第43話 疑問の答えを探しに行こう
「……ごめん、カッコ悪いとこ見せたかも」
しばらくして泣き止んだ頃。顔を上げたみづきが呟いた。
「ま、気にするな。そういう時もあるもんな」
「き、気にするよ……うわぁ、あたし髪とかもぼさぼさだし、ありえない」
俺から離れると、ぶつくさ言いながらみづきが身なりを整える。暗いせいでよく分からなかったが、涙はもうちゃんと引いているようで、安心した。
それから、近くにあったベンチに二人で並んで腰を下ろす。
おずおずと、みづきの方から切り出してきた。
「……情けない話なんだけど、ちょっと聞いてもらえるかな?」
「ああ」
俺がうなずくと、みづきはぽつりぽつりと語り出した。
「あたしのお母さんはさ、多分ちょっと、夢見がちなんだよね。キラキラした世界に憧れているっていうか、とにかく煌びやかな存在になってみたかったっていうか」
静かな口調で語られ始めたのは、みづきの母親についてのことだった。
今までこちらからはあえて触れることはなかったが、きっとみづきの抱える傷を作った原因だ。こうして語るのだって痛いはずだろうに、それでもみづきは言葉を紡ぐ。
「多分さ。そういう『お母さん』って別に珍しいものじゃないんだろうなって、思ってる。女性だって女の子だった頃があるじゃんね。だからきっと、そういうやつの延長線でしかなかったんだろうなって」
「延長線、っつーと……」
小さく、みづきがうなずいた。
「うん。自分がなれなかった代わりに、あたしとか、ヒナとか――子どもの方をそうしてしまえ、みたいなさ」
「それは……」
「お母さんの思い描く世界は、バレリーナとか、宝塚とか、ああいうのだったみたい。確かに華やかな世界だよね。綺麗な衣装で着飾って、とっても上手にステージの上で舞ったりして。だからそういう子どもを作るために、お母さんはまずお父さんと結婚したんだ。宝塚でトップスターになるには身長が百七十センチはほしいから、そのためにわざわざ背の高い男の人との間にあたしとヒナを作った」
言いながらみづきが、自分の髪をさらりと撫でる。彼女の血筋がそうやって選ばれたものだったのだということを、否応なく俺は意識させられた。
「お父さんは、お金目当てでお母さんと結婚したんじゃないかな。今は外に愛人たくさん作ってるみたいだし……って、あはっ、今はそういう話じゃないんだっけ。少し逸れたね、ごめん」
「……いや」
――しかもさ。そういう大人に限ってしてたりするんでしょ? 援助交際とか。ほんっと……バカみたいな話だよね。
かつてみづきが口にしていた言葉には、彼女なりの根拠があったんだろう。納得すると同時に、痛ましい気持ちを覚え思わず拳に力が入った。
「あたしは昔から、バレエ、バレエ、バレエの日々でさ。家に帰ればレッスン漬けで、放課後に遊んだりする時間もなくて――友達だって全然いなくて。それでも」
かすかにみづきが目を伏せる。
きっと傷口はとっくに膿んでいて、今も痛みを訴えているはずだ。事実、彼女のまぶたはそれをこらえるように震えていた。
だけどそれでも、みづきは耐えて言葉を続けた。
「それでも――お母さんが褒めてくれるなら、レッスンも全然頑張れてた」
「……」
「ヒナはもっと単純で、あたしよりバレエが好きだった。ううん――あたしを見てバレエが好きになったんだと思う。自分で言うのもなんだけど、あたしすごく才能あったみたいで、他の子達よりずっと上手に踊れてたし、だから」
バレエが好きって自分では思ったことないんだけどね、とみづきは皮肉げに笑う。
「でもさ。去年、足の靭帯を怪我しちゃって、しばらく踊れなくなって。ああ、これでバレエから少しは離れられるって、なんか安心を覚えちゃって」
無理もない。させられてたことが好きじゃないなら、そう思って当然だ。
だけど次にみづきが口にした言葉は、俺の想像を絶していた。
「――あら、壊れちゃったのって。怪我したあたしを見て、言って、お母さんはそれっきりで」
「みづき……」
「そしたらなんか、無理になっちゃった。怪我が治って、リハビリしたらまた踊れるようになっても、レッスンに行くことなんてできなくなっちゃった。ヒナにはずっと痛いふりしてるけど、でもそんなのは嘘で。もう痛くないのに。もう踊れる体に戻ったはずなのに。あたし、もう、なんか嫌で嫌でたまらなくって……
ぎゅっとみづきの手に力がこもる。
それから、血を吐き出すようにして呟いた。
「――気づいたら、万引きしようとしてた。そういうのがもうあたしにはお似合いなんだって、思ったから」
その時のみづきは、きっと心の許容値を限界いっぱいまで振り切っていたんだろう。それが溢れ出した結果、万引きなんて行為に走った。
まさしく、捨て鉢な行為だ。だけど、それを止める術をみづきは自分では持ってなかったんだ……。
「あたし、なんで頑張ってレッスンに行ってたりしたんだろう。どうして必死で役を覚えようとしたんだろう。あんなに頑張って、お母さんのためにって、期待してくれてるからって、耐えてたのに……怪我のひとつでもう全部なくなっちゃうんだ、そういうの」
「みづき……」
軽々しく、気持ちが分かる、などとは言えない。
みづきの痛みはみづきだけのものだ。みづきの苦しみはみづきだけのものだ。その傷に、かつて俺が負った傷を重ねて共感してやったところで――そんなのなんにもなりはしない。
でも、ひとつだけ分かることはあった。
「あたし、ほんと、ほんとさ。これから――」
「――どうすればいいんだろう、か?」
「――え?」
「そう、思ってんだろ。怪我して、母親に認めてもらえなくなって、今まで立ってた場所がいきなり崩れ落ちて――そんで今は途方に暮れて」
「……うん」
「どうすればいいか分からなくて、前も後ろも全然見えなくて、それでほんと、どうしたらいいんだろうなあ、そういうの」
「タツトラ、君?」
みづきがそう声をかけてくる。
俺は立ち上がり、彼女の方へと向き直った。
手を差し出す。
「なあみづき。どうしたらいいんだろうって疑問の答え、今から探しに行かねえか?」
「それって」
「どうする?」
みづきは、唇を閉じたまま押し黙った。手を差し出したまま、俺はしばらくの間彼女の反応を待っていた。
やがて――。
――彼女は俺の手を取った。
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