第2話 欠けた少年と黒髪の女

 ドボン。

 はと、気がつくと少年はまた水の中にいた。

 しかし今度は様子が違う。


 温かい。お湯?しかも辺りはやけに明るい。というか、机や椅子が見える、家?

 僕はどうしたんだ?たしかクジラに…


 驚いて、少年は手足をばたつかせ水から顔を出した。

 少年は大人ひとり入りそうなほどの丸い水槽に入っていた。辺りを見渡すと、木でできた本棚にびっしりと分厚い本がたくさん。所々に怪しく光る背表紙の本がある。頭上ではオレンジの光が込められた提灯が天井につたういくつもの枝の一つに掛けられている。

 その光を見ているとなんだか胸の奥が温かくなるような気がしたから、少年はあわてて視線を前に向けた。

 するとそこには、雪のように白い肌に黒い髪を後ろの高い位置にビシッと結び美しい菊の咲く袴を着た背の高い女が立っていた。その鋭い眼光は大人の男の人でも初めて会えば後ずさりしてしまいそうなほどだ。


「だめだよ、まだ出てきたら。」


 女は眉ひとつ動かすことなく、淡々と口を開いた。


「傷によく効く薬草を調合した湯なんだ。しっかり頭まで浸かって。」


 と、少年の頭を片手でわしっと掴み、湯に押し込んだ。急なことに驚いた少年は必死に女の人の大きな手を掴んでもがいた。


「おっと。」


 と言って手を離すと少年は勢いよく湯から顔を出し


「急になに、、、!」


 と喉に入った湯にむせながら女の人に言った。


「すまない、岸辺に打ち上げられてたから海の者の類いだと思ったんだ。」


 海の者?


 女の人の言葉にいまいちピンとこない様子で顔をしかめる少年を見て


「君、どこから来たの?」


 と今度はやや眉をしかめて言った。

 …。

 男の子は少し考えるように首をかしげて見せたがすぐに


「どこだろう、わからないや。」


 と少し困ったように微笑みながら言った。

 そのあまりにも軽い、軽薄とも言える笑みと言葉に女は硬直した。

 しかし、頭を切り替えるように首を振った。


「そうか、まぁ分からないことは仕方ない。うん。」


 と自分に言い聞かせるように言った言葉とは裏腹に女の人は、この男の子にどこかとても危ないなにかを感じていた。それは、単に身元不明だからというわけではないと確信していた。


 ✳︎


「あの・・・これいつまで浸かっていたらいいの?」


 かれこれ一時間ほど湯の中に浮かんでいるのでついに少年が発した言葉。

 女があれからずっと机に張り付いてなにやら調べ物をしているからなかなか口を挟めずにいたのだ。


「あ、そうだった。ごめん、ごめん」


 と言いながら、窓から入ってきたまだ青いもみじの葉を、読んでいたページに挟みぱたんと閉じた。


「そこのハシゴから降りられる?」


 女がスタスタと歩きながらそう聞くと、少年は丸い水槽の淵に手をかけ、またぐようにハシゴに足を乗せた。しかし、ながらくなにも食べていなく、その上水の中にずっと浮かんでいたせいか一段と降りることなく踏み外した。

