第41話 頭の中にしかいない

 声の主は、いつかこの辺りで遭遇したみづきの妹だった。


 名前は知らんが背の高い女だ。みづきと並べば、みづきの方がむしろ年下に見えるほどに。


「ひ、な……? こんな時間に、なんで」


「こんな時間だからこそ、だよお姉ちゃん。お母さんの目を盗んで、お姉ちゃんの帰りも遅いから探しに出かけようとしたらこんな……ッ、こんな男とッ」


 ひな、と呼ばれた少女が、キッと鋭く俺を睨みつけてきた。


「今日だってレッスンあったのに、お姉ちゃんはこんな男と一緒にいたの!? 怪我だからって、それはないよお姉ちゃん。そんな変な男の側なんて、お姉ちゃんのいるところじゃない!」


「ヒナ……」


「こんなの、お姉ちゃんじゃないじゃん。わたしの憧れてるお姉ちゃんは、もっとかっこいいはずなのに。こんな男に誑かされたりしないはずなのにッ」


 その言葉に、俺は思わず眉をひそめる。


 無神経だと以前感じたことが間違いではなかったことを、悟っていた。


「わたし、心配してるんだよ、お姉ちゃんのこと……? 最近お姉ちゃん、ずっと変だし。帰りだって妙に遅いし、変な男と一緒にいるしさ。今のお姉ちゃん、間違ってるとしか思えないよ!」


「ちがっ……違うの、ヒナ、聞いて……」


「なんで!? なんでわたしには話してくれないの!? なんでそんな男の隣にいるの!? お姉ちゃんはわたしのお姉ちゃんなのに、それなのに――ッ」


 少女が激昂の声を上げる。張り裂けるような、怒りの言葉だ。


 そんな少女に、みづきは――。


「……言えるわけないじゃない」


 ひどく、冷淡な声を返していた。


「知らない……知らないよ。ヒナのお姉ちゃん? かっこいいあたし? そういうのほんとやめて。迷惑。自分勝手。勝手に憧れて、理想から外れたら間違いだって……なにそれすっごいウザいんだけど」


「お、おねっ……お姉、ちゃん?」


「ヒナがあたしのなにを知ってるの!? そういう無神経なことばかり言わないでよ!」


「し、」


 売り言葉に買い言葉とばかりに、少女は大声でみづきに言い返した。


「知ってるもんっ! お姉ちゃんはいつもきれいで、かっこよくて、ずっとずっとヒナの憧れで、そして――そしてッ」


「いらないんだよそういうの! やめてよ、そんな押し付けとかッ、期待とかッ!」


「ッ」


「ヒナの理想のお姉ちゃんは、ヒナの頭の中にしかいないんだッ」


 怒鳴り返したみづきが、唐突にその場から駆け出した。


 家のある方角とは反対側へ、どんどん背中が遠ざかっていく。


「えっ……お姉ちゃん、なんでそんなに走れるの?」


 みづきの妹がそう呟いていたが、それを気にしている余裕はなかった。


「みづき!」


 慌てて、みづきの背中を追おうとする。


 だが、一瞬だけ振り返り、まだ呆然と立ち尽くしている少女に向かって叫んだ。


「あんたは家に帰ってろ!」


「で、でも、」


「遅い時間に街をうろつかれるほうが厄介なんだよ!」


 そう怒鳴りつけ、改めてみづきを求めて俺は駆け出す。


 もはやみづきの背中は見えなくなっていた。それでも当たりをつけながら、街の中をジグザグに走る。


 だが、それでは埒が明かないので俺のスマホからみづきに通話をかけた。


 ……しかしみづきの側の電源が落とされているようで、全然繋がらない。


「――っ、くそ!」


 悪態を吐き捨てつつ、再び走る。


 くそ。ったく、あのバカ。


 畜生。厄介なことに巻き込まれんなよ頼むから。

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