時雨の歌
佐倉 ミナモ
第1話
鏡のような水面に、一滴の雫が垂れた。その音で、目が覚めた。
月の光も差さない僅かな視界の中で耳に響くのは、窓と壁に当たる静かな雨音と、枕元に置かれた何かの機械の電子音ばかり。静寂に間違いないはずの病室なのに、何故かその雨音ばかりが耳障りで離れなかった。
目を凝らして壁の掛け時計を見ると、その針は深夜の十二時半を指していた。我ながらなんて時間に目が覚めてしまったんだと密かに頭を抱える。辺りを見渡しても、誰もいない。四人収容できる大きめの病室に、今は私一人。今回は一晩だけとはいえ、やはり孤独な夜は寂しい。病室の夜は何度も経験してしまったため最早怖いなんて感情は消えてしまったのだが、その代わり寂しさと虚しさばかりがこみ上げるようになってしまった。
「外、暗いな……」
青を透かした白のカーテンを少しだけ開けて、窓の外を眺める。病院の前に数本の街灯が立っているだけで、あとは夜の闇に、あるいは雨に溶けて見えなくなっていた。
窓についた雨の雫に目を凝らして覗き込むと、滲んだ白い明かりが反転して映っていた。だからどうということはないのだけれど、何度も入院しているとこんな些細な発見に胸躍るようになってしまう。一人の中での、ほんの小さな楽しみ。そんな逆さまな世界を楽しんで、それから視線を手首に移す。手首から出たチューブは私のベッドの横に立つ点滴パックへと繋がっていた。もう見慣れた点滴を眺めつつ、思い出す。
「爽雨は、大丈夫かな」
私の双子の弟、爽雨のこと。一晩だけとはいえ、病弱な姉の私が体調を崩して突然入院することになったと知ればきっと彼は狼狽えるだろう。そこら辺の事情を、キチンとじいやが説明してくれればいいのだけれど。大したことは無い、と。
こんな状態でも、弟の心配をしてしまう。双子とはいえ、これが姉の性なのだろうか。
「自分の心配をしろって話よね。まったく、我ながら変だなぁ」
誰もいないのをいいことに、そう言って自嘲気味に笑ってみる。病弱で事あるごとに喀血して倒れ、その度に入院してきた私の気の紛らわし方。こうやって独り言を言ってみる事で、誰も居なくても誰かと話しているような感覚になり、僅かながら寂しさが紛れる。
一人だから成せる技。一人の夜だからこそできること。
だから――
「何一人で笑ってるの? お姉ちゃん、変なの」
背後からそんな声が飛んできた時には背筋が瞬時に凍りついた。この病室に他の人がいるなんて、想像もしてなかった。
「き、気にしないで。独り言だから」
そう言いつつ軋んだ音でもなりそうなくらいぎこちなく首を回して背後に視線を向ける。暗闇の中にぼんやりと見える病室の扉、その前に一人の男の子が立っていた。私と同じような患者服を着た、まだ幼稚園児くらいの小さな男の子が。
もしかすると別の病室から来てしまったのだろうか。いや、この病室の扉はそんな簡単には開けられない。高校生の私でも開けるのにそれなりの力を要するくらいに重い。どうやって入ったのか。
しかし彼はそんな戸惑う私を他所に窓際まで駆けてくると、窓の下の壁に寄りかかった。
「僕は気にしないよ。寂しくて当たり前だもん。それよりもさ、カーテン、開けてみてよ」
「え……?」
「窓の外、見てみてよ」
戸惑いつつも言われるがままに少しだけカーテンを引いてみる。窓の外はやはり暗く、遠くに街明かりがぼんやり蛍みたいに見えるだけだった。
「開けたけど……真っ暗じゃない」
真っ暗なだけで何もない、そう言おうとした。しかしその前に彼は首を振るとこう言った。
「お姉ちゃん、よく聞いて。雨が……歌ってるよ?」
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