 少年の体は宙で体勢を崩し木の床が大きく見えたとき、女が少年の両脇に腕を通し抱え上げた。あまりにも優しく抱き抱えられた少年は胸の奥を握りしめられる感覚がした。

 急な出来事にぽかんとした顔の少年を見て


「すまない、気が利かなかったね。」


 と言葉短く言うと、少年の身をすっぽり隠すほどのタオルを被せ今度は慎重に拭いていた。


「もういいよ。あとは自分でやるから。」

「そうかい。」


 と言って女はかまどに火を焚いて料理を始めた。


「そういえば、きみ服を着てなかったから、私の昔着ていた物を着るといいよ。」


 と椅子に畳んである紺の生地に銀の百合の花の柄をした着物を指した。


「これ、女ものだよね。。」

「それしか残ってないんだ。きみにちょうどいいと思って。」


 とすこし苦笑いした。

 一瞬、女の背景がぼやけて見えた。

 この人、笑うこともあるんだ。


「それなら・・・」


 と、おもむろに着物を手に取り、慣れた手つきで帯を締めた。


「そういえば、きみ自分の名前は覚えているのかい?」

「覚えてない。」

「そうか。ではテンでどうだ?」


 たんたんと手際よく野菜を切りながら言った。


「テン?」

「そうだ。テンというのは北のほうに住む動物で、白い顔に黄色の毛をしているんだよ。きみみたいだろう。」


 少年は部屋の隅に立てかけてある大きな姿見に顔を向た。

 姿見にうつる少年の姿は透けるような白い肌に白金の髪が肩につきそうなくらい無造作に伸びていた。


「本当だね。」


 その瞬間、数人の大きな人影が少年の頭をよぎった。

 それは少年のように白い肌に白銀のような髪をしていた。


 なんだ、今の。なにか嫌な感じだ。忘れろ。忘れろ。忘れろ・・・


「できたよ。」


 はっと気が付き、女の方をみると、湯気の立つ木のお椀を2つ持って机に並べた。

 ふわっと甘く香ばしい匂いがする。

 女の座った向かい側の席に座ると


「これ、なに?いい匂いがする。」


 と匂いを嗅ぐようにお椀に顔を近づけて言った。


「さつまいもと米を炊いただけだ。口に合うかはわからないけど。甘いから、疲れた体にはちょうどいいと思うよ。」


 そういうと、銀のスプーンを手に取り蜂蜜色の芋をすくいゆっくり食べ始めた。

 その姿をみてすこしホッとしたように、女もご飯を食べ始めた。


「そういえば、お姉さんはなんて名前なの?」

「あぁ、そうだったね。私はレアっていうんだ。」

「レア。ぼくはなにをしたらいい?」

 急な問いに、その言葉の真意を確かめるため

「なにって、ご飯や服のお礼のこと?それなら気にすることないよ。」


 と言うと、テンの顔が一瞬こわばったようになり、下を向いた。

 その様子をみたレアは、スプーンを静かにおいて

「しかし、私はこう見えてすごく忙しくて。

 わたしの手伝いをしてくれると助かるのだけど。」


 と言うと、テンは顔を上げ黙って頷いた。

 食べ終わるとテンは、自分の食器の上にレアの食器を重ね、流しに持っていった。


「これ、洗ったらいい?」


 そばにあった紐の端を口にくわえ、後ろで八の字になるように肩に掛けて、くわえていた紐まで戻ってくるとしっかり結び着物の袖を短くした。


「あぁ、うん。ありがとう。」


 と任せてみるが、まくった袖の下の痣や傷をみるとどうしようもない気になる。

 レアは二階に上がり、畳に布団を敷くと小さな窓を開けた。外はいつのまにか真っ暗で、薄っすらと欠けた月が浮かんでいた。


「今日は星が綺麗に見えるな・・・。」


 とつぶやいて、ふと後ろを振り返ると、いつのまにか真後ろにテンが静かに立っていた。

 驚きでガタッと窓にぶつかるが、テンはただひたすら窓の外の月をぼんやりと見つめていた。窓から野草の香りを乗せた冷たい風がレアとテンの髪を揺らした。すると、テンの口が少し開き言った。


「眠い。」


 予想外の間の抜けた言葉に一瞬ぽかんとした顔のレアを


「?」とテンが首を傾げて見つめた。

 しかし、レアは少し安堵のようなため息をして、


「この布団で眠るといいよ。私はまだやることがあるから。何かあったら一階においでね。」


 一階に降りていくレアを見送るとテンはささと布団に入り目を瞑った。一階から本をめくる音や、ガラスの小瓶がカチャカチャと触れあうような音が聞こえた。その音がなぜか心地よく、みるみるうちに意識が遠のいていった。


 ✳︎✳︎


 ドンドンドンと小刻みに強くドアを叩く音で目が覚めたテンは、なにごとなのかと一階に降りた。するとレアがドアを開けて男の人と少し話をすると、素早く木製の大きなカバンに小瓶やらを入れて急いで男の人と行ってしまった。

