第1話 手伝い

『あ』


 朝交わした言葉はこれだけだった。

 紅葉はどうかわからないけれど、少なくとも僕は気まずくて声をかけられそうにない。事実、担任の教師がHRを進めてる今もできていない訳で。


「えー、まず連絡なんだが、入学式の開始が少し遅れるそうなので、事務的なことを済ませるぞ」


 僕らの担任は年齢はおおよそ四十代、いかにも剣道部の顧問をやっていそうな威圧感があるけど声音は優しいそうな人だった。……絶対怒ったら怖いけど。


「それに当たってだ。隣の教室にオリエンテーションで使うプリントが置いてあるから、だれか二人で取ってきてくれないか?」


 そんな担任の話よりも、隣の席にいる紅葉のことが気になって仕方がない。そもそも僕は今、元カノにどういう顔で接すればいいんだ?


「——ちゃん!」


 そもそも関わっていいのだろうか? 受験期間というわずかなハードルを越えられなかったヘタレだぞ? むしろ隣にいること自体がおこがましいのでは……。


「涼ちゃん!」


 ……ん?前の席から僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。視線を前に向けると、担任と目が合った。


「そこの2人。考えことしてるなら、とりあえずプリント取ってこようか」



 ***



 今日は入学して初日ということもあってか、教師の怒りは怖くなかった。

 ……というか、隣の席で紅葉も僕と同じように色々考え事してたみたいだけれど。


「……」

「……」


 あー、紅葉も気まず苦思ってるよな、これ。“菊原さん”の方がいいのかな、いやでもよそよそしすぎか……。


 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、紅葉の方から話を振ってきた。


「ひ、久しぶりだね」

「ん。そうだな」


 それでも気まずさは抜けず、素っ気ない返事になってしまった。

 ……我ながら自分の態度が嫌になる。


「あのさ、ひとつだけ聞いていい?」

「あぁ、いいよ」

「えーとね」


 なにを尋ねられるのだろう。なにを聞かれてもちゃんと答えられる気がしないけれど、今は向き合わなきゃ行けない気がした。


「もしかして私のこと……嫌いになったりした?」

「へ?」

「あーうそうそごめんね! 変なこと聞いたよね、今の忘れて!」

「いやいや。……別にそんなことないよ」

「……そっか」


 およそ半年ぶりの会話。少しぎこちなく、それでも昔みたいに話せた。ように思う。多分。


「……やっぱり今の質問は忘れて?」

「え?」


 プリントを持って教室から出る時、紅葉に言われた。


「今のことは気にしないで、今まで通りいこ。……また仲良くしたいし」


 ぼそっとつぶやかれた最後の小さな言葉も聞こえてしまった僕は、少し離れたところから紅葉の背中を眺めることしかできなかった。


「……質問の答えとして『そんなことない』って言ったつもりだったんだけどな」


 それにしても、動作と言動がいちいち可愛らしく見える。

 未練は解消されそうにないな、これ……。






 帰ってから。


「いや涼ちゃんさ、その返答はわかりづらいよ」

「……やっぱり」

「これは一から指導しなきゃダメだね!」

「お前は恋愛マスターか何かなのか!?」


 今日の話を、前の席に中学の頃の塾からの友達にしたら怒られた。

 しょうがないじゃん、僕だってテンパってたんだから。

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