第2話
「……は?」
唐突な言葉に呆然としてしまう。詩的な表現は嫌いではないが、突然言われても頭に入ってこない。雨が歌う、とは。
「聞こえない? この声、キレイな歌。雨が歌ってるんだよ」
しかし呆然とする私に構わず彼はそう言うと、窓の外へと目を向けた。その先に見えるのは、若干の藍が混じった真夜中の暗闇の中で時折光る、大粒の雨の白い点の幾つかだけだった。二人だけの病室の静けさに、僅かに雨音が混じるだけ。
「お姉ちゃんもしっかり聞いてみてよ。そうすれば、聞こえるはずだよ?」
「そ、そう?」
もうすっかり目も冴えてしまい、どうせ眠れないと分かっていた私は彼の言葉通りそっと目を閉じて静寂に耳を澄ましてみた。この私にも、雨の歌声は聞こえるだろうか。
しかし相変わらず響くのは、壁にやたらと打ち付ける騒々しいくらいの雨音と、一定間隔で鳴り続ける枕元の機械の音だけだった。実際の雨音は静かで、そのまま横になればすぐにでも眠れてしまいそうなくらいなのだが、何故だか私にはやたらと耳障りに聞こえてしまっていた。
聞こえるのは雨の歌声ではなく、あくまで雨音。感情なんて欠片も含まない、無機質な音。
「うーん……歌ってるの、かな?」
目を開けた私は、少年に曖昧に微笑んでみる。彼の感性を頭から否定するのもおかしいけど、少なくとも私には歌声は聞こえない。
「そっか……やっぱりお姉ちゃんも、分かってくれないか」
少年はそう言うと寂しそうに項垂れてしまった。やはりここは嘘を言ってでも同調すべきだったのだろうか。でも、正直に言うならば――
聞こえないものは、聞こえない。
声にはもっと温かさがある。温度がある。優しい声や嬉しい声は湯たんぽみたいに温かいし、逆に寂しい声や悲しい声はやはり、冷たい。
それこそ、秋の夜に降りしきる時雨みたいに。
でも今窓の外に降る雨の音には何も感じない。ただ静かに降るだけで、その音に触れてみても普通に冷えているだけ。自然の音であり、そこには何かの思いや温もりは見えない。
「お医者さんも、看護師さんも、みんなみんな揃って言うんだ。『君は何を言っているんだ』って。みんな、僕の言うことなんて分かってくれやしない。僕のことなんて」
「それは……まぁ、大人には分からないよ」
分かってもらえるわけがない、とうっかり言いかけて慌てて飲み込む。別に大人は頭が硬いとかいうつもりはないのだが、これだけは自分でもよく分かっていた。そしてもどかしかった。
大きくなると、見える世界が色褪せる、と。
「お姉ちゃんは、大人じゃないの?」
「大人とは言えないかな。私は高校生だから」
大人とは違う。常に疑いの眼差しを向け、日々に疲れているわけではない。でも、子供でもない。あの頃みたいに見るもの全部が輝いているわけではない。少なくとも、明日が楽しみではなくなった。あれだけ待ち遠しかった『明日』が、今はとても怖い。あれだけ待ち焦がれた『未来』が――
「やっぱりお姉ちゃんも、『大人』だね」
「えっ……?」
その時、耳の裏に雫の一滴が響いた。少し前の夢で聞いたような、まさしくあの音。そしてその音は――
やっと、冷たかった。
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