん絶対体壊すよ。もう心配しかない。お願い」


 送ったあとで読み返して少しだけ後悔した。顔文字も絵文字も入れなかったから、悲愴感が漂いまくっている。まるで泣きながら打ったみたいだ。

 いや、泣いてでも止めたい気持ちはある。俺のせいで無理させてしまうならなおさらだ。

 やがて返ってきたメールを読んで、俺はすぐさま玄関へと向かった。


「いまそっちに向かってる」


 ああ、やばい。やっぱり俺のほうが心配をかけてしまった。

 俺は靴をつっかけ、小川にかかる橋のたもとまで走った。

 庭を取り囲んでいる植え込みは緑が濃くなりつつある。その切れ間から道路を覗くと、ちょうど維新の姿が見えた。こっちへと向かい、足を方向転換しているところだった。


「卓」

「維新。ごめん。もうこんな時間なのに」


 橋を渡り終えた維新はなにを言うよりもまず腕を伸ばし、俺を抱き寄せた。


「メール見た」

「うん。……あ、とりあえずこっち」


 俺は維新の脇に収まったまま植え込みの陰まで促す。

 長身の維新でも充分に隠れられた。


「ごめん。こんなふうに呼び出すつもりじゃなかったんだ」


 体を離し、俺は上目遣いを送る。

 維新の手はまだ背中にあって、何度か行き来した。


「俺は会いたかったから来ただけだ」

「……さっき、掲示板でレースの内容を見た」

「卓」

「俺さ、覚悟を決めた。相手役なんかだれだっていいよ。最後のはフリでもいいわけだろ」

「卓。お前もわかってるだろ。この勝負は相手役どうこうってだけのものじゃない」


 維新が鋭く見下ろしてきた。食い下がる俺を押さえつけようとしている。

 だけど、こっちにだって意地というものがある。


「わからねえ。俺はぜんぜんわからねえよ。お前、ここにいすぎて感覚が狂ってる。普通に考えてみ? 問題は勝負うんぬんじゃなく、あんなことしちゃだめってとこだろ。死ぬよ」


 維新は表情を緩め、短く息を吐き出した。


「死ぬは大げさだろ」

「死ぬよ。俺なら死ねる」

「大丈夫だって。というか、耐久だからこそ俺はいけると思ってる」


 あのレースで、さすがにあの面子に勝とうなんて思わないけど、耐久ならやれる気がする。維新はそう、なぜか自信満々で言った。

 ……やっぱりおかしくなってる。

 俺は開いた口が塞がらなかった。

 その一方で、いくら反対してももう手遅れなんじゃないかと感じた。

 あのレースの先にいるのは俺じゃない。黒澤なんだ。

 黒澤に勝つか負けるかが重要で、維新のプライドをかけたものでもあるんだ。


「……ていうかさ、維新。お前、泳げたっけ?」

「泳げるよ。普通に。まあ、その日まで少し練習するつもりでもいるけど」


 維新はそう言ったあと、なにやらにやにやした。

 こんな顔をするのは珍しいと思って、俺はちょっと身を引いた。

 繋いだままだった手が離れる。


「というか、カナヅチな卓には言われたくねえな」


 少しきつめで、バカにしたような物言い。

 俺は、さっきの発言で維新をイラッとさせたんだと気づいた。

 それではっとなった。

 愕然ともする。

 もしも、これが逆の立場だったら……。


「俺、そっか……ごめん」


 うなだれると、強く肩を掴まれた。


「卓。違うだろ。こここそ反撃してくるところだろ。カナヅチで悪かったなって。いつもみたいに顔を真っ赤にさせて」


 維新は冗談のつもりだったらしいけど、俺にはそう捉えられなかった。

 言葉のわずかな行き違いなのに、俺には結構なショックで顔を上げることができなかった。


「俺ってさ、維新のためにたくさん走ることも、たくさん食べることも、たくさん泳ぐこともできねえんだよな。ほんと、なんにもできねえ」

「卓。だからそういうことじゃないって」


 頭上にあったはずの声がすぐ横で聞こえる。

 俺はそこに目を向けることもできず、ただ首を横に振っていた。

 情けなくて、申し訳なくて、どうしたらいいのかわからなくて……。

 しまいには、どうしようもない言葉が口からこぼれる。


「こんなんなら、いっそのこと女に生まれてくればよかった」


 言い切ってしまってから我に返った。ぱっと顔を上げる。


「違う、ごめん」

「卓……」


 維新は自分を責めているかのように眉間のしわを増やし、頭をかがめた。俺の肩へ額を乗せる。

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