エピローグ:暫定、答え

 それでも、いつまでも足掻き続けることはできない。


 やがて終わりは訪れて、答えを出さなければならないから。


 * * *


  エピローグ



 週明けの月曜日。みづきは相変わらず、俺の部屋を訪れていた。


「今日はハンバーグのリベンジをします」


「おう、そうか」


「今日はちゃんと成功させます」


「楽しみにしてるよ」


 エプロン姿で、「ふんすっ」とみづきが気合いを入れる。その胸元にいる黒猫のワッペンは、相変わらず不愛想な面構えだった。


 台所に向かうみづきの背中を見ながら、俺はふと思う。


 この間、スタジオから帰る時。みづきは結局、どういう答えを出したのか口にはしなかった。それでも晴れやかな顔はしていたから、きっとなにか、みづきなりに決着をつけることができたのだと思う。


 そこはもはやみづきの領分なのだし、あえて俺が問い詰めるのもあまり良くないだろう。


 とはいえ、ああいう話をした手前、気にならないといえば嘘になる。


「なあ、みづき」


 鼻歌交じりに包丁を振るうみづきに、俺はタバコを取り出しながら声をかけた。


「んー?」


「結局さ。どうするつもりなわけよ?」


「どうするつもりって?」


 こちらを振り返りながら、みづきがきょとんと首を傾げた。


「そりゃ……こないだの、あれだよ」


「……あれじゃ分かんないんだけど」


「答えがどうこうって、そういう話」


「あー……」


 なるほどなるほど、と玉ねぎ片手にうなずくみづき。


 それから、「そうだなあ……」と考え込むようにみづきは唸った。


 しばらくして、「うん」と彼女がうなずく。


「よし、オニオンソースにしよう」


「……なんの話だ?」


「ハンバーグのソース、どうしようかなって迷ってて。あ、バーベキューソースがよかった?」


「そういう話は、してなかったと思うんだが?」


 俺がそう返すと、みづきがムッと唇を尖らせた。


「ちょっと。どっちがいいのかはっきりしてよ」


「……両方頼む」


「最初からそう言えばいいのよ」


 まったくもう――と言いながらみづきが台所に向き直る。


 なんだかごまかされたような気もしたが……無理に聞き出すもんでもねえか。灰皿に灰を落としながら、俺はそれ以上話を聞き出すことを諦めた。


 * * *


「お、旨いな」


 みづきの作ったハンバーグを褒めると、彼女がややドヤ顔で「んっへへっ」と胸を張る。


 初めて彼女が作ったハンバーグとは出来栄えが段違いだった。ほろりと口の中で崩れるハンバーグは肉汁たっぷりで、ソースとの相性も抜群だ。


 二つ用意してくれた、オニオンソースとバーベキューソースもいい。どちらも濃い目の味付けがされていて、白い飯がガンガン進む。


 夢中になって食ってると、みづきも嬉しそうな顔で笑って、テーブルに向かって両手を合わせた。


「じゃ、あたしもいただこっかな」


 そう告げ、みづきもまたハンバーグを口に含む。そしてすぐに表情を綻ばせた。


「うっま。あたしマジ天才じゃん」


「自画自賛が過ぎる。だがあえて否とは言わねえ。今日の飯はマジでうまい。――おかわり」


「タツトラ君の食いっぷりがすごい。そこまで喜んでもらえると、なんか嬉しくなっちゃうね」


 そう言いながら、みづきが楽しそうに炊飯器から飯をよそってくれる。


「ほらたくさん食べて食べて。今日はたくさんハンバーグ作ってあるからさ」


「言われるまでもなく」


 結局そのあと、俺は三回もご飯をおかわりして、三合は炊いてあったはずのご飯をすべて平らげたのであった。


 * * *


 洗い物を終えると、みづきはいつものように勉強――を始めなかった。


 代わりに彼女は持ってきた荷物を手に取ると、「今日はこれで帰るね」と俺に告げてきた。


「……? もう行くのか」


 時計の針を見れば、まだ七時にもなっていない。いつもなら八時過ぎまで居座るみづきにしては珍しいことであった。


「うん。ちょっと野暮用」


「そうか。――待ってろ」


 満腹になった腹を擦りつつ、俺も荷物を手に取り肩に担ぐ。


「それって……」


 みづきは目を丸くして俺の荷物を見ると、すぐにふわっと微笑んだ。


「なんか、様になってるじゃん、そのカッコ」


「おう、そんなにかっこいいか」


「かっこいいとは、一言も、言ってない。勘違いしないほうがいいんじゃない?」


 うっわ辛辣ぅ。


 げんなりと表情を歪める俺を見て、くすくすとみづきが笑っている。


「ま、でも、かっこ悪いとも言ってないし? ま、少なくともダサくはないって。多分」


「多分ってなんだよ、多分って」