 慌てて追いかけるが、知らない街であっという間に迷子になった。


 せめてあの家に・・・でも、もどってもあの場所はぼくの場所じゃないし。


 すると黄金色に輝くイチョウの木が目に移った。他の木はまだ緑の葉であるなかで、テンはその一本の木に異様な雰囲気を感じた。

 すると、木の幹のところにすらりとした人影が立っていた。イチョウと同じ黄金色の髪をしていたので、気がつかなかったテンは肩をびくっとさせた。

 人影からすっと手が伸びテンに向かって手招きをしていた。

 それに再び、びくっとしたテンは流石に情けなくなり、おそるおそる人影の方へ足を進めた。

 顔を見上げるが眩しくてよく見えない。

 しかしその人影は、少年の頬に手を当てると少しかがむようにして


「かわいそうに。傷だらけだね。どこかから落ちたのかい?」


 と柔らかな口調で言った。


「覚えてないんだ。気がついたらここにいて、その、なんというか。」


 と尻すぼみになり言葉を詰まらせる少年をみるとその人影は


「困らせてしまったね。お詫びに君の探しているものの場所を教えよう。」


 そう言い、手を前に差し出した。それと同時に人影の後ろのイチョウの木の方から勢いよく風が吹き、イチョウの葉が風に乗って一気に舞った。


「そのイチョウの葉を追っていくといいよ。」


 と言ったが、無数の葉があちこちに飛んでいくので


「どの葉を追えばいいの!?」


 と勢いよくふく風を両手で遮りながらテンが人影の方をみると、もうその姿はなかった。

 気を取り直して宙を舞うイチョウの葉をじっと見つめていると、

 1つ妙な動きをしたイチョウの葉を見つけた。それは蝶のように葉の両端をぱたばたとばたつかせて街の大通りの方へ向かった。

 少年は急いでそれを追い大通りに出ると、人混みがすぐに目に入った。その中に見覚えのある背中。


「レアだ。」


 そばに行こうとしてふと足を止めた。

 地面に飛び散ったような赤黒い点々が気になったからだ。

 その点々はレアのいる場所を囲むようについてある。

 ゆっくりレアのところへ行くと、2人の男女が血を流して横たわっていた。

 男の方は顔に布をかけられてピクリとも動かない。

 レアは痛みに顔を歪める女の人の傷口をじっと観察して大きな木製の鞄を開いた。

 鞄の中は、大小様々なガラス瓶に色とりどりの液体や粉末などが入っていた。それらが朝のさらさらとした陽光に輝き、宝石箱のようにテンの目に映った。レアはそのなかから深緑の色をしたゼリー状の液体が入った小瓶を取り出し、丁寧に傷口に塗った。


「夜の間に襲われたみたいだよ。」

「またか、このところ物騒だな。」

「どうなっているんだ。」

 と人混みから口々に不安と同様の声が漏れている。

「これはなんの仕業かわかるか?」


 1人の男がレアにぼそっと話しかける。


 今朝、家のドアを叩いた男だ。


「はっきりとはわからないけど・・・」

「レア。この人には傷の手当てしないの?」


 といつのまにか隣にいたテンの手が横たわっている男の顔にかけられた布に伸びる。

 すると、レアがさっとてテンの手首を掴み


「いけない。」


 と落ち着いた口調で言った。

 その優しく諭すようなレアの眼差しをじっとテンは見つめていた。


「おい、その子はなんだい。」


 あの男だ。


 テンは男のほうを見ることなく少し眉をゆがめた。


「知り合いの子どもで、昨日から預かってるんだ。」


 淡々と応えるレア。


「知り合いの子?」


 と少し疑った顔をしてレアとテンを交互に見た。


「・・・そうか。とにかく、手当てはおわったかい?」


 レアは静かに頷いた。

 すると、その男と同じ黒い羽織を着だ男たちがてきぱきと横たわる男女を運んでいった。

 いや、ただ運んだのではない。黒い羽織に同化してすぐには分からなかったけど、男たちの背中から黒い大きな羽が生えて、その身を宙に浮かしたのだ。


「レア、あれはなに?」

「かれらは烏天狗の血の者だよ。」

「烏天狗?」


 ピンとこない顔をした少年を見て


「うーん。」


 とすこし考え込むと


「君はなにも知らないみたいだから、とりあえずついてくるといいよ。」


 レアは開いたままになっていた鞄を閉じると、その重そうな鞄をひょいと片手で持ちすたすたと歩いていった。今度は見失わないようにと、テンはすこし小走りでレアの後ろをついて行った。

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