いつの間にか、俺は土塀まで押しやられていた。

 そこへ藤堂さんが手をつく。


「なあ。お前の肩、なんかついてんで」

「え?」

「うわ、トカゲや。キモっ」


 と、トカゲ?

 その瞬間、肩から首へなにかがもぞもぞと移動する感触があった。


「ぎゃあっ!」


 俺はパニックになって、藤堂さんと土塀のあいだでぴょんぴょん跳ね回った。首にいるらしいトカゲを振り落とそうと暴れて、最終的に、塀へと伸びる手にひっかかった。


「取って、取って!」

「ちょい待ち。そない動きよったら、取れるもんも取れへんがなっ」

「はやくっ、取れって!」


 ほれ、取れたで。

 そんな声が聞こえたけど、こっちがほっとする間もなく、藤堂さんは「なんなら見る?」と手を動かした。

 俺は顔を背け、その手をぐいぐい押しやる。


「いい。見せなくて。早く捨てろ!」

「えー。捨ててもうたらつまらんやん。もうちょい遊ばして」

「す、て、ろ、よ」

「お前、ほんまにかわいいな」


 ちらっと腰に違和感を覚えた。なにかが触れてきているような。

 でも俺は、トカゲの行方が気になって、それがなんなのか深く考えることはしなかった。


「トカゲは? 捨てた?」

「捨てた捨てた。……そやけど、中野クン。ちょい、ちゅーでもしよか」

「え?」

「せやからな、ちゅーや」


 藤堂さんの手が本当に空なのかを確認していた俺はぐいと視線を上げた。


「はあ? なんで、あんたとそんなことしなきゃなんねーんだよ」

「そやかて、こないな状況やし」


 俺はそこで、藤堂さんの懐へすっかり入り込んでしまっている自分に気づく。

 冗談じゃないと離れようとするも後ろは塀に阻まれ、前からは藤堂さんの上体が覆い被さってきた。


「近づいてくんなって」

「抱き着いてきたんはそっちやろ」

「ふざけんな」


 巨体をどかそうと精いっぱい身動いだ。なのに、びくともしない。

 どいつもこいつも、なに食ったらこんなに図太くなんだよ!


「な? ええやん」

「やだってっ。もうっ」

「なんでよ。減るもんちゃうし」

「そういう問題じゃねえ!」

「あいつも他のヤツとちゅーしよったんやから、こっちも見せつけな」


 いまの言葉を頭の中で復唱して、俺は動きを止めた。


「──あいつ?」

「おう。お前といつも一緒におる仏頂面男」

「……維新?」


 俺は目を見開いて、にやにやしている藤堂さんを見上げた。


「さっきから意味わかんねーことばっか」

「あ?」


 そこへ、なにかが俺の鼻を掠めてきた。だれかの手だ。甲から手首へと太い筋が走っている。

 すぐにだれのものか俺にはわかったその手は、藤堂さんの胸倉をむんずと掴んだ。

 見慣れた背中と首、襟足が、俺の視界を遮るように現れた。


「維新」

「おー。ヒーローのおでましやな」


 維新は俺から藤堂さんを剥がすと、もっと離させるように押していく。

 維新より体格の勝る藤堂さんなのに、簡単に後ずさりさせられている。それでも、植え込みの手前で二人は止まった。


「いい加減にしてくれませんかね」

「ええやん。先輩と後輩のかわいー交流やねんから。なに熱うなってん。ウザいな、自分」

「……」

「なんや、なんもゆえへんか」


 やばい。

 あれは、傍目にはだんまりさんになったように見えて、じつは静かにキレているんだ。

 維新はもっと腕に力を入れた。藤堂さんのシャツに深いしわが寄る。


「人のもんに手ぇ出すの、やめてくれませんか」


 維新を止めるべく出した手を俺は引っ込めた。

 う、嬉しいことを言ってくれちゃって。……と、ちょっと顔が綻ぶ。

 いや、ちゃうちゃう。じゃなくて、違う違う。喜んでいる場合じゃない。

 俺は改めて手を伸ばした。


「維新」

「中野クン。ほんまにこいつ、他のヤツとちゅーしよったんやで。その証拠いまから見せたるわ」


 と、藤堂さんは言って、あろうことか、無防備でいた維新に顔を近づけた。

 俺は考えるより早く、維新へと伸ばしていた手を藤堂さんのシャツへ転換させた。


「てめえ!」


 あらん限りの力で押し、植え込みへ巨体を突き出すとすねを蹴ってやった。


「いって!」

「維新になにしようとしてんだ! こんの変態ヤロー!」

「卓」

「二度とこんな真似しやがったら、次はぶん殴んぞ!」


 維新から羽交締めにされながらも、俺は足を振り上げた。しかし、空を切る。

 植え込みに引っかかったまま呆然としている藤堂さんが遠くなる。

 維新の脇に抱えられ、俺は図書館のほうまで連れて行かれた。前にちらっと見た東屋の一つに入れられると木のテーブルに腰かけさせられた。

 維新の体を挟むように足を分ける。


「なに、なんなんだよあいつ。結構いい人なのかと思ってたのに」


 泣きたい気分にもなって足をバタバタさせた。

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