「さーねー。てか、まだ時間も早いし、わざわざ送ってくれなくても大丈夫なんだけど」


 みづきがそう言ってくる。


 そんなみづきに、俺は答えた。


「俺もちょっと野暮用があんだよ」


 * * *


 外に出る。


 いつもの道とは違い、駅前の方向へ歩き出すみづきの隣に俺は並んだ。


「で、野暮用ってなんなんだ?」


「んー、ちょっとね」


 少し照れた様子でみづきが笑う。


「……レッスン、また今日から行こうと思ってさ」


「バレエ、続けるんだな」


「そうなる、のかな? やっぱほら、この前踊った時、さすがに衰えを感じてさ。あーやばい、これダメダメ無理、なにやってんだあたしマジで、って」


「俺からしてみりゃ、すげえ綺麗に踊ってたように見えたけどな」


「そりゃタツトラ君が本物のバレエ知らないからじゃん? てか、そっちこそ四年もブランクあるようには見えなかったよ、あの演奏」


「バカ言え。ガッタガタもいいとこだ、あんなもん。耳腐ってんじゃねえのお前」


「お前なんて人知りませーん。つーか腐ってるのはタツトラ君の目の方だし」


「…………」


「…………」


「くくっ」


「ぷっ、あはっ」


 言い合いながら、ふと俺とみづきはお互いの目を見交わして吹き出した。


「なにこの会話。バッカみたい」


 そんなことを言いながら、みづきがくすくすと笑う。その気負いのない表情を見て、俺のほうまでなんだかふっと笑っちまったよ。確かに、おかしな会話してるってな。


 けどなあ……みづき、お前笑いすぎじゃないか? 目尻に涙まで浮かべたりとかしてさ。さすがは、箸が転がってるの見ただけで笑いが止まらなくなる世代だよ。


「まあ、でも……お母さんの求めるバレリーナなんかを目指すのはもうやめることにした」


 目尻に浮かんだ涙を拭いながら、みづきが言う。


「……それでいいのか?」


「うん。ちょっと……っていうかかなり、悩んだけど。でも、そんなの楽しくないなって」


 無理やり頑張っても続かないしね、と静かな口調でみづきは呟く。


「この前はね。久しぶりに、踊ってみて楽しいなって思えたから。あんなガタガタの演技だったのに、でもやっぱ楽しいって思えるもんなんだなって。自分のために踊るって、すごいなって」


「……そうか」


「それが今のところの、暫定あたしの答え、でした」


 最後は少し茶化すように。


 みづきは、その決意表明を終えた。


「だから、タツトラ君。ああいうの、また今度しようよ。今度はちゃんとチュチュ着てさ、きっちり足掻いてみせるんだ」


「舞うんじゃなくて足掻くのかよ」


「白鳥だってバタ足してるからね」


 言われてみれば、確かにそうだ。


 納得する俺に、今度はみづきが問いかけてきた。


「で、タツトラ君の野暮用って?」


「あー、俺は――」


「って、まあその荷物見ればだいたい分かるか。じゃ、あたしこっちだから。ばいばいっ」


 そう言って、みづきは道を左に折れていく。


 そして俺の目的地は、右の道を行った先。


「……お見通しかよ。参ったな」


 そうボヤいた俺は、背中に背負ったギターケース・・・・・・を担ぎ直してみづきとは反対側へと歩みを進めた。


 ケースの中身は、μ’sのオーナーから譲り受けたお古のクラシックギターだ。「処分品だから好きにしろ」とオーナーは言っていたので、好きにさせてもらうことにした。


 スタジオに向かう道すがら、俺はスマホを取り出した。


 アキの連絡先を呼び出す。それからなにか、メッセージを送ろうとして――だけど結局、なにも送らずスマホをしまった。


 あいつはあいつで頑張っている。自分に与えられた舞台で、今だってきっと必死にやっている。


 すでに別の道へと進んでしまった俺から言えることなんて、特にない。


 だけど――。


(俺は俺で、またやり直してやるさ)


 捨てたつもりの熱はまだ残っていた。それに気づいたら、もう無視することなんてできなくなっていた。


 今からどこまで行けるのか、それは皆目分からない。だけど立ち止まったまま、諦めることすらできないままでいるよりはずっとマシだろう。


 それにだ。


 ――ああいうの、また今度しようよ。今度はちゃんとチュチュ着てさ、きっちり足掻いてみせるんだ。


 とまあ、少なくともどこぞの生意気な女子高生は、俺の音を受け止めてくれると分かってる。


 一人で足掻けば孤独でも、二人で足掻けば楽しいもんだ。


 だから俺は思うんだよな。




 世界のどこを探したって、こんなに心強い味方はいない――ってな。

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