病院送り



 さもつまらなさそうに目を閉じ、ミケはコンクリートの上で伏せをしていた。

 謝りながら、電灯の足から綱を外す。その途端、ミケは鉄砲玉みたいに飛び出し、俺を先導し始めた。

 道へと戻る階段を下りながら、さっきの黒澤とのやりとりを思い出す。

 断じて、どきどきはしてない。けど、意外な一面に釘づけになったのはたしかだ。ただ、奥芝さんやジョーさんが楽器を弾いていて、それを目の当たりにしても、ああなるとは思う。


「うん?」


 少し歩いてから気づいた。来るときと道が違う。

 この学校は本当に人を迷子にさせる。いちいち木が多くて見通しも悪いから、こういうふうにすぐ迷ってしまう。

 とりあえず道なりに進んでみると、なにかの建物が見えてきた。

 第一体育館に形が似ている。それから察するに、第二か第三体育館だろう。

 正面の入り口に人が集まっていた。一様に館内を覗いていて、困ったというような顔をしている。

 俺はミケを連れて、体育館の脇へ回った。二つの出入口はどっちも開放されてある。

 ここには人がおらず、俺は近づきながら中へ目をやった。


「だーかーら。なんなんだよ、この当番表! インチキだろが!」

「なにがや。インチキちゃうわ。こないだそっちがケンカふっかけよったバツやろが!」


 ──関西弁?

 聞こえてきたイントネーションに首を傾げつつ、俺は入り口から顔を出した。


「ええ加減にせえ!」


 そんな怒号とともに、何人かの叫び声が上がる。

 危ない、という声もあって、なんだろうと、俺はきょろきょろした。

 そこへ視界に飛び込んできた、大きくて丸いもの。俺は避ける間もなく、頭に受けた。

 一瞬、周りの音が聞こえなくなって、気づくと倒れていた。起き上がろうとしても頭がくらくらで、全身を普通に保っていられなかった。


「あかん。起きたらあかんで。そのままじっとや」


 駆け寄ってきた人を見上げる。

 心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。

 どういう状況か、俺はいまいちわかっていなかったけど、とにかく立ち上がって大丈夫と言わなきゃと思った。


「鷲尾、先生呼んできて。あと、だれか濡れタオル頼む」


 駆け寄ってきた人が周りへ声を飛ばす。

 俺はどうしても立ち上がりたかった。でも、自分はどうしちゃったんだろうと思うくらい、体がいうことを聞かない。


「めーわくかけられ──」


 なんだか舌も回らない。


「だからあかんて。動きよんなや。悪いのは俺なんやから、お前はじっとしとけって」

「藤堂。大丈夫かな、この子」


 まただれかがやってきた。知らない顔が、三つ四つと目に入る。

 みんな、すごく心配そうにしている。


「わからん。たぶん脳震とうちゃうかな」

「あーあ。ケイちゃん、悪いんだー。こりゃあ、生徒会に知れて、即しばき決定!」

「ああ、そやそや俺のせいや。なんとでもゆえや。それよりタオルはまだか」

「いま見てくる」


 そんな会話を耳にしながら、俺は空を仰いだ。

 維新の顔を思い浮かべる。

 ……あいつ、いまなにしてるんだろ。なんだか、ものすごく会いたい。

 だって、なにか大変なことが起こる予感しかしないんだ。……あ、悪寒かも。

 とりあえず、これから救急車に乗るだろう予感はある。

 そして──。

 なんて思っているうちに、俺は担架に乗せられ、どこかへ運ばれた。

 遠くで、サイレンの音がした。




 俺は、学校から一番近い総合病院へ救急車で運ばれた。

 病院へ着いたときには、あのくらくらはなくなっていて、いろいろ検査されたあとは、自分で歩けるくらいに回復していた。

 つき添いの先生とともに診察室を出る。その頭には包帯が巻かれてある。

 検査結果が出るまで、病棟の個室で待機となった。そこへと移動していると、藍おばさんとじいちゃんがやってきた。


「たっくん!」

「卓!」


 二人とも、この世の終わりみたいな青い顔をしている。

 ……当たり前か。だって、救急車だもん。

 だから、あのとき意地でも立ち上がりたかった。こういうふうに心配させたくなかったから。


「ちょっと、大丈夫なの?」

「大丈夫、大丈夫。じいちゃんもごめんな。忙しいのに」

「なにがだ。報せを聞いたときは、心の臓が止まるかと思ったぞ」

「たぶん軽い脳震とうだよ。平気、ヘーキ」


 じいちゃんは、つき添いの先生からも事情を聞いていた。

 うーん。やっぱ大事になってるし。

 俺は一抹の不安を覚え、藍おばさんに縋るように視線をやった。


「お願いがあるんだけどさ」

「なあに?」


 藍おばさんは、着物の合せを直しながら、じいちゃんから俺へ目を動かした。


「このこと、ママには内緒にしてて」

「え?」

「お願い。じいちゃんにもそう言って」


 俺は手を合わせた。ママに知れたら、めちゃくちゃ叱られる。

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