俺がこうして寮へ入らずにいるのは、ママの言葉があるからだ。

 風見原へ転入したいと言ったとき、真っ先に反対したのはママだった。息子を一人で帰国させるのにも抵抗があったんだろうけど、風見原の習慣や風習を嫌ってもいたから。

 そこをどうにか説得して通っている手前、ケガなんかしたって知れたら、なにを言われるかわかったもんじゃない。下手したら、強制送還になるんじゃないかと思って、それが怖い。


「どうしようかしらね」

「頼むよ。おばさ~ん」

「とりあえず、そのおばさんていうのを止めたら、考えてあげないこともないけど」

「え?」

「うふふ。冗談よ。あたしもたっくんがいなくなったらつまんないから、いいわ。黙っておいてあげる」


 俺は、合わせた手を揉むようにして、藍おばさんを拝んだ。

 そこへ、話を終えたじいちゃんとつき添いの先生がやってきた。四人で病棟へと移動する。

 個室だから、間仕切りのカーテンはなく、むき出しのベッドがぽつんとある。俺がそこへと落ち着いてすぐ、藍おばさんは売店へ、じいちゃんと先生は電話をしに、それぞれ病室を出て行った。

 一応、寝ては見る。けど、眠れるはずもなく、すぐに体を起こすと、俺は携帯を開いた。

 すると、維新やメイジを始め、クラスメートからもたくさんのメールが来ていた。

 ──もうみんなに知れ渡っている。

 嬉しかったけれど、マズイという気持ちもあった。

 とにかく、「大丈夫」と、みんなに返信しなくては。そう指を動かしていると、病室のドアをノックする音が聞こえた。

 俺が返事をするかしないかのタイミングで現れたのは、マキさんと黒澤だった。

 びっくりして、思わず布団を剥ぐ。


「いいよ。起きなくて」


 と、マキさんは神妙な面持ちをして、ベッドへ近づいてきた。

 その後ろから、黒澤も病室へ入る。マキさんの背後で立ち止まり、同じく表情を曇らせていた。


「ど、どうして」


 ワンツーコンビのまさかのお出ましに、俺はベッドを降り、あたふたしてしまった。


「中野が救急車で運ばれたっていうから、急いで車を出してもらったんだ」

「そんな、大したことないのにー」

「大したことって……」


 マキさんの目線が動く。

 俺は、包帯にやった手をぶんぶんと振り、まくし立てた。


「これは、一応の応急処置的なやつで、ほんと大したことないんですよ。軽い軽い、かるーい脳震とうなんで、そんなわざわざ二人して来るようなもんではないんです。まじで」

「歩けるのか?」

「はい。そりゃあもう、すったかたったと」


 素早く両腕を振って、ぜんぜん大丈夫を猛アピールする。

 それで安心してくれたのか、マキさんはようやく口元を緩めた。ほっと息をつく。

 黒澤がマキさんの横へ出る。


「ほら、きっと大丈夫だと俺も言っただろう」

「だってさあ。救急車とかいうからさ……」


 拗ねた子どものような表情で、マキさんはとなりを見上げた。

 それにしても、新鮮なツーショットだ。風見館へ行けば、毎日見れる普通の光景なんだろうけど。


「こいつ、卓が倒れたと、講堂へ俺を呼びに来たとき──」

「あーあーあー!」


 と、マキさんがいきなり大声を出した。

 それを、柔らかい笑みでもって、黒澤は受け流す。


「それ以上言うなし」

「ああ、はいはい」


 俺は目をパチパチさせた。

 ……なんだ、この雰囲気。つか、俺のときとずいぶんちがくね、あの人の態度。マキさんの頭をポンポンしてるし。しかも、とおーっても、やさーしく。

 それをみとめて、俺が首を傾げたら、その視線に気づいたらしい黒澤が、ポケットにさっと手を入れていた。


「中野。きみは、このあいだのチャリの件と今回で、バツ二個だからな」


 俺は、マキさんのほうへ顔を戻した。

 聞き捨てならない言葉が聞こえた気がする。


「ええー。うそーん」

「うそーんじゃない。僕をこき使った、心配させたの欄にバツをつけておく」

「なんすか、それ」

「あと、クロは、僕に恥をかかそうとした欄に、三角。一応、未遂だったから三角だ」


 喉で弾くようにして、黒澤は乾いた笑いを吐き出した。


「そりゃあ、どうも」


 それから俺を見る。

 笑みはもう消えている。


「卓。今回のことはどうして起こったか、お前は把握できているのか」

「あー。バスケ部とバレー部のケンカに巻き込まれちゃったってやつ?」

「そうだ。わかっていたんだな」

「うん。ほら、救急車に乗ってくれたの、バスケ部の顧問の」


 マキさんと黒澤は同時に「ああ」と頷いた。

 俺は、はたと思い出したことがあった。あの、関西弁のヒト──。


「そういえば、バスケ部かバレー部かわかんないけど、とーどーさんて人、いるでしょ?」


 黒澤が横へと視線をやった。

 それを受けた形でマキさんが言う。


「藤堂慶市(とうどうけいいち)。バスケ部の部長だね」

「部長さんか……。その人さ、俺が倒れたとき、すっげえ親身に介抱してくれたんだ。もし処分云々があるなら、なしか、軽くしてくれません?」

「だけど、中野に当たったボールは、そいつが投げたんだぞ」

「あ、そうなの? んー。でも、できればお願いします」


 俺は深々と腰を折る。顔を上げて二人を見れば、目を合わせたあと、頷いていた。


「最終的に決めるのは会長だ。俺は、マキに任せる」

「そーね。まあ、当事者の中野が言うなら、厳重注意で留めときますか」

「ああ、マキさん。ありがとう」


 ほっとしてベッドに腰を落としたとき、ドアが開いた。

 買い物から帰ってきた藍おばさんは、ケガ人の俺を気遣うより先に黒澤を見つけ、目を輝かせていた。俺が頼んだジュースやらお菓子やらが入っている袋を乱暴によこす。

 じいちゃんとつき添いの先生も戻ってきた。それと入れ替わるようにして、黒澤とマキさんが病室を出る。

 検査結果は、やっぱり軽い脳震とうだった。

 夕方、維新とメイジが家へ見舞いに来てくれた。

 農業部のみんなも駆けつけてくれて、だだっ広いだけの居間が、やっとその機能を果たした。